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第50話 支配の鎖と心の結び目

 心臓の音が、まだ耳の奥でどくどく鳴っている。


 さっき、ステージから降りようとした足を呼び止めたアルミダの声。

 その余韻が板の床と一緒に、じわじわと足裏から伝わってくるみたいだった。


 ——今、“ここから先”に足を出すのは、私しかいない。


 その「しかいない」が怖くて、でも少しだけ誇らしかった。


 アルミダはステージ中央にゆっくりと、けれど確信に満ちた歩幅で歩み出る。


 ヒールが板を打つたびに乾いた音が会場の空気を切り裂いた。

 光を拾うアクセサリーが眩しいほどにきらめき、完璧に整えられた微笑みが舞台用の仮面みたいに観客席へ向けられる。


 そこに立つ姿は、誰が見ても「絵に描いた女王」だった。


「まずは……お疲れさま」


 アルミダが私に視線を向けた。


「とても、興味深いショーだったわ。『普通の子』にしては、よく頑張ったわね」


 柔らかい言葉。柔らかい声。


 けれど、その奥にある輪郭は全然柔らかくない。「普通の子」という一言で、ちゃんと線が引かれている。


 ——あなたは特別じゃない子。ここに立つのは場違いな子。

 そう言われたような気がして、胸の奥がひやりとした。


「でもね」


 アルミダは私から視線を外し、観客席を見渡す。


「この街の人たちは、長いあいだ『揃っていること』で安心してきたの」


 その声色は、子どもに言い聞かせる母親みたいに、優しさを“装って”いる。


「同じ鎖、同じ色、同じ服装、同じ笑顔。自分で選ばなくても、私が『似合うもの』を与えてあげる」


 自分の首元の豪華な鎖に、すっと指先を添える。


「それがどれだけ『救い』になってきたか、あなたには分からないでしょう?」


 観客席から、小さな同調の声が上がった。


「確かに……自分じゃ何も決められなかったし……」

「アルミダ様がいなかったら、どうしていいか分からなかった」


 その声には媚びだけじゃない。

 本当に、あの鎖にすがっていた人たちの、少し滲んだ安堵が混じっていた。


 ——確かに、救いだった瞬間もあったんだ。


 それは、多分嘘じゃない。

 だからこそ、余計に難しい。


 「全部間違ってる」って切り捨てられたら、きっともっと簡単なのに。


 私は喉の渇きをごまかすみたいに唾を飲み込んで、恐る恐る口を開いた。


「……揃ってるのが安心する人も……いると思います」


 声が少し震えるけれど、その震えも今の私の一部だ。


「でも——『揃えられるのが怖い人』も、います」


 アルミダの眉が、ほんのわずかに持ち上がる。


 私は、自分の過去を少しだけ掘り起こした。


「誰かに合わせて笑っていれば安全って、思っていたことは……正直あります」


 喉が詰まりそうになる。でも、ここで黙ったらきっと何かが後戻りする。


「『らしいね』って言われるのが嬉しかったこともある。でも……それ以外の自分は、いつも『間違い』みたいで」


 胸に手を当てると、マリーの刺繍の感触が指先に触れた。


「私は鎖をつけてないけれど、心にはずっと巻いてました。『これ以上は出ちゃいけない』っていう、見えない鎖」


 一度、ゆっくり息を吸い込む。


「それが最近……少しだけど、ほどけた気がするんです」


 言い終えた瞬間、ステージの向こうで小さなざわめきが広がった。


「……分かるかも」

「私も、ずっと『同じにしなきゃ』って思ってた」


 それぞれの席から、それぞれの声が勝手に漏れたみたいな、そんなばらついた反応。


 ——ちゃんと届いてる。


 大きな声ではないけれど、「分かる」と言ってくれる相手が、確かにそこにいる。


 胸の奥に小さく結び目ができる。

 それは自分のためだけじゃなく、今、声を上げてくれた誰かとの結び目でもあるような気がした。


 アルミダの表情がわずかに硬くなる。

 声にもさっきまではなかった苛立ちが混じり始めた。


「あなたは勘違いしているわ」


 一歩、こちらに近づいてくる。

 ヒールの音がさっきよりほんの少しだけ強く床を打った。


「私は、この街の醜さと不安を『引き受けてきた』の。何も選べない人たちの代わりに、選んであげた。その結果が、今の『整った美しさ』なのよ」


 真上から落ちてくるみたいな視線が、私を上から下までなめていく。


「あなたみたいな地味な子こそ、本来なら私が『整えてあげなきゃいけない側』なのに」


 その言葉が胸に突き刺さる。

胸の奥で、かつて何度も自分に向けてきた言葉と重なってしまう。


「今日だって、あなた一人じゃここまで来られなかったでしょう?」


 ——図星だった。


 胸の奥がチクリと痛む。

 確かに、一人じゃここまで来れなかった。ガルドがいて、セイルがいて、テオがいて、マリーがいて……そのことは否定したくない。だからこそ、反論の言葉が喉でつかえて出てこない。


 観客席から、アルミダに同調する声も聞こえてきた。


「アルミダ様がいなかったら、私は……」

「選んでもらえて……楽だった」


 アルミダのやり方が、この街で“実績”を残してきたこと。

 その重さも確かにここにある。


 私は一瞬俯いて、ぎゅっと唇を噛んだ。


 ……それでも。


 視線をゆっくりと持ち上げて、アルミダを正面から見つめる。


「……そうですね。一人じゃ、ここまで来れなかったです」


 まずは……認める。

 それは私の弱さじゃなくて、私が誰かと一緒に歩いてきた証拠だから。


「だからこそ、今日ここにいるのは『私一人じゃない』」


 黒幕の向こう側を思い浮かべる。

 そこで待っている仲間たちの気配が、背中からじんわりと伝わってくるようだった。


「前を守ってくれた背中も、風を通してくれた歩き方も、足場を整えてくれた手も、服を作ってくれた手も」


 一人ひとりの顔が、胸の中で順番に浮かぶ。


「それぞれ『違う美しさ』を持ってて、その全部に助けられて、私はここに立ててます」


 言葉にしながら、改めて実感する。

 今ここにいる「私」は、私一人分だけじゃなくて、みんなの美しさが少しずつ混じった結果として立っているんだ、って。


 アルミダの笑顔がほんの少しだけ歪んだ。


 私はその隙間を逃さず、静かに続ける。


「貴女の選んだ『揃った美しさ』が、誰かを救った瞬間も、きっとあったんだと思います」

 

 それは否定しちゃいけないことだから。

 だからこそ、正面から認める。


「でも……『自分で選ぶ』っていう結び目を、全部最初からほどいて、代わりにあなたの結び目だけに縛り直させるのは——」


 短く息を吸う。


「それは『美しさ』じゃなくて、『支配』なんじゃないでしょうか」


 しん、と一瞬だけ空気が止まり、それからざわめきが広がった。



「本当は……自分で選びたい時もあった……」

「言われた通りにしてただけだったかも……」


 誰かを一斉に責める声じゃない。

 「自分のこと」を思い返してしまった人たちの、ばらばらな独り言が重なっていく。



     ◇



 アルミダの笑顔が、初めてはっきりと形を変えた。


 口元の笑みは残っているのに、目元の筋肉がぴくりと痙攣する。

 その小さな乱れが仮面の内側に溜まっていた苛立ちと動揺の存在を教えてくれる。


「……美しさを語るには、あなたは少し『経験不足』ね」


 声がさっきよりずっと冷たい温度を帯びる。


「あなたぐらいの子なら、いくらでも替えがきくのよ。髪型を変えて、服を変えて、少し痩せさせれば、誰でも『それなり』には可愛くなる」


 その言葉の端々に、金属みたいな硬さが混じっている。


 胸の奥で、過去の記憶がざわっと立ち上がった。


 ——『別に、代わりはいくらでもいるから』


 冒険者ギルドで、そう言われた日のこと。

 必要とされなかった自分が、まるで透明人間になったみたいだったあの感覚が喉の奥に苦く蘇る。


「そうやって『私の型』に入れてあげれば、みんな同じ顔で笑える」


 液体を型に流し込むみたいに、均一に整えられた笑顔。

 そこにこびりついた「便利さ」と「諦め」が、今のアルミダの価値観の色を決めている。


 さらに、彼女は小さく吐き捨てるようにつけ加えた。


「そんなので……選ばれるわけないじゃない」


 ほんの一瞬。

 その言葉だけ、なぜか他のどれよりも生々しい痛みを伴って聞こえ、それが私の胸にも刺さる。


 私は息を吸い込んだまま、拳を握りしめた。


 ——選ばれないって、こんなにも刺さる言葉だって知ってるのに。


「……私は、『替えがきかない自分』として、今ここにいます」


 震えそうになる声を、なんとか支えながら言う。


「たとえそれが、世界で一番地味な私でも」


 足の裏で板の感触を噛みしめながら言葉を置く。


 観客席のどこかから小さな呟きがこぼれた。


「替えがきくなんて言われたら……たまったもんじゃないよ」


 それに続くように、いくつか「それはちょっと……」という空気が広がっていく。


 ——会場の空気に小さな亀裂が入った。


 同時に、私はアルミダの言葉の中に妙な「温度のギャップ」を感じたことを思い返していた。


 口調は冷たく整っているのに、「選ぶ/選ばれない」という単語にだけ、妙な熱と棘が乗っている。


 ——まるで、自分で、自分のことを『選ばれなかった側』に置いたことがあるみたいに。


 その違和感が一つの直感に繋がる。


 ——この人は、きっと最初から支配者だったわけじゃない。


 私は一拍、呼吸を整えてから、相手を責めるためじゃなく「感想」として言葉を置いた。


「……アルミダさん」


 できるだけ柔らかく、でも逃げない声で呼びかける。


「さっきからお話を聞いてて、なんだか……『整った美しさ』のことを話してるっていうより……」


 言葉を選ぶ。

 刃ではなく、そっと触れる指先として。


「『選ばれなかった誰か』のことを、ずっと守ろうとしてるみたいに聞こえます」


 そこまで言ってから、少しだけ息を吸い直す。


「もしかして、貴女にも……そんな経験があるんじゃないですか」


 その瞬間、アルミダの反応に「一コマだけ素顔」が漏れた。


 目がわずかに見開かれる。

 手元の鎖飾りを握る指にぎゅっと力が入る。

 ヒールのかかとが、無意識に板を強く打ち、さっきよりも低く鈍い音が響いた。


 観客の大部分は、その小さな変化に気づかない。

 でも、目の前で見ている私にははっきりと伝わった。


 ——今、絶対に何かが刺さった。


 黒幕の向こうの仲間たちもきっと、空気の揺れでそれを感じ取っているはずだ。


 アルミダはすぐに微笑みを作り直し、声色も急いで元通りに戻そうとする。


「……くだらないわね」


 笑い飛ばそうとした声に、かすかな震えが混じっていた。


「この街で一番美しい私が?」


 とっさに顎を持ち上げ、照明をいちばんよく受ける角度を取り戻す。

 その仕草が、自分を無理やり「選ぶ側」にねじ戻そうとする最後の防壁みたいに見えた。


「選ぶ側に決まってるじゃない」


 言葉の表面だけ見れば、いつもの自信に満ちた女王の調子。

 でも、その裏側で何かを必死に押し込めている気配が、今はもう隠し切れていなかった。


「『選ばれなかった誰か』なんてとっくに……いえ、そんなもの、最初から存在しないわ」


 ——「とっくに」と言いかけて、飲み込んだ。


 その「とっくに」の一瞬に、過去に選ばれなかった誰かの影が見えた気がした。


 そして、もう一つの感覚もあった。


 ここで、答えを吐かせるために追い詰めるような言葉を重ねるのは、きっと違う。


 ——そんな感覚。


 彼女の中の「痛かったところ」を、私が勝手にこじ開けるんじゃない。

 そこに、自分で指を伸ばせるようになるまで。

 

 一緒に、少しずつ戻ってきてほしい。


 そんなことを考えてしまう自分に、心のどこかで苦笑した。


 ……でも、その甘さも含めて、今日ここにいるのは私。


 だから、それ以上は具体的なことを聞かなかった。


 アルミダは一度、深呼吸をしてから話の流れを無理やり元に戻した。


「……話が逸れたわね」


 そう言って、再び完璧な笑顔を貼り付ける。

 けれど、さっきまでと違って、その笑顔のどこかに小さな空洞ができているのが分かる。


「さあ、『揃っていない美しさ』がどれだけ脆いものか——ここから、みんなに見せてあげましょうか」


 言葉だけ聞けば自信満々だ。

 だけど、その自信の中心にはさっき指先が触れてしまった「空洞」がぽっかりと空いている。


 ——触れちゃいけない場所に、指先が当たってしまったような感触があった。


 でも同時に、そこにこそ、彼女がこの街を「揃え続けた理由」があるような気もした。


 まだ、糸口を一つ見つけただけ。

 結び目そのものに触れるのは、きっとこれから。


     ◇


 黒幕の向こうを、ちらりと見やる。


 ガルドは腕を組んだまま、いつでも飛び出せる位置に立っている。

 

 セイルは空気の流れを読むみたいに、会場のざわめきに耳を澄ませていた。

 

 テオは、アルミダをじっと観察している。何かを計算するような目で。

 マリーは、私のワンピースと同じ結び目の刺繍を、祈るようにぎゅっと握りしめていた。


 ——ここから先は、もう私一人の戦いじゃない。


 それぞれの「結び目」を持った、この広場にいるみんなで向き合う戦いになる——。


 そんな予感が、胸の奥で静かに、でも確かに結ばれた。

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