第42話 自分の歩幅で
私たちは街の端にある小さな広場に集まっていた。潮風が吹き抜ける場所で古い倉庫が風よけになっていて、ここなら人目を気にせず練習できる。
テオが黙々と板を並べてステージの床を作り、セイルは風向きを確認しながら立ち位置を決めている。私は持ってきた布でステージの境界線を引いた。
「じゃあ、本番に向けた練習を始めようか」
私が言うとガルドが重い息を吐いた。
「……おう」
戦闘の足取りは迷いがないのに、「見られるための歩き」となると話は別らしい。靴の先で砂利をいじるような、落ち着かない視線。
「視線検知、ゼロ」
テオが周囲を見回し、誰も見ていないことを確認する。
その時、セイルがカバンから何かを取り出した。
「はい、これ」
分厚い本だった。表紙には金文字で『完璧なモデルウォーク100の秘訣』と書かれている。
「……どこでそんなの見つけたの?」
私が聞くとセイルは得意げに答えた。
「図書館だよ。“美しい歩き方はすべての人に通じる”って書いてあった」
「信頼性、不明」
テオが即座にツッコむ。
「なんでわざわざそれを……」
ガルドが呆れた顔をするが、セイルは構わずページをめくった。
「ほら、『背筋を伸ばし、腰を揺らし、目線は遠くへ』だってさ」
挿絵には完璧なモデルポーズ。洗練された美の世界。
——私たちとは、正反対の世界。
「……じゃあ、せっかくだし試してみようか」
私が言うと、ガルドが眉をひそめた。
「えっ、マジでやるのか」
「うん。まずは見本から」
セイルが立ち上がり、本を片手に歩き始めた。腰をひねり、腕を細く揺らしながら一歩、また一歩。真面目な顔でやっているのに、どこかぎこちない。
その姿を見たガルドが吹き出す。
「お前……なに踊ってんだ?」
「ちっ、違うんだって!これ『Sラインウォーク』って書いてあるの!」
「S、過剰カーブ」
テオの冷静な分析が追い打ちをかける。
セイルの腰の動きがさらに硬くなる。
「……じゃあ、ガルドがやってみてよ」
セイルは本をガルドの胸に押し付けるように渡し、ちょっと後ろに下がって腰に手を当てた。「さあどうぞ」とでも言いたげな顔だ。
ガルドは肩を回して、深呼吸と共に一歩を踏み出した。
「ったく、しょうがねぇ。見本ってやつを見してやる」
が、数歩歩くとすぐに体がガクンと傾いた。肩の力が抜けず、足の裏が重すぎて動きが噛み合わない。
「うおっ……!」
慌てて体勢を立て直すガルドの姿は、まるで見えない敵と戦っているようだった。
「……ガルドは何と戦ってるの?」
セイルが笑いをこらえながら言う。
「歩いてるんだよ!!」
赤面して叫ぶガルド。耳は真っ赤、尻尾はしっかり丸まっている。
私は口の端が勝手に上がるのを手で押さえた。笑ったら余計に崩れそうだから。
その横でテオがすっと前へ出た。踵をそろえて立ち、本を一度だけ見て視線を真っ直ぐ前に固定する。
「読み込み、完了」
次はテオの番。彼は本を精読してから正確に歩き始めた。
「歩幅六十二センチ、歩行周期一・二秒」
呟きながら寸分違わぬ動き。だが、正確すぎて動きに“人間味”がない。首の角度すら計算されているようだった。
「テオ、それ……怖いよ……」
「パーフェクトモーション」
パーフェクトすぎて逆に心がざわつく。背筋が冷えて思わず一歩引いた。
テオの足音が“コツ、コツ”と近づくたびに、空気が妙に無機質に感じる。
「ひぃ!その動きでこっち来ないで!」
「ははっ、やべぇ!見ろセイル、あれ!」
「テオが歩くってより……滑ってるね!?」
セイルとガルドが笑い転げる。私もつられて吹き出し、息を整えるのに必死だった。
「わ……私もやってみる」
負けじと私も、挿絵を真似て歩いてみる。背筋を伸ばし、腰をひねり、目線を遠くへ——。
「……新種のモンスターか?」
ガルドの一言がグサリと胸に刺さる。いや、違う……違うと思いたい。体の連動が噛み合わず、ぎこちない動きが自分でもわかる。
「動き、不規則。強敵」
テオまでそんな分析をしてくる。笑いながらも、ちょっとだけ泣きたくなった。
肩で息をしながら足を止め、ズボンの裾を押さえる。
「ちょっと、ひどくない!?」
私が抗議すると、セイルが肩をすくめて苦笑した。
「プロって……すごいんだね……」
「データ的に、“ぎこちなさ指数”上昇」
テオが真顔でメモを取る。
全員で顔を見合わせて、思わず吹き出した。
◇
結局、一日目は笑いと転倒とため息で終わった。
誰一人としてまともに歩けない。本の通りにやればやるほど自分たちらしさが消えていく。
夕暮れ時、疲れ果てて座り込んだ私たちに潮風が優しく吹いた。
「……でも、少しわかった気がする」
私が呟くと、三人が顔を上げた。
「え?」
「“正しい形”を真似しても、私たちらしくはならないんだよ」
不格好でも、私たちの歩きは“始まっている”。そう思えた。
◇
二日目。
ありがたいことに、今日は宿の中庭を貸してくれることになった。壁に囲まれた空間で、人目を気にせず練習できる。
昨日の笑い話とは違い、今日の空気は少し真剣だった。
「昨日は“正しい歩き方”をやってみた。でも今日は、“自分の歩き方”を見つけよう」
口にした言葉が自分の胸にも響いた。きっとこの練習は、“歩く練習”じゃなく、“自分を見つける練習”なんだ。
まずはガルド。力任せではなく静かな重みを意識して歩く。盾を持たずとも彼の歩きには“守る強さ”が宿っていた。
「おっ、なかなかいいじゃん」
セイルが感心したように言う。
「……なんか、悪くないな」
ガルド自身も、何かを掴んだようだった。
次はセイル。風を読むように自然に歩き、無理なポーズを取らずに流れに身を任せる。
「うん、風が通ってるみたい」
私の言葉にセイルが照れくさそうに笑った。
「……やっと、らしくなってきたかも」
テオは相変わらず無表情。けれど、歩くたびに手帳を閉じ、ただ足音に耳を澄ませていた。
「なにか掴めたか?」
ガルドの問いに、短く答える。
「理屈じゃない……感覚データ、収集中」
最後に私自身が歩いた。みんなのリズムに干渉しないように。でも、自分の歩幅で。見られることを意識せず、ただ“歩く”ことに集中する。
「……いいね」
セイルの声。
「見てると、安心する感じ」
ガルドがぽつりと続ける。
その言葉が嬉しくて、私は小さく笑った。
——それぞれの足音が違っても、響き合う。それが「歩く」ってことなんだ。
夕方、ベンチで休憩しているとセイルが言った。
「……昨日よりも、ずっと楽しいね」
「笑いより筋肉痛が勝ってるけどな」
ガルドが足をさすりながらぼやく。
「データ上、全員改善傾向」
テオは事実だけを告げる調子なのに、その声色にはわずかな満足が混じっていた。私たち自身が少しずつ前へ進めている証拠だった。
◇
三日目。
今日はそれぞれが順番にステージを想定して歩くことにした。
まずガルド。堂々とした歩き。力強く、それでいて柔らかい。大盾がなくても彼の存在そのものが「守る」を表していた。
次にセイル。風をまとうように柔らかく、どこか楽しげ。見ているだけで気持ちが軽くなる。
テオは正確な歩みの中に信念があった。無駄がない。でも、そこに“生きている”温度がある。数字を超えた彼らしさが、確かに見えた。
そして私。結ぶように、穏やかでまっすぐな歩き。誰かを導くわけでも目立つわけでもない。ただ、確かに前へ進む。
「……なんか、いい感じだな」
ガルドは腕を組み、少し照れたように笑った。自分の足音を初めて好きになれたみたいな顔。
「うん、みんな“らしい”ね」
セイルは目を細める。風がやさしく背中を押したみたいに、声が柔らかかった。
「完成度、七五%」
テオが一言。私は笑いながら肩をすくめた。
「残り二五%は、心で埋めよう」
——人の真似じゃなく、自分の足で歩くこと。それがきっと、私たちにとっての『本物の美しさ』なんだ。
◇
練習の最後、セイルがあの本を閉じた。表紙の『完璧なモデルウォーク100の秘訣』という文字が、夕陽に照らされて光っている。
「……結局、役に立ったのか?」
ガルドの問いにセイルは苦笑した。
「ノーコメントで」
セイルが本を閉じると、ページの隙間から潮風が抜けていく。失敗も笑いも全部、この三日間の“証”みたいに思えた。
「禁書指定」
テオの一言に全員の笑い声が揃う。本が悪いわけじゃない。
今の私たちには、ページより自分の足が先生だ。
港の風が静かに吹く。四人の笑い声が混じり合い、遠くの海へと溶けていく。
美の祭典まであと二日。
長い練習の三日間が終わり、明日はマリーの作った服を受け取る日。
不格好でも、この足で歩ける限り——私たちはきっと前へ進める。




