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第51話 揺らぎ始めるステージ

 スポットライトが急に強くなった。

 私とアルミダだけを切り取るように、周りをじわじわと闇に沈めていく。


 眩しさに思わず目を細める。それでも、視線だけは逸らさないように踏ん張った。


 アルミダが絵画の一場面みたいな優雅さで手を上げる。


 その合図に応えるように舞台袖から列をなして人々が現れた。

 全員が同じような奇抜な装い。紫と金の服に、首元から腰まで幾重にも鎖を巻きつけている。髪型も、化粧も、歩き方さえ揃えられていて、まるで一つの型から抜き出された人形のように。


 音楽が切り替わる。派手で、耳にべったり張り付くような旋律。

 照明も赤と紫のきらびやかな光が交互に点滅し始め、視界の中で色がせわしなく入れ替わる。


「ご覧なさい」


 アルミダが観客席に向かって腕を広げた。


「揃った色、揃ったライン、揃った美しさ」


 モデルたちが一糸乱れぬ動きでポーズを決める。

 角度も視線も、首の傾きさえも、ぴたりと揃っている。そこには「似ている」ではなく、「同じ」に近い何かがあった。


「不安も迷いも、全部『同じ』で塗りつぶしてあげれば、人は楽になれるの」


 アルミダの視線が、ゆっくりと観客席をなぞる。


「さっき、鎖を外した人たちもいたわね……でも、いつまで持つかしら?」


 その言葉にさっき鎖を外した女性が、不安そうに自分の首元へ手を当てた。指先がもうそこにはない重みを探るみたいに、肌の上を落ち着きなくさまよう。


「一時の感情に流されて外したところで、結局また『揃えたい』って思うようになる。それが人間の本質よ」


 観客席からぽつりと呟きが漏れる。


「確かに……落ち着く」


「いつもの……感じ」


 けれど、鎖を外した人たちの表情は複雑だった。

 安心と不安が同時に浮かんで、目元でぶつかり合っている。


 ——“いつもの感じ”って、本当に楽なだけなんだろうか。


 胸の奥に小さなざらつきが残ったまま、私は唇を噛んだ。


     ◇


 アルミダが私に視線を戻す。甘い声で、でも毒を含んだ笑みを浮かべながら。


「さあ、『揃っていない美しさ』のお手並み拝見といきましょうか」


 一歩、私に近づいてくる。

 ヒールの先がわざと音を立てるみたいに板の床を叩いた。


「あなた、もう一度歩いて見せてちょうだい」


 「えっ……」


「今度は、この子たちの隣を歩いてみせるの」


 アルミダは、自分のモデルたちを示した。


「どちらが『美しい』か、この街の人たちに決めてもらいましょう」


 喉がきゅっと締まる。


 ——最初から「比べられる前提」の提案。


 「選ばれる側」と「選ばれない側」で、また線を引こうとしている。

 見世物みたいに並べられて、値踏みされて、どちらかが「負け」になる。


 観客席がざわめいた。


「ちょっと酷くない?」


「でも……見てみたい気持ちも……」


 好奇心と違和感が半々くらいで混じり合っている。


 私は答えを探して唇を噛んだ。受けるべきか、断るべきか——

 胸の中で「怖い」と「逃げたくない」が綱引きを始めた、その時。


 黒幕の向こうで、ギシッと床板が鳴った。



     ◇



 視界の端に、大きな影が動くのが見えた。


 ガルドだ。


 黒幕を押し分けるようにして、堂々とステージに上がってくる。マリーの服を着たままの、あの「守る背中」が、また前に立った。


「あ、さっきの……」


「一番前を歩いてた人だ」


 観客が囁き合う。


 ガルドはアルミダを見据えて低い声で言った。


「おいおい、『勝負』って言うなら、せめて同じ土俵にしてくれよ」


 床を踏みしめる重たい音が、劇場に響く。


「ミナは一人でここに立ってんじゃねぇ。俺たちも一緒だ」


 そう言って、私の隣に並んで立つ。

 肩幅の広い体がスポットライトの一部を遮ってくれた。光が少し和らいで息がしやすくなる。


「比べるにしても、一人だけで『見せ物』みたいに並べんのはちょっと趣味が悪ぃんじゃねぇか?」


 ——また前に立ってくれた。


 でも、ただ守られているんじゃない。

 ガルドの足は、私より半歩だけ前に出ていて、その半歩分だけ一緒に立っている距離感だった。


 アルミダが冷笑を浮かべる。


「まあ、頼もしい『付属品』ね」


 その言葉の刃がガルドじゃなくて、ガルドに守られている私に向いているのが分かる。


「でも、付属品がどれだけ騒いでも、見るのは『商品』よ」


 ——“商品”。


 喉の奥が嫌な音を立ててきゅっとなる。


 でも、ステージが「私一人対アルミダ」から、ゆっくりと、別の形に変わり始めているのが分かった。


     ◇


 続くように、セイルもステージに足を踏み出した。


 途中でくるっと一回転しながら登場して、重たくなりかけた空気をひと撫でするみたいに和らげる。風を連れて歩いた時と同じ、軽やかな足取り。


「じゃあさ」


 セイルが両手を広げて提案する。


「貴女の思う『揃った美しさ』と、ぼくたちの『ばらけた美しさ』」


 視線でアルミダ側と私たち側を順番になぞる。


「どっちが好きか、『今ここにいる人たち』に聞いてみればいいんじゃない?」


 アルミダが、自信満々に頷きかける。


「ふふ、それはもちろん——」


「ただし」


 セイルがすかさず条件を付けた。


「『今の気持ち』でね」


 観客がざわめく。セイルは続けた。


「鎖の数とか、昨日までの価値観とか、ぜんぶ一回置いといて」


 口調は軽い。でも、言っていることは全然軽くない。


「『今この瞬間の自分』で、好きな方に手を挙げるとか、声をあげるとか。それなら、きっと本当の『美しさ』もちゃんと届くでしょ?」


 観客席から、ぽつぽつと反応が返ってくる。


「今の気持ち……」


「昨日までの価値観を置く……?」


 自分の胸に手を当てる人。

 首元の鎖を無意識にいじり始める人。

 セイルの言葉が、ゆっくりと会場の空気に混ざっていく。


 セイルは口調を崩さないまま、確実に「自分で選ぶ」方向へ空気を引っ張っていた。


 アルミダの額に、うっすらと汗が浮かぶ。

 「今この瞬間の自分で選ばせる」という条件に、本能的な嫌悪と恐れが混じっているのが分かった。



 場が揺れかける。


 そして、ステージと客席の境目あたりに静かな足音が一つ進み出た。


 テオだ。


 舞台の上ではなく、ちょうど観客側とステージ側の境界線に立つ。

 両方を見渡す監査役みたいな位置取りだった。


「テオ?」


 私が小声で振り返ると、テオは客席に並んだ小瓶をじっと見つめていた。


 輝きの雫。

 ほとんど空になったもの、何杯目か分からないほど積まれている瓶。

 そのガラス越しに揺れる液体の残りが、ステージの光を濁ったような色で反射している。


 テオが淡々と口を開いた。


「輝きの雫、綺麗になる飲み物じゃない」


 その一言で、会場が静まる。


「不安、緊張、『なだらかにする』成分、含まれてる」


 低く、事実を並べるように。

 でも、言葉の内容はさっきまでの派手な音楽よりよほど強く耳に残る。


 観客がざわめき始めた。


「え……?」


「なだらかに……?」


 テオは続ける。


「それ自体、悪いとは限らない。でも——」


 一拍、間を空ける。

 そのわずかな沈黙が逆に不安を膨らませた。


「『自分で考える』、放棄しやすくなる」


 あちこちから、不安を帯びた声が上がった。


「え、そうなの……?」


「確かに飲むと楽にはなるけど……」


「最近、飲まないと落ち着かなかったかも……」


 言いながら自分の手元の瓶を見下ろす人。

 空になった小瓶を握りしめていることに、今さら気づいて慌てて手を離す人。

 膝の上で組んだ指が震え始める人。


 空気の温度が、一度すっと下がった。


 アルミダが、すぐに反論する。


「不安を和らげる飲み物を用意することの、どこが悪いの?」


 声音には、さっきまでになかった焦りが混ざっていた。


「人が本来持っている美しさを引き出すには、余計な緊張は邪魔よ。それに——飲むかどうか決めているのは『本人』でしょう?」


 一見、もっともらしい言葉。


 けれど、「本人が決めている」という部分だけ、妙に強く押し出しているように聞こえた。


 テオは視線だけをアルミダへ向け、短く言う。


「『落ち着く』、『考えなくなる』、別物」


 静かな指摘だった。


 そして、決定的な一言が続く。


「それと、微量の依存性物質、確認済み」


 空気が凍りつく。


 アルミダの顔色がさっと変わった。

 さっきまで余裕を浮かべていた頬から、血の気が引いていく。


 観客席は、今度こそ完全なざわめきに包まれた。


「依存性……?」


「どういうこと……?」


「冗談でしょう……?」


 かすれた声で笑おうとした人の笑いが、途中で折れる。

 「今日も一杯だけ」と自分に言い聞かせてきた日々を思い返すみたいに、目を見開く人。

 隣の席の友人と顔を見合わせて、同じタイミングで首元の鎖に触れる人。


「そういえば……」


「やめようとしたら、頭が重くて……」


「飲まないと、鏡を見るのが怖かった……」


 断片的な言葉が、あちこちから漏れ出した。


「人の噂に振り回されないように、って……」


「“これを飲めば、もう迷わずに済みますよ”って、言われた……」


「嘘よ」


 アルミダが、一歩前に出て言った。


「そんなもの、あり得ないわ。あれはただの——」


 言い切る前に、自分の言葉に自分でつまずいたみたいに、ほんの一瞬だけ目を泳がせる。


「……ただの、不安を和らげるものよ。どこにでもあるでしょう、そういうものくらい」


 苦し紛れの笑顔。

 でも、その笑顔が誰に向いているのか、自分でも分かっていないみたいだった。


 前列にいた女性が、震える声で言う。


「わ、私……」


 みんなの視線が集まる。


「最初は、綺麗になりたくて飲んでたんです。鏡を見るのが、少しだけ楽になって……」


 そこで言葉が詰まり、唇を噛む。


「でも、そのうち“飲まないと人前に出られない”って、思うようになって……。今日も……本当は、飲まないで来てみようと思ったのに……」


 彼女の手の中で、小瓶がかすかに震えた。


「それでも、入口で“今日は特別に”って勧められて……」


 その証言に、別の席からも声が上がる。


「私も……」


「私なんて、二杯目を勧められて……“もっと似合うようになりますよ”って……」


 ざわめきは、もう単なる混乱ではなかった。

 それぞれの胸の中で、「自分の意思」だと思っていたものが、本当にそうだったのかどうかが揺らぎ始めている。


 テオはそれ以上何も言わなかった。ただ、静かに会場を見渡している。


 その沈黙が、「もう十分説明した」という彼なりの態度に見えた。


 やがてテオは、境界線から一歩だけステージ側に移動し、私たちの並びに自然に合流する。

 力づくでは何もしないけれど、「ここを見ている人」がこちら側にもいる——その事実だけで、場の空気は確かに変わっていった。


     ◇


 会場がざわつく中、舞台袖から一人の女性が現れた。



 集会で会った、アルミダの弟子であるリサ。

 緊張で青ざめた顔をしているけれど、あの時と同じ真面目そうな瞳が、今は別の色——何かを決めた人の色を宿している。


 手には輝きの雫が並んだトレイ。

 いつでも客席へ運べる位置に控えているけれど、足がすくんでなかなか動けないでいる。


 アルミダが、ざわめきを抑えようと口を開きかけた。


「安心なさい。これは——」


 カチン。


 リサのトレイが震えて、グラスが小さく音を立てた。


 その音が静かな鐘みたいに会場に響く。


 リサが一歩だけ前へ出た。


「リサ?」


 アルミダが怪訝そうに弟子の名を呼ぶ。


「……アルミダ様」


 リサの声は震えていたけれど、はっきりと届いた。


「もう……やめましょう」


 会場の視線が一気にリサへ集まる。


 リサは震える手でトレイを胸の前に抱えながら、勇気を振り絞って続けた。


「……私、輝きの雫の『おすすめの仕方』も、教えられてきました」


 喉が詰まりそうになりながらも、言葉を紡ぐ。


「不安そうな顔の人には、『これを飲めば楽になれます』」


「鎖をつけていないお客さんには、『絶対似合うと思いますよ』って」


 観客席から息を呑む音が聞こえた。


「私……アルミダ様に拾ってもらって、この街で生きてこられました」


 リサの目に涙が浮かぶ。


「『こんな私でも綺麗になれる』って、教えてくれたのもアルミダ様です。だから、ずっと信じてきたんです。『揃っていることが、みんなのためなんだ』って」


 そこで一瞬、リサの視線が私を捉えた。


「でも……」


 声が震える。


「ある日……こんなの、まやかしだって気づいたんです」


 リサは自分の手を見つめた。


「その時、自分の手がすごく冷たくなって……『私、この手で、どれだけたくさんの人に雫をすすめてきたんだろう』って」


 トレイをぎゅっと抱きしめる。


「私、本当は……『その人のままの綺麗さ』を見て服を作りたくて、誰かの幸せになる手伝いをしたくて……この仕事を始めたはずなのに」


 涙が頬を伝う。


「いつの間にか、型にはめるための『揃えていく方の手』になってて……」


 観客席から声が上がった。


「リサちゃん……」


「あの子、前に私の服を直してくれた子だ」


「昔、『このままでも可愛いですよ』って、言ってくれてた……」


 


 そして、リサの言葉が終わる頃にはアルミダの笑顔はほとんど形だけになっていた。


「……リサ」



 低い声で弟子の名を呼ぶ。アルミダの内側から初めて、はっきりとした「揺らぎの声」が表に出た瞬間だった。



「私は、いつあなたに『そんなみっともない顔を見せろ』と教えたかしら?」


 リサがびくっと肩を震わせる。

 でも、その場からは逃げなかった。


 アルミダの声に感情が混じり始める。


「……あなたを見初めたのは、誰よりも『素朴で、何色にでも染められる』資質があったからよ」


 その言葉に、観客から小さく「それって……」という反応が漏れる。


「それをこんなところで、勝手に別の色へ滲ませるなんて——」


 アルミダは視線を観客席に向けて、声を張り上げた。


「いいこと?この街は、もともとバラバラだったの」


 必死さが滲む声。


「自分の顔も、体型も、声も——ぜんぶ嫌いだって泣いてたアナタたちが、私のところへ来て、鎖と服を与えられて、ようやく笑えるようになったのよ!」


 ——その「泣いていた人」の中に、若い頃の自分も混じっているような。


 そんな影が、アルミダの瞳の奥に一瞬だけ揺らいだ気がした。


「本来は、誰にも見られないようなアナタ達が!」


 声が裏返りそうになる。


「あの子のような一握りの『ちっぽけな意見』なんて、大多数には何の役にも立たないのよ!」


 その瞬間、客席からはっきりとした反発の声が上がった。


「そんなことない!」


「勝手に決めないで!」


「さっき、あの子の言葉で楽になった!」


 一人、また一人と声が増えていく。


 ——アルミダの叫びの中に、「自分で自分をそう呼んできた人」の気配を感じる。


 自分のこともずっと「見られない、選ばれない側」だって決めつけて、だからこそ「選ぶ側」に立ち続けようとしてきたんじゃないかって。



     ◇



 ステージの上に、いつの間にか「並び」ができていた。


 中央やや前に私。


 その斜め前に一歩出ているのがガルド。

 反対側には、軽い構えでセイル。

 ステージ端近くには、テオが静かに立って会場全体を見ている。


 そして、少し後ろ——

 アルミダ側から抜け出して、リサが私たちの列の端っこに立った。まだトレイを抱えたままだけど、確かにこちら側に。


 ——さっきまで「ここにいるのは私一人」だったのに。


 いつの間にか、いくつもの足音が私と並んで前を向いている。


 私は一歩前に出て、再びアルミダを正面から見た。


「……アルミダさん」


 できるだけ穏やかに、でも逃げない声で。


「貴女が『揃え続けてきた理由』を、ちゃんと聞きたいです」


 アルミダの瞳が揺れる。


「その上で、美しさってどういうことなのか、一緒に考えてほしいんです」


 アルミダは、すぐには返事をしなかった。


 唇がわずかに震え、喉が上下する。

 瞳の奥に、「誰かにそう言ってほしかった自分」の影が一瞬だけ浮かぶ。


 でも、すぐにそれを押し殺すように目を細めた。


 観客席は複雑な空気に包まれている。

 怒り、戸惑い、期待、怖さ——色んな感情が混ざり合ってざわめいていた。


 けれど、もはや「アルミダ様が全部決めてくれる」という、あの静かな服従ではない。


 一人ひとりが自分の感情と向き合い始めている空気だった。


 アルミダの指先が無意識に自分の首元の鎖に触れる。


 それは「見せるポーズ」ではなく、喉元を守るような仕草。

 その指がほんの少し震えている。


 ——まだ、何も認めていない。


 それでも、「揺るがない女王」だと思っていた指先は、もう確かに少しだけ震えていた。

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