第13話 家族への誓い
舞踏会から数日が経ち、王都は初夏の陽光に包まれていた。白い雲が穏やかに流れ、通りを渡る風は花々の香りを運んでくる。
セリオン・カーヴァルは自邸の執務室で、窓の外をしばらく眺めていた。
エリーナと再び心を通わせたあの日から、彼の胸の中には、ようやく晴れ間が差していた。しかし――けじめはつけなければならない。
自分の身勝手な言葉で一度は彼女を傷つけ、泣かせた。その罪を抱いたままでは、未来に進むことなどできない。
扉を叩く音がして、執事が告げた。
「旦那様、ご両親がお見えです」
「……ああ、通してくれ」
セリオンは立ち上がり、背筋を正した。
入ってきたのは、穏やかな笑みを浮かべる母マリアンヌ公爵夫人と、厳格な眼差しを持つ父、カーヴァル公爵だった。
「久しいな、セリオン。仕事は順調か?」
「ええ、父上」
短いやりとりのあと、マリアンヌ公爵夫人が静かに微笑む。
「あなた、何か話があるのでしょう?」
母の勘は鋭い。息子の目が、いつもと違うとすぐに気づくのだ。
セリオンは深く息を吸い込み、真っ直ぐ二人を見た。
「……エリーナ・ヴァレンタイン嬢と、もう一度やり直したいと思っています」
その言葉に、部屋の空気が一瞬だけ静止した。
父の瞳が細くなる。
「やり直す? 一度、あれほどの婚約破棄を言い出しておいてか」
「承知しています。あの時の自分は愚かでした。自分の立場ばかりを気にして、彼女の気持ちを見ようとしなかった」
セリオンは机の前に立ち、頭を下げた。
「彼女を手放したのは、守るためだと、言い訳をしていました。けれど本当は、怖かったんです。彼女を愛するほど、自分の弱さが露わになるのが……」
沈黙のあと、マリアンヌ公爵夫人が小さく息をついた。
「あなたらしいわね。優しさと不器用さが入り混じっているところが」
そしてカーヴァル公爵が低く言う。
「……二度と、彼女を泣かせるな。それが約束できるなら、私は何も言わん」
「はい。命に代えても」
その真摯な声に、父は頷き、母は微笑んだ。
その日の午後、セリオンは正式な馬車を用意し、ヴァレンタイン邸を訪れた。
門をくぐると、以前と変わらぬ整った庭と噴水の音が出迎える。
玄関ホールでは、エリーナの母が柔らかい笑みを浮かべて迎えてくれた。
「お久しぶりです、セリオン様。どうぞお入りください」
「お世話になります。……本日は、大切なお話があって参りました」
応接室に通されると、やがてエリーナの父、ヴァレンタイン公爵が現れた。
温厚そうな顔の奥に、確かな威厳を宿している。
「セリオン殿。娘のことでは、ずいぶんと心を悩ませていたようだね」
「はい……。公爵、ご迷惑とご心配をおかけしました」
セリオンは再び頭を下げた。
「私は、身勝手な理由でエリーナとの婚約を破棄しました。あの時、彼女を守ると言いながら、実際には自分の恐れに負けていただけです。けれど、彼女の涙を見た瞬間に気づいたんです。――本当に守りたいものは、彼女そのものだったのだと」
父親は静かに聞いていたが、やがて深く息をついた。
「……セリオン殿、私はあなたの誠実さを信じたい。だが、エリーナの気持ちは、本人に確かめなければわからん」
その時、扉が静かに開いた。
白と淡い桜色のドレスに身を包んだエリーナが、少し緊張した面持ちで入ってきた。
「……お父様、私の気持ちはもう決まっています」
彼女は一歩前へ出て、セリオンを見つめた。
「私は、セリオン様と生きていきたい。たとえ過去に傷つけられたとしても、あの夜、あなたの言葉を聞いて……信じられると思ったの」
沈黙ののち、ヴァレンタイン公爵夫妻は顔を見合わせ、穏やかに微笑んだ。
「――では、改めてよろしく頼む。エリーナを幸せにしてくれ」
「必ず」
その後、二人は屋敷の庭園へと出た。
夕陽が花々を照らし、淡い光の粒が舞っている。
並んで歩きながら、セリオンがそっとエリーナの手を取った。
「やっと言えたよ、エリーナ。……本当に、ありがとう」
「ふふ、礼を言うのは私の方よ」
彼女は柔らかく微笑み、指を絡める。
「今度こそ、離さないでね」
「約束だ。もう二度と――手放さない」
風が二人の髪を揺らし、光がその輪郭を包み込んだ。
愛は、再び結ばれた。けれどそれは、以前よりもずっと静かで、強い絆のように感じられた。
もう少しで終わる予定です




