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第60話 夜税

 逃げようとした三人組の肩が、まだそれぞれ別の手に掴まれたまま固まっている。


 ガルドは大男の肩をがっしり押さえ、セイルは中肉中背を笑顔で逃がさず、テオはリーダーの肩に静かな圧を乗せていた。


 リーダーが喉を鳴らす。


「俺たちは……」


「ナイトクルーじゃない、って言ったよね」


 私は首をかしげたまま、淡々と続ける。


「じゃあ、何?」


 リーダーの目が泳いで、次に中肉中背へ、最後に大男へと視線が跳ねた。助けを求める順番が露骨すぎる。


「……っ」


 中肉中背が、観念したように肩を落とした。


「……すいません。俺ら、偽物っす」


「……偽物にも程があるけどね」


 セイルが、まだ少し遠い顔で言う。


「でも、あのドクロ、描くのは上手だったよ。……消えたけど」


「それ言うな!」


 リーダーが赤くなる。


 ガルドが鼻で笑った。


「で。何だお前ら。どこの劇団だ?」


「劇団じゃねぇ!」


 大男が反射で叫んでから、すぐに小さくなる。


「……ちがう。俺ら……港で荷運びしてた」


「つい最近まで普通に。ほんとに」


 中肉中背が慌てて補足する。


「それが……先日……」


 リーダーが言いよどむ。強がりの皮が剥がれた顔だ。


「……ナイトクルーに、やられた」


「やられた?」


 私が聞き返すと、三人が同時に頷いた。


「身ぐるみ剥がされた!」


 大男が悔しそうに言う。


「靴も!」


「財布も!」


「上着も!」


 リーダーが追い打ちみたいに言葉を重ねる。勢いだけはあるのに、その勢いが情けなさに変換されてしまっている。


「腹も減って……仕事も飛んで……」


「……それで?」


 ガルドが言うと、リーダーがぐっと顎を上げた。


「それで……これだ! って思ったんだよ!」


 胸を張る方向が、妙だ。


「真似すりゃ……怖がって払うと思ったんだよ!」


「今日が初営業っす!」


 中肉中背が挙手みたいに言う。


「うまくいったと思った!」


 大男も続いて、妙に自信満々に頷いた。


 ガルドが数秒だけ黙ってから、ぽつりと言った。


「……その割に、板につき過ぎだろ」


「えっ」


 リーダーの目が輝く。


「え、マジ? 俺、向いてる?」


「いや、褒めてないから」


 私は即座に切った。


「褒めてない、っていうか、方向性が終わってるから」


「……終わってるって言うなよ!」


 リーダーが反射で叫び、すぐに「……すんません」と小さくなる。


 セイルが中肉中背を掴んだまま首を傾げた。


「でもさ。今日が初めてなら、なんであんなに自信満々だったの?」


「怖がらせるのは得意っす」


「それ、誇る事じゃないからね?」


 セイルが真顔で言って、ガルドが笑う。


「で、本物は何してくんだ」


 ガルドの声が少し低くなる。


 私も視線を三人に戻した。


「そう。本物。あなたたちが真似したくなるくらい、“効く”理由があるんでしょ」


 三人組の顔色が、目に見えて悪くなった。


 中肉中背が唇を噛み、リーダーが目を逸らす。大男だけが正直に震えている。


「……港の、“夜の集金”だ」


 リーダーが絞り出すように言った。


「夜税。夜の通行料。……そういう名目で、金を取る」


「夜税?」


 セイルが復唱する。


「税って……誰に納めるの?」


 リーダーが黙る。中肉中背が慌てて代わりに答えた。


「納めないっす。……あいつらが、そのまま持っていくっす」


「じゃあ、税じゃないじゃん」


 セイルが素直に突っ込む。


「でも……逆らえないっす」


 中肉中背の声が細い。


「払えない店は……力づくで。売上袋ひっくり返したり、お店を蹴っ飛ばしたり。次の日から客が寄りつかなくなるように、わざと派手にやる」


「反抗すると?」


 私が聞くと、大男が拳を握りしめた。


「色々だ……身ぐるみ剥がされたり。財布だけじゃなくて……靴も、上着も。生きて帰れるだけマシ、みたいに」


 ガルドが舌打ちをする。


「分かりやすい悪役だな」


 テオが無言のまま、三人の表情を観察していた。次に、ぽつりとだけ言う。


「目印」


 リーダーが頷く。


「……印がある。ちゃんと拭けないやつ。あいつらは全員刻んでる、って噂だ。手の甲とか、手首とか、首のとことか」


「……拭けない、印」


 私はその言葉を頭の中で反芻した。


 テオはそれ以上言わず、静かに視線を通りの方へ向ける。何か気配を拾ったみたいに。


 通りの角に小さな屋台が見えた。


 湯気が減って、鍋に布をかけている背中。


 あの、普通のスープ屋のおじさんだ。


 ——“普通でいなさいな。その方が長生きできる”


 あの言葉が胸の奥で嫌な形に響いた。


 中肉中背が青ざめて唾を飲み込む。


「……来る。来るって。あの時間帯だ」


 大男も、怯えた目で屋台を見た。


「夜税のやつらだ……」


 リーダーが小声で震える。


「見つかったら俺らも終わる……」


「見つかるって?」


 セイルが聞き返す。


「……俺ら、真似したから。もし、顔……覚えられちまったら……」


 リーダーの声が消え入りそうになる。


 通りの向こうから足音が近づいてきた。


 人混みに紛れているのに、歩き方だけで分かる。


 “狩る側”の歩き方だ。


 二人、三人。港の作業着に似た格好で、どこにでもいそうなのに、目が違う。


 屋台のおじさんの前に代表格らしい男が立った。


「夜税だ。今月分」


 言い方が淡々としているのが逆に腹立たしい。


 おじさんが鍋にかけた布から手を離し、愛想笑いを作る。


「今月分って……今日は売れなくてね。せめて明日——」


「関係ねぇ」


 代表格が売上袋を指で弾くみたいに叩いた。


「払えないなら、払えるようにしろ」


「……そんな簡単に」


「簡単だろ。ほら」


 男が袋に手を伸ばす。


 おじさんが一瞬だけ身を引く。

 それが、もう“逆らえない”の証明みたいで。


 代表格は袋を持ち上げ、軽く振った。


「軽いな」


 次の瞬間、袋を地面に放り投げた。硬貨が石畳に散って乾いた音が跳ねる。


「やめてくれ……!」


 おじさんが膝をつきかけたところで、別の男が鍋を指で叩いた。


 コン、と鈍い音。


「これは売れ残りか?」


「それは……明日の分で……」


「明日?」


 代表格が笑うでもなく鼻で息を吐いた。


「明日まで店が残ってりゃいいな」


 そして、鍋の縁を押した。


 ぐらりと傾く。


 熱いスープが石畳に流れ落ちた。湯気が立って、匂いだけが虚しく広がる。


 おじさんの顔が崩れた。


 そこへ、腹いせみたいに屋台で使っている器が投げられた。


 軌道はまっすぐ、おじさんの顔の高さへ。


 その瞬間、私は反射で指先に意識を集めた。


 「結び目」を境に投げられた器の軌道が、ふっと曲がった。


 壁の方へ逸れ、石に当たって甲高い音を立てて割れる。


 おじさんが目を見開いた。何が起きたか分からない顔で。


 代表格が視線をこちらへ向ける。


 ガルドが一歩前へ出た。


 通りの真ん中に立つだけで空気が変わる。


「……今の、やり過ぎだろ」


 低い声がぶつかった。


 代表格がガルドを見て、次に私たち全員を見た。獲物かどうか測る目。


 セイルがふわっと前に出る。笑顔のまま、柔らかい声で言った。


「夜税って、港の正式な取り決めなの?」


「は?」


 代表格が眉を動かす。


「正式なら、帳場があるよね。記録も、領収も」


 セイルの言い方が“確認”なのに、質問の刃が細い。


 テオは何も言わず、代表格の手首を見ていた。


 そこに、ちらりと見えた黒い印。


 にじまない。輪郭が硬い。


 拭けば消える程度のものじゃない、と直感が言う。


「外の人間が口出すな」


 代表格が吐き捨てる。


「ここはエルナート。夜の筋は夜の筋だ」


「筋、ね」


 ガルドが口の端を上げた。


 代表格が一瞬、こちらの人数と体格を測る目をしたあと、舌打ちする。


「今日は“赤灯台裏”で忙しいんだよ」


 聞き慣れない言葉が落ちた。


 赤灯台裏。


 港の匂いの向こうに、嫌な影が伸びる感じがした。


 代表格が踵を返しながら、最後にこちらを振り返る。


「……顔は覚えたからな」


 その言葉だけが通りの空気を冷やした。


 三人組が目に見えて震える。


 リーダーは歯を鳴らしそうな顔で、膝が笑っている。


 中肉中背は笑顔を作る余裕すらなく、大男は肩をすぼめ、息が浅い。


 私は追わなかった。


 ここで追えば、ぶつかる。ぶつかって勝てるかどうかじゃない。今はまだ、筋が足りない。


 代表格たちは人混みに紛れて消えた。


 屋台の前に残ったのは、流れたスープの湯気と、散った硬貨と、呆然と立つおじさんだけ。


 私たちは最低限だけ手を動かした。


 セイルが硬貨を拾い、布に包んでおじさんに渡す。


 ガルドが倒れかけた鍋を起こし、火の始末を確認する。


 テオは何も言わず、散った破片を寄せて安全な場所にまとめた。


 おじさんは、苦笑いみたいな顔で私を見る。


「……普通でいろって言ったろ」


 責めるでもなく、けれどどこか本気で心配している声。


「こういうのに首突っ込むと、長生きできないぞ」


「……分かってます」


 私は息を吐いた。


 分かってる……分かってるけど。


 踏みにじられるのを、目の前で見てしまったら。


 知らないふりは、できない。


 おじさんはそれ以上言わず、背中を丸めて店を畳み始めた。


 背中が、少しだけ小さく見えた。


 私は振り返って三人組を見た。


 まだ、掴まれている。


「ねえ」


 私が声をかけると、リーダーがびくりと跳ねた。


「……な、なんだよ」


「赤灯台裏って、どこ」


 中肉中背が顔を引きつらせる。


「言ったら……俺ら……」


「言わなきゃ、もっと困るよね」


 私は静かに言う。


 ガルドも視線を落とす。


「お前ら、まだ知ってることがあるなら全部吐け」


 セイルは笑顔を崩さないまま、けれど声はやけに優しい。


「今さらだよ。……さっき、ばっちり見られてたし」


「必死に目逸らしてた“俺ら”の事実をサラッと言うな!」


 中肉中背が泣きそうになる。


 私の胸の奥で、さっきまでの“普通だな”という感覚が、別の形に変わっていく。


 普通の港町。


 普通の通り。


 普通の屋台。


 ——でも、“裏”があるなら、こっちが知らないままでいる方が危ない。


 旅人のつもりだった。


 でも、“普通”が踏みにじられるのを見たら無視できない。


 リーダーが観念したように、震える声で言った。


「……港の、赤い灯台があるだろ。あれの裏……倉がある。夜になると……人が出入りする」


「そこにナイトクルーが?」


 セイルが即座に聞く。


「……いる」


 ガルドが笑った。楽しい笑いじゃない。


「よし。今夜だな」


 私は小さく頷いた。


 “赤灯台裏”——その言葉だけで、港の匂いが少しだけ嫌なものに変わった気がした。


 今夜、ただの旅人のふりをしたまま、私たちは“裏側”を見に行く。

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