第7話 始まりの街道で
南の街道は、まだ目新しいものがあるわけじゃない。畑の野菜、麦の穂、ゆっくり進む荷馬車。小川を跨ぐ石橋には苔が薄くついていて、橋のたもとには旅人のための小さな祠。
——それでも、ぜんぶ違って見える。
背負い紐の重みも、靴底の擦れる音も、今日からは「冒険に出た」の側にあるから。
「……なんか、空気まで違って見える」
思わず私が呟くと、セイルが髪を払って小さく笑った。
「うん、小さい頃感じていた、あの風を感じるよ」
テオも腰の袋を軽く叩きながら続ける。
「……道具の音も違う。少し軽く響く」
ガルドが前を歩きながら振り返る。
「あぁ、俺も足取りが軽い気がする。どこまでも歩いていけそうだ」
そのやり取りに、自然と笑みがこぼれる。声は大きくない。けれど、それだけで十分だった。
静かな高揚感が、四人の間で確かに共有されている。
前を歩くガルドの肩が、一定のリズムで上下する。耳がときどき道端の気配に反応して、すぐ戻る。頼りになる背中だな、と思ってから、ふと気づく。
「ガルド、ひとつ聞いてもいいかな?」
呼び掛けると、彼は振り返らずに耳だけ少しこっちへ向けた。歩みは崩さない。
「この前、憧れたのは“大盾の人”って言ってたよね……その、今は盾、使わないんだなってふと思って——もしよかったら、理由を訊いてもいい?」
ガルドは頭をぽりぽりとかいた。歩調だけは崩さない。
「あー、たしかにそう思うよなぁ……」
「ごめん。無神経だった?」
「いや、いい。むしろちゃんと聞いてくれて助かる」
彼は一拍おいて、言葉を選ぶみたいに続けた。
「……最初の頃は、盾を持ってた。がっつり重いやつ。憧れそのまんまになりたくてな。けど、パーティーじゃ不評だった。『視界を塞ぐ』『重い』『遅い』。俺の体がでかいぶん、盾が加わると、もう“邪魔”にしか見えなかったらしい」
セイルが横に並び、静かに問いかける。
「じゃあ、盾は置いた?」
「……あぁ。そんな風に言われ続けるとさ、盾を構えるたびに“邪魔の証明”をしてる気がして、いつの間にか置いた。小さい盾に変えたりもしたが……まぁ、それでも“邪魔”は消えなかったな」
言い終えると、ガルドは苦笑した。耳が少しだけ伏せて、言葉を続ける。
「でも……このメンバーなら、また大盾を使ってもいいかもしれないって……そう思えたんだ。タイミングが合えば、買って試してみても……いいか?」
ガルドの言葉に、セイルが口元を緩める。
「うん。今のぼくたちなら、ちゃんと後ろからでも見えると思う」
テオも短く頷いた。
「視界を遮るんじゃなく、支点になる盾……悪くない」
私は自然に口を開いていた。
「大丈夫。今の私たちなら、きっと一緒に戦えるよ」
その反応に、ガルドは少し耳を赤くしながら前を向いた。
そして、短く息を吐き、ほとんど聞き取れない声でつぶやく。
「……ありがとな」
尻尾がほんのわずかに揺れた。それは照れ隠しにも見えたけれど、伝わる温かさは本物だった。
◇
一段落したあと、少しの沈黙が道の上に落ちる。ただ、土を踏むリズムが風の音に混ざって続いていく。
その静けさを破るように、セイルがふとこちらを見た。
「そういえば……ミナも杖、使わないよね? 支援術師ってなんとなく杖のイメージがあるけど……やっぱり意味があるの?」
「うん、あるよ」
私は両手の指先を見せる。手袋ははめていない。指の腹に、砂の細かい感触が残っている。
「“結び目”は正確な形のイメージが命。だから手で結ぶのが一番速くてズレないんだ」
「杖でも出来なくはないんだろうけど、私にはこれが合ってるかな」
「なるほど、手そのものが杖の役割をしているんだね」
セイルが感心したように目を細める。その表情に、私は少し照れくさくなる。
「そんな感じ。だから、意外と手の温度も気にしてたりする。冷えてると動かしにくいから、歩きながら手を開いたり閉じたりしてるの、実は準備」
「へえ……さっきから何度かしてたの、それだったのか」
ガルドが横から言う。耳が軽く動いて、観察していたのが伝わる。
「手袋は?」テオが訊く。
「薄いのは持ってるけど、基本は素手かな。手袋越しだと、輪の大きさを間違えやすいの」
テオは短く頷き、腰の袋に触れて何か確かめるようにした。その仕草が「なるほど」と言っているみたいで、思わず笑みがこぼれた。
◇
日が高くなって、影が短くなる。林の手前の草地に腰を下ろした。そこだけ風がやわらいで、音が一段低くなる。
「ここ、いいかんじだね」
テオが地面を指でなぞり、乾き具合を確かめる。
「根が浅い。座っても沈まない」
セイルは空を見上げ、片手で層の厚みを示すようにひらりと動かした。
「風が二枚重ねになってるね。上は速いけど、下は静か。声が遠くに漏れにくい」
「背を木に預けられるのいいな」
ガルドは荷を降ろし、肩を回す。
私は水筒を回し、干し肉の包みを広げた。塩の匂いが、土の上ですっとほどける。
「いただきます」
歯を立てると、干し肉はいつもの硬さで、でも今日は噛むたびに味が出る。歩いてきた分だけ、体がちゃんと受け取ってくれる感じがする。
「これ、水でちょっと湿らせると柔らかくなる」
テオが小さな布を取り出し、干し肉を包んで水を数滴たらす。
「五つ数える」
ほどいて一口で渡してくる動作が、やっぱり丁寧だ。
「ありがとう……ほんとだ、食べやすい」
「俺のも頼む」
ガルドがすっとテオに差し出す。
「歯が元気でも、顎は旅のペースに合わせたい」
「それ、名言にしていい?」
セイルが笑う。「“顎は旅のペースに合わせろ”」
「やめろ。語り草にするな」
笑いが小さく転がって、音がすぐ草に吸い込まれる。
◇
「せっかくだから、旅の“合図”も決めておこうか」
セイルが干し肉をかじりながら言う。
「短くわかりやすいのがいいよね。『待って』、『戻って』、『通って』ガルドは?」
「いいんじゃないか?遠い距離の時は俺に任せろ。声が太いから遠くまで響く」
「音を出せないとき用のも必要」
テオが簡潔に続ける。
「じゃあ、手の合図も。高く上げて手のひらを見せたら“待って”。指で輪を作ったら“通って”。横に広げて手のひらを見せたら“戻って”。……手の合図を使うのは、音を出せない時、あまり機会はないと思うけど、覚えておこう」
「いいね」
セイルが頷く。「“まだいける”は禁句にしよう。あれは大体、誰かの無理を見えなくする言葉だから」
「同意」
テオが水を飲み、「“もう少し”も同類」と付け加えた。
「……昔の俺に聞かせたいな」
ガルドは空を見て笑い、干し肉をもう一口噛んだ。
「“まだいける”で、自分を押し殺して盾を置いた日。今日の話をあの時の俺に渡したい」
「うん……そうだね。渡せない分、今の私たちで憧れを形にしよう」
セイルが笑って肩をすくめる。「盾、買うタイミングはどうする?」
「あーそうだな……俺自身の心の整理がちゃんとついた時にしようと思ってる。盾は逃げねぇし、焦る必要はない」
ガルドは一度、膝に肘をのせて俯き、長い影が草の上で沈んだ。
「……逃げたのは俺自身だ」
ぽつりと落ちた声は、笑いでも強がりでもなかった。
私は手を止め、ガルドの横顔を見つめる。そこにあるのは、過去の重みを抱えながら、それでも前に進もうとする姿だった。
「でも……今は、逃げてないよ」
これは、慰めでも強がりでもなく、ただ今の彼を見て出た言葉。
「一緒に歩いてる。それだけで、ちゃんと支えてくれてる」
重さを分け合っている実感が、言葉に自然と形を与えていた。
「……あぁ、そうだな。“前で支える”のは今までもこれからも変わらない……盾があってもなくてもな」
ガルドは小さく笑みを浮かべ、耳をわずかに赤くした。セイルはその様子を見て目を細め、テオは無言で頷く。
四人の間に、言葉以上のものがしっかりと結ばれた気がした。
◇
水筒が一巡して、包みが軽くなる。私は布を畳みながら、言葉を一つだけ置いた。
「じゃあ、行こうか」
「了解」
ガルドの返事は短いけれど、芯がある。
「了解」
セイルが笑う。
「了解」
テオも同じ高さで重ねた。
立ち上がる前に、私は背負い紐の結び目をもう一度確認する。締めすぎず、緩みすぎず、そして荷を担ぎ直す。この道の先に見慣れない余白がまだ、いくらでも残っている。




