第9話 昼下がりの邸宅で
ヴァレンタイン邸の応接室に、柔らかな午後の日差しが差し込む。
窓から見える庭の緑は鮮やかで、鳥たちのさえずりが静かに響き渡る。
エリーナ・ヴァレンタインは、深紅のドレスを軽く整えながら窓際に立つ。
派手すぎず、それでいて高貴さと華やかさを兼ね備えた装いだ。
少し気取った立ち姿ではあるが、微かに緊張の色も感じられた。
軽いノックが響き、扉が開く。
「失礼します」
金髪に近い栗色の髪を揺らし、セリオン・カーブァルが礼服姿で現れる。
表情は落ち着いているが、その瞳には微かな緊張と葛藤が光っていた。
「こんにちは、エリーナ」
「こんにちは、セリオン。どうぞ、おかけください」
エリーナは丁寧に頭を下げ、ソファに座る彼を迎え入れた。
婚約破棄後も会う機会はあったが、正式に邸宅に迎え入れるのはやはり特別な意味がある。
ソファに腰を下ろしたセリオンは、少し間を置き深呼吸する。
胸の奥では、あの夜の出来事が鮮明に蘇る。
――本当は手放したくなかった。
――止めてほしかったのに、言わなければならなかった。
――身勝手な理由で君を傷つけたことを、心から謝りたい。
「……今日は、謝りに参りました。先日の件、本当に申し訳なく思っています」
セリオンの声には誠意が滲む。
エリーナは椅子に腰を下ろし、落ち着いた声で返す。
「謝罪の言葉は理解しています。でも、簡単には許せませんわ」
瞳の奥に、少しだけ柔らかさが漂う。
「その気持ちは当然です。焦るつもりはありません。ただ、こうして君の前にいるだけで……少し心が落ち着きます」
セリオンは微笑むが、その目には複雑な想いが宿っていた。
「正直に言うと……本当は手放したくなかったし、止めてほしかった。本当は君のこと愛しているのに、身勝手な理由でごめん」
エリーナは一瞬息を飲んだが、やがて柔らかい微笑みを浮かべる。
「そう……なら少し安心できるわ。謝るだけで済むと思ってはいませんでしょう?」
「その通りです。あの夜の俺の判断は間違っていた。
本当君も傷ついていたのに、俺は君の完璧なところに嫉妬してしまった」
セリオンは視線を少し伏せ、慎重に言葉を選ぶ。
応接室には、静かな沈黙がゆっくりと流れる。
手を伸ばせば届きそうな距離に座っているのに、まだ触れられない。
互いに言葉少なで視線を交わすだけだが、その静寂の中に温もりが宿る。
「少しずつ……でも、あなたを信じる気持ちは戻せそうな気がするわ」
エリーナは俯きながらも、柔らかい声で言う。
「ありがとう、エリーナ、少しずつ信頼を取り戻せるように努力する」
「私も少し安心できたわ」
沈黙は長く続く。午後の光が二人を包み、心の距離が少しずつ近づいていく。
言葉よりも確かなもの――互いを想う気持ちと、触れなくても伝わる温かさが、昼下がりの応接室に静かに満ちていた。




