表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/63

第8話 揺れる草むら、揺れる心

 南へ下るほど緑が濃くなり、野草の背が少しずつ高くなる。小川の流れが緩み、石橋の苔は厚みを増す。


「空気、少し湿ってきたね」


 セイルが髪を耳の後ろへ払う。


「土の粒が細かい。靴底の減り方、変わる」 


 テオは足元を見て、さっと判断を置く。


「匂いも濃い。獣の気配が重なる前の匂いだ」


 ガルドの耳が一度だけ立ち、すぐ戻る。


「この先、リベラの畑が見えるはず——」


「待て」


 ガルドがぴたりと止まり、低く短く言う。私たちも歩を止める。ガルドの視線の先、膝の高さまで草木が生い茂ってる帯が揺れた。


「……右、手前。三」


 セイルが囁く。風が教えているのだと思う。


 次の瞬間、茂みから三つの影が飛び出した。緑色の肌、黄色い歯。ギラギラとした瞳。


 冒険者にとっての最初の壁と言われているゴブリン。

 

 それが三体。一体は槍、一体は石を詰めた袋、もう一体は錆びた刃物を持っている。




 ガルドが一歩前に出て、私は彼の足元に“返し”の結び目を置いた。セイルは矢羽を指で弾き、弦が一度鳴る。テオも腰袋に手を当て、いつでも道具を取り出せるようにしている。——準備完了。


 槍のゴブリンが低く突っ込んでくる。ガルドは身体を半身に捻り、視界を塞がない角度のまま、槍の軸を前腕で流す。


「ガルド、態勢を崩して隙をつくる」


 私はガルドへ再び襲い掛かろうとしているゴブリンの足元に“返し”の結び目とは反対の“緩み”の結び目を置く。多くの生き物は、想定した事象と異なる事象に遭遇したとき、簡単に崩れ、動揺する。


 踏みしめた地面が、突然先ほどより深く沈み込んだことに焦って態勢が崩れ、槍の突きは地面へと突き刺さる。

 

「ナイスだミナ」


 その顔目掛けてガルドの膝が入る。前歯が音を立てて砕け、槍を握っていた手から完全に力が抜けた。




「残りの右の二体、警戒してるね」


 セイルの声。石袋のゴブリンが腕を振り上げ、威嚇するようにこちらを睨みつけ、もう一体は刃を低く構えて様子を伺っている。


「痺れ袋、投げる。ミナ、届く輪、頼む」


 テオが腰の袋から小さな布包みを取り出した。乾かした痺れ草の粉を詰めた即席の袋——彼はそれを痺れ袋と呼び、慣れた手つきで私に見せる。


「了解」


 私は進路の空気に小さな結び目をふたつ置く。ひとつは投げ軌道を保つ支点、もうひとつは着地点のすぐ手前で粉を前に押し出す“押し”。風は弱い。流れは読める。


「今」


 テオが痺れ袋を投げる。包みは結びに沿って伸び、二体の足元の真ん中で弾けた。淡い黄緑の粉がふわりと広がり、私は“押し”で霧を敵側へ寄せる。石袋の腕が鈍く止まり、刃の足運びがもつれる。


「効いてる。二体とも痺れ」


 テオが短く告げる。


「まかせろ」


 ガルドが踏み出し、痺れに膝が抜けかけたゴブリンの懐に入り、鉤爪で手首を払って武器を落とさせ、そのまま肩口に一撃を落とす。体重が沈み、土が鈍く鳴った。


「セイル、そっちは頼んだ」


 ガルドの声にセイルが短く答える。


「うん」


 セイルは弓ではなく腿の鞘から短剣を抜いた。痺れで隙を晒した背へ静かに回り込み、呼吸の合間を一拍だけ待つと、肋骨の隙間へ短く真っ直ぐ突き入れる。

 

 刃は深く刺さらず、必要十分の深さで止まる。そのまま沈むように倒れた。


 私は一度、周囲に感覚の輪を広げる。音、匂い、風、変化なし。


「終わったな」


 ガルドが肩の力を抜き、セイルが短剣の血を布で拭って鞘に収める。テオは痺れ袋の残りを仕舞い、散った粉の流れを目で追って安全を確かめた。胸の奥にさっきまであった緊張が静かに剥がれていく。


「セイル、短剣……前もいけるんだね」


 私が言うと、セイルは少しだけ肩をすくめた。


「矢は有限だからね。明確な隙が見えた時はこっちを使うこともあるよ。風が“抜ける”って教えてくれる時は特に」


「判断、良かった。消耗、抑えられた」


 テオが簡潔に頷く。


「なるほどな。前も後ろも“埋めた”経験が生きてるわけだ」


 ガルドが笑い、尻尾が一度だけ揺れた。セイルは少し照れたように目を細める。


「……でも基本は弓。無理はしないよ」


「もちろん。無理は誰もさせない」


 私は頷き、布を出す。


「証明、取ろうか」


 耳を切り取り、布で包んで紐で結ぶ。鉄の匂いが短く立って、すぐ土に吸われた。



     ◇




「——すみません!」


 前方から声。見上げれば、路の曲がり角の先に三人組の冒険者。服は泥で汚れ、肩当ては擦れてほつれ、ひとりは膝を軽く引きずっている。顔色は悪くないけれど、目の奥が急いでいる。


「危ないから、まずは止まって」


 私は手のひらを見せる。三人はその場で足を止めた。息は上がっているが、敵意はない。


「ぼ、僕たち——始まりの剣っていうパーティです。僕はリオ、こっちがフェナ、こっちがバーン」


 短く、でも礼は崩さない自己紹介。三人とも若い。装備の統一感がなく、袋の縫い目が新しい。


「余白の四人です。私はミナ」


 私が言うと、三人の目が一瞬だけ揃って揺れた。まるで言葉を探すように彼らは視線を落とす。


「その……お願いが……あります」


 フェナが一歩出て、深く頭を下げる。髪が土に触れそうで、ギリギリのところで止まる。


「ゴブリンの耳を……譲って、いただけませんか」


 バーンが続ける。声は小さいが、切羽詰まっている。


「討伐報酬の二倍を出します。あの、手持ちを全部——で、でも必ず返すので……!」


 リオは懐から袋を出そうとする。手が震えているのは、恐怖ではなく焦りに近い。セイルが一歩だけ前に出て、穏やかに言う。


「どうして、そんなに急いでるの?」


 三人は顔を見合わせた。リオが口を開くが、言葉が続かない。


「……その、必要で。今すぐ、どうしても」


「事情は——」


 フェナが言いかけて、唇を噛む。バーンは視線を地面に落としたまま、拳を握る。


 私たちは短く目を交わす。言葉のない相談。でも、たしかに私たちはその一瞬で話し合っていた。


「君たちは、リベラで活動してる?」


 私が訊ねると、三人はすぐに頷いた。


「はい……その……少し前に、リベラで冒険者になりました」


「うん、わかった」


 私は結ばれた耳の包みを持ち上げる。紐の結び目を一つ解いて、布で包まれた右耳を三枚渡す。 


「お金はいらない。その代わり——いつか、話せると思った時でいい。私たちに、君たちの話をしてほしい。私たちもリベラに少し滞在する予定だからさ。もちろん無理強いはしないよ」


 三人は固まったように動きを止めた。視線が揃って、もう一度揺れる。リオは喉で音を鳴らし、フェナは拳をほどく。バーンが小さく、でもはっきり言った。


「……ありがとう……ございます」


 フェナがもう一度深く頭を下げる。額が土に触れる前に、私は一歩寄って止めた。風が一枚、草を撫でる。


「急いでるんだね」


「……はい。すみません」


 三人は袋を受け取り、紐を固く結ぶ。結ぶ手つきは慣れていない。


「気をつけて」


 セイルが短く言う。ガルドは顎だけで頷く。


「……はい!」


 三つの声が揃って、三人は足早に去っていく。まるで何かに追われているみたいに。



「はぁ……あの噂も、あながち間違ってない可能性が出てきたな」


 ガルドは、小さいため息と共に言葉を吐き出す。


「震えが風に乗って、こっちまで伝わってきたよ」


 セイルが空を見て言う。


「多分、限界が近いサイン」


 テオが淡々と続く。


「うん……私たち、なんだか全くの無関係ではなくなっちゃったかもね」


 言いながら、胸の奥がわずかにざわついた。言葉のやり取りも先ほどの数分のみ。共に戦ったわけでもない。けれど——確かにあの三人の震えや焦りを受け取ってしまった。それは結び目のようにほどけず、心に残り続けている。


「距離はもう少し。油断しないように行こう」


「了解」


「了解」


「了解」


 風に揺れる草の匂いが濃くなり、視界の奥に畑の端が見え始める。

 

 この道の向こうで、どんな答えが待っているのか——胸の奥のざわめきと期待を抱えたまま、私たちは歩みを止めなかった。


 ——リベラの村は、もう近い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ