王女を越えるⅡ
駄目だと分かっているのに意識してしまう。手を繋いでいるせいで緊張しっぱなしの右手は湿っている。私の汗なのか、アルフレッドの汗なのかは分からない。ただ、二人とも無言で歩き続けていては新婚には見えないと思うのだ。
「ねえ、セシル」
意を決して話しかけてみた。空色の瞳がこちらを向く。
「どうした?」
「せっかくだから、お土産でも買って帰りたいの」
「誰に?」
「自分に」
もう、国内には戻ってこられないかもしれないのだ。一つくらい、故郷を思い出せるものがあっても良いだろう。
「金は持ってきたのか?」
「……あ」
そんなもの、すっかり忘れていた。キスの話題を出したゼインのせいだ、と口をすぼめてみる。
「俺も飯代くらいしか持ってきてないからな。今回は諦めろ」
「そんなぁ!」
諦められるものかと、アルフレッドに食ってかかる。
「引き返して、レインにお金をもらってこよう?」
「レインだって、今は忙しいんだ。俺でさえ、レインが今どこにいるのか知らないんだぞ?」
私の望みは絶たれてしまった。この風景だけでも、しっかりと目に焼きつけるしかないだろう。ここで初めて、行き交う人々に目を向ける。誰もがどこか寂しげで、悲しそうだ。俯いている人までいる。
「皆……何かあったのかな」
「ん?」
「まるでお葬式みたいな顔してるんだもん」
思い当たることがあったのか、アルフレッドは苦笑いをする。どうしたのだろう。
「気付いてないなら、それが一番幸せだな」
「うーん?」
「いや、なんでもない」
勿体ぶらないで、教えてくれても良いのに。狙いを一点に定めたアルフレッドの横顔を見ながら、心の中で不満を漏らす。
「ティア、あの喫茶店に入ろう。昼食がてら、ゆっくり話でもしたいしな」
「うん」
断る理由もなく、アルフレッドに手を引かれる。
喫茶店のドアを引くと、心地良いベルの音が響く。現れたウェイターの顔もどことなく暗い。
「お好きな席へどうぞ」
ウェイターが先を促すと、アルフレッドは店の一番奥の席を目指す。まるで、自身の身を隠すように。
「もしや、国外からお越しの方ですか?」
「ああ」
「そうですか。丁度、悪い時期に当たってしまいましたね。どうか、一緒に王女殿下のご冥福を祈ってあげてください」
「……ん?」
王女殿下の――私の冥福とは、と一瞬固まってしまった。そうだ。私は父王のせいで亡くなったことにされているのだ。すっかり忘れていた。
ウェイターは私の戸惑いには気付かずに、グラスを二つ置いて去ってしまった。他の座席にいる客の会話も、ちらほらと聞こえる。
「王女殿下、海に落ちて亡くなられたのでしょ?」
「ああ、棺にご遺体は納められていなかったそうだ」
「隣国の王子とのご結婚がなければ、こんなことにはなってなかったのに。可哀想な王女殿下……」
だいぶ話が盛られているな、と思いつつ、結婚話がなければという結論は私と同じだ。
アルフレッドは平静を装いつつ、小さく口を開く。
「自分がどういう状況に置かれてるか、だいたい分かっただろ?」
「うん」
分かったからといって、これからの私の行動が変わる訳ではない。世論の動きなんて、私には関係ないのだ。
運ばれてきたピザ風ホットサンドを頬張りながら、窓の外を眺めてみた。幸福を象徴する鳩が、通行人の撒いた餌をつついている。日常的な行動なのに、違和感を覚えるのは私だけだろうか。
「なあ、ティア」
「ん?」
「後悔、してるか?」
アルフレッドは慎重に、私が傷つかないようにそっと囁く。
「全っ然。顔も声も知らない人と結婚するくらいなら、この生活の方がマシだもん」
私の返事を聞くと、アルフレッドの顔は綻んだ。
「ティアらしい答えだな。安心した」
安心してくれたのなら良かった。私も笑顔が零れる。
「で、だ」
アルフレッドは不意に、真顔に戻った。
「レインからどこまで聞いた?」
「何の話?」
「俺の両親の話だ」
何か聞いただろうか、と頭を捻る。思い返してみたところで、特別な何かを聞いたことはなかった。
「『セシル』の名前の由来くらいしか」
「レインも意外と口が堅いんだな」
どこかほっとしたように、アルフレッドは頬杖をついた。
「今、話してはくれないの?」
「ま、そのうちな」
いつか話してくれるのなら、今だって良いのに。口を尖らせると、アルフレッドは「あはは」と笑う。仕方なく、甘いアイスティーを口に含んだ。
まったりしたところで喫茶店を出る。長居をしたかったけれど、逃亡生活では許されないことだろう。雑踏に紛れ、アルフレッドに手を引かれながら散歩をする犬に目を奪われる。
そんな時、アルフレッドの足が止まった。
「ティア、済まない。トイレに行ってくる。ちょっとここで待っててくれ」
「えっ? うん……」
ついていくとも言い出せず、手を放してしまった。前方へと駆けていくアルフレッドを見送る。仕方なく、目に留まった犬の元へと駆け寄った。
「可愛いワンちゃんですね」
「ありがとうございます。ベル、可愛いって。良かったねー」
黒い――何犬だろう。種類までは分からないけれど、カールした毛を持つ垂れ耳の小型犬に手を伸ばす。すると、その子は手の臭いを嗅ぎ、ひと舐めしてくれた。人懐っこい犬だ。
瞬きをすると、右目に違和感を覚えた。もう一度瞬きをすると、何かが零れ落ちる。
「ん?」
なんだろう。瞼を擦ってみるものの、原因は分からない。
「どうかしましたか? ……ん? ラベンダー色の右目?」
三十代くらいのその女性は、私の目を見て恐怖の表情を浮かべる。
「王女……殿下……!?」
まさか、コンタクトレンズが落ちたのだろうか。慌てて右目を手で隠してみたものの、女性は腰を抜かしてしまった。




