第4話:言葉にならない想い
舞踏会の喧騒がまだ耳に残る夜。邸宅の広間を抜け、エリーナは静かな庭へ足を運んだ。銀色の髪が月明かりに柔らかく輝き、淡い紫のドレスは夜風に揺れる。昼間の賑やかな社交界から離れ、心がほっと解放される瞬間だ。
「ふぅ……やっと少し落ち着けるわ」
エリーナは低く息をつき、庭の石畳に足を止める。社交界では誰もが自分を見ていた。笑顔を絶やさず、堂々と振る舞ったが、その裏では小さな緊張と疲れもあった。
そのとき、ふと後ろに気配を感じる。振り返ると、月明かりに栗色の髪を少し乱した青年の姿――セリオン・カーヴァルだった。青い瞳が静かにエリーナを見つめている。
「……セリオン、どうしてここに?」
「君が一人だと思って……」
その声は、舞踏会で見せた冷静さとは少し違う、柔らかくも緊張した響きだった。
二人の間には微妙な距離がある。セリオンの手はわずかに握られたまま、しかし進んで近づくことはできずにいた。胸の奥では、婚約破棄を切り出した罪悪感と、止めてほしかった願望が混ざり合い、心をかき乱している。
「舞踏会では、楽しそうだったね」
「ええ、少しはね」
エリーナは微笑むが、その瞳にはほんのわずかに寂しさが宿る。自由を得た喜びの裏に、やはり心細さが隠れていたのだ。
セリオンは息を呑む。
(……笑っているのに……その瞳の奥に、少しだけ隙がある……)
(守りたい……だが、どうすればいい……)
「君は……本当に、変わらないな」
「変わらない……?」
「堂々としていて、誰にも媚びない。だから、俺は……」
言葉が途切れ、セリオンは言葉を続けられなかった。心の中で芽生えた嫉妬と守りたい想いを、まだ上手く言葉にできないのだ。
エリーナは少し首をかしげ、微笑む。
「セリオン……どうして黙っているの?」
「……いや、何でもない」
その言葉には嘘も隠しもなく、ただ焦燥と葛藤が滲んでいた。
庭の夜風が二人を包む。月明かりに照らされたエリーナの銀髪が揺れ、セリオンの胸の鼓動が聞こえるかのように静かな時間が流れる。
「ねえ、セリオン」
「……ん?」
「婚約破棄のこと、後悔している?」
その問いに、セリオンは目を逸らす。答えたくても、言葉にできない――それほど心が揺れていた。
「……俺は……」
結局言葉は途切れ、セリオンはただ拳を軽く握りしめる。嫉妬、焦燥、守りたい気持ち、止めてほしかった願望――複雑な感情が入り混じる。
エリーナは少し微笑み、彼の視線に気づきながらも、自然体で言った。
「焦らなくていいわ。私たち、少しずつ分かり合えばいいのよ」
その言葉に、セリオンの胸は少しだけ軽くなる。まだ距離はある。しかし、言葉の端々に宿るお互いの気持ちは、確かに静かに近づき始めていた――。




