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第4話 笑いが揃う夜

 三日月亭の夜はまだ終わらない。


 皿の上のグラタンはもう少し冷めて、エールの泡も落ち着いている。けれど、卓を囲む空気はまだ温かかった。


「ねえ、みんな」


 私はグラスを置き、思いつきのように声をかけた。


「冒険者になろうと思ったきっかけとか、ある?」


 一瞬だけ間があった。視線が自然と私に集まり、みんな少しだけ考えるような顔をする。


「順番、決める?」セイルが軽く笑う。


 テオが口を開いた。指先で小さな金具を転がしながら、淡々と。


「……こういうの。真面目に並べるの、ちょっと照れる。部品を机に一列に置くみたいで」


「じゃあ、俺からでいい」ガルドが背筋を伸ばす。

 

 口調は軽いが、耳の先はぴくりと伏せて、すぐ戻った。


「なんてったって俺は前衛だからな。最初に前に出るのは、慣れてる」


 そう言いながら、ガルドはエールのグラスを一度だけ傾けて、喉を潤した。


「子どもの頃、村の近くに冒険者が来てるって噂を聞いて、こっそり見に行ったんだ」


 ガルドの声は少し低く、噛み締めるように語る。


「茂みの陰から覗いた先で、冒険者たちがモンスターと戦ってた。剣を振るやつも、矢を放つやつもいた。その中で一番目を奪われたのが、大盾の人だった。身体の半分以上を隠すようなでかい盾で、仲間の前に立って、魔物たちの攻撃を防いでいた」


 ガルドは手のひらを無意識に広げる。大盾を掲げていたあの姿を、今でもなぞるみたいに。


「その背中は……派手じゃないのに、後ろの仲間は全員落ち着いて動いてた。あの背中があるから、誰も怯まずにいられてた……前で支えるって、こういうことなんだって」



 “派手じゃないのに、役に立つ”。


 その言葉に、胸の奥が少し熱くなった。


「これが、俺が冒険者になろうと思ったきっかけだ」


「意外と王道だね」セイルが口元を緩める。


「悪いかよ」ガルドは照れ隠しにパンをちぎって口へ放り込んだ。


「ううん、いいと思う」私は自然に言葉がこぼれた。

 

 真っ直ぐな憧れを語るガルドの顔は、ただ聞いているだけで気持ちが温かくなる。


「もし、その人に会えたら、僕は盾の傷の位置を見たい」テオがぽつり。

 

 金具を親指でなぞりながら、視線は卓上に落ちている。


「どこで受けて、どう防いでいたのか。道具作りの参考になるかも」


 ガルドは少し照れくさそうに笑った。耳の先がまた伏せて、尻尾が椅子の脚に一度だけ触れてから離れる。


「……ったく、考えることが職人だな」


 煮込みの縁をすくって噛むたびに、彼の肩の力が少しずつ抜けていった。

 短い沈黙のあと、ガルドが顔を上げる。


「そういうテオはどうなんだ?」


 名前を呼ばれた瞬間、テオは少し肩をすくめた。腰の袋から小さな金具を一つ取り出し、親指で角をなでる。灯りがその面に細く跳ねた。


「僕は……生まれつき筋力が少ない。ドワーフなのに、大きい武器は持てないし、大きな道具も作れなかった。工房じゃ“映えるやつ”ばかりが好かれて、僕のは小物だから、ちまちまって笑われた」


 金具を指で転がし、卓上で止める。


「でも一度、小さな金具を作ったことがある。たったそれ一つで、仲間の手が潰されずに済んだんだ。小さなものでも、人を守れるんだって、その時分かった。……だから冒険者になった。自分の作る小物が本当に役立つのか、現場で確かめたかった」


 短く息を吐いて、金具を布袋に戻す。布の音が小さく鳴る。


 彼の言葉に、胸の奥が静かに共鳴する。“派手じゃなくても役に立つ”──ガルドの憧れとも重なる響きだった。


「素敵なことだと思う」私は声に出した。

「今日だって、テオの“ちまちま”がなかったら、私たち困ってたよ」


 セイルも頷いて笑う。

「ぼくの矢だって、あのワイヤーがなかったらあんなに正確には届かなかったと思う」


「俺も助かった」ガルドが力強く言う。

「支えるってのは、でかさじゃなくて、確かさだな」


 テオは少しだけ目を伏せ、そして短く「ありがとう」と返した。

小さな声だったけれど、その声には確かに体温が乗っていた。


 静かな間が落ちる。煮込みの湯気がふっと揺れ、香草の匂いが鼻を抜ける。


 セイルがグラスを手に取り、灯りを透かすように見つめた。淡い色が指先に映る。


「……じゃあ、次はぼくかな」


 指先が無意識に矢羽を探すみたいに空をなぞる。


「正直に言うと、大した理由はないんだ。気づいたら外に出てた。村の中より、外のほうが息がしやすかった。ただそれだけ」


 少し笑ったけれど、その目は笑っていないように思えた。


「村は静かで、きれいで、規律があって……でも、ハーフエルフのぼくには少し狭かった。半分違うっていうのは、同い年には分かりやすい印になる。だから、よく避けられた。からかわれることも、まあ、あった」


 言葉はそこで途切れる。セイルは肩をすくめて、わざと軽く笑ってみせた。


「……うん、今日はここまででいいかな」


 セイルはそのまま視線を落とした。まるでそれ以上は語らないと、自分に線を引くように。


 私の胸の奥に、ひやりとしたものが落ちた。

全部を言わなくても、そこに痛みがあることは分かったから。


「セイル……」


 ガルドが低くつぶやき、そこで言葉を探すように口を閉ざした。喉まで出かかった何かを、慎重に選んで、結局飲み込んだ。


 そのとき、テオが無言で手を伸ばし、セイルの前にずれていたサラダの皿をそっと中央に戻した。金具を扱うときのような静かな手つきで。言葉はなかったけれど、それは確かに「一緒に食べよう」という仕草だった。


「でも……今は、一緒にいてくれて嬉しい。私はそう思うよ」


 自分でも少し驚くほど、その声は柔らかく、胸の奥からそのままこぼれ落ちた言葉だった。


 セイルは小さく息を呑み、それから顔を上げて私たち三人を順に見ていく。


照れくささと居心地の良さが混ざったような笑みを浮かべて、


「……こういうのが、居場所っていうのかもね」



 セイルの言葉に、卓の空気がやわらいだ。

 

ガルドが「悪くないな」と小さく笑い、テオは無言で頷いた。


 気づけば、みんなの視線が私に向いていた。

私は少し息を整えて、自然に口を開く。


「……じゃあ、最後は私だね」


 スプーンを指で転がしながら、口を開く。


「私の理由はね、ほんとに大したことじゃないの。ただ……冒険者って楽しそうだなって思ったから。なれるなら、なりたいって。それだけ」


 自分で言いながら、頬が熱くなる。


「なんか子どもみたいな理由で、恥ずかしいね」


 言い終えると、スプーンを置いた。

卓の上に、ひととき静けさが落ちる。少し息苦しいくらいに。



「そっか……でも、ぼくもその気持ち分かるよ」

 

静けさを破ったのはセイルだった。


「小さい頃、ただの森を探検するだけで胸が高鳴った。木の棒を剣にして、草むらに向かって“ここから先は危険だ”なんてひとりで言ったり……でも、あの頃のぼくにとっては、それが冒険だったんだ」


「……あー、それ、心当たりしかねえな」


ガルドが頭をかきながら笑う。

セイルは目を細めて、少しからかうように言った。


「じゃあガルドも、似たようなことしてたんだ?」


 ガルドは一瞬言葉に詰まってから、観念したように口を開いた。


「……ああ。鍋の蓋を拾って盾にしてな。“俺の後ろに下がれ!”なんて叫んでたけど、周りには誰もいない。敵も味方も、ぜんぶ自分で想像して戦ってたな」


 ガルドが苦笑すると、卓の空気に笑い声が広がった。その余韻の中、テオがぽつりと声を落とす。


「……僕もそうだった」


 その声に、私たちの視線がそちらに向く。


「ガラクタを集めて、“伝説の武器だ”って言い張ってた。鉄くずや折れた柄をつないで、勝手に名前までつけて……。振り回してると、本当に強くなった気がした」


 少し間を置き、声を落として続ける。


「でも、すぐにバラバラになった。釘が飛んで壁に刺さったり、棒が抜けて池に落ちたり……毎回壊れて、毎回直して、また壊れた」


 ガルドが吹き出しかけたその時、テオがぽつりと補足した。


「……ちなみに名前は、“滅魔の剣アルゴス”」


一瞬の沈黙のあと、全員が堪えきれずに笑い出した。セイルが肩を揺らし、私もつい涙がにじむほど笑ってしまう。


 ガルドは完全にツボに入ったらしく、机に手を突いて肩を震わせた。


「……っは、ははっ……! く、苦しい……っ、息が……できねぇ……!」


 その様子を見てさらに笑いが広がる。テオでさえ頬を赤くしながら、小さな笑みを浮かべていた。


 私はグラスを握り直しながら、胸の奥がむずむずするのを感じる。

 このまま黙っていたら、きっと三人に突っ込まれる。だから先に口にしてしまった。


「……え、これ、私も言う流れだよね!?」

 

 気づけば声が出ていた。三人の視線が一斉に向いて、頬が熱くなる。


「えーっとね……その、子どもの頃の話なんだけど」


 言葉を探しながら、私はスプーンの柄を指先でいじる。視線を落としても、熱は頬から逃げてくれない。


「自分で考えたヘンテコな魔法を唱えて、木に向かって“発射!”ってやってたの」


 声が小さくなっていくのを、自分でもわかる。けれど、止められない。


「もちろん何も起きないんだけど、“倒した!”ってひとりで勝ち誇って……」


そこで一度言葉が詰まり、思い出の恥ずかしさが一気に押し寄せる。


「……それを母に見られて、顔から火が出るほど恥ずかしかった」



 セイルが手で顔を覆い、ガルドは机を叩きながら身をよじらせた。


 その中で、テオがぽつりと訊ねた。


「……その魔法、名前は?」


 静かになった空気に、心臓の音だけがやけに大きく響く気がした。


「い、言わなきゃダメ……?」


 誰も答えない。ただ期待に満ちた沈黙が、返事の代わりだった。


テオの問いに、私はしぶしぶ視線を落として口を開いた。


「……《ぴかぴかサンダークラッシュ》」


 一瞬の静寂のあと、爆笑が巻き起こった。

 セイルは涙を拭いながら身をよじり、テオも堪えきれず、口元を押さえて小さく肩を揺らしていた。

 

 ガルドは机に突っ伏して「これ以上……笑わせないでくれ……息が……死ぬ……!」と呻く。


 そんな中、セイルがわざとらしい声をあげた。


「……ミナ、早く回復魔法を。このままだとガルドが笑い死んじゃうよ」


 テオも小さく頷きながら、静かに便乗する。


「……早く。回復」


「ちょ、ちょっと! そんなの無理だって!」

 

必死に否定するけれど、二人の視線が一斉にこちらに集まる。


  顔を赤くしたまま、私はガルドに向けて両手をかざした。口を開こうとして、一度唇が震える。


「えっ……私、ほんとに言うの?」


小さく吐き出すように前置きしてから、覚悟を決めて目をぎゅっと閉じる。


「……《ラブリーきらめきシャイニングリカバー》」


 言い終えた途端、耳まで真っ赤になり、全身が熱くなり、思わず両手で顔を覆いたくなる。


 次の瞬間、音もなく空気が弾けた。

 セイルは涙を拭いながら椅子にもたれ、声を出せないほど笑い転げる。

 

 テオは口元を押さえて肩を震わせ、滅多に崩さない表情を崩してしまっていた。

 

 ガルドは椅子から転げ落ちそうになり、腹を押さえて机に突っ伏した。体がひくひく震えて、息が追いつかない。


「ふざ……っ、ふざけんな……! おまえら……絶対わかってやってるだろ……! ははっ……っ、ヤバい……マジで……!」


 言葉の切れ端は笑いに溶け、声にならない声が混じる。その言葉は笑いにかき消され、三日月亭の奥には、温かい笑い声がいつまでも響いていた。




     ◇




 私は、その空気に浸りながら、胸の奥に妙な安心感を覚える。


昨日までの私は、居場所を失ったばかりだった——


 でも、この三人と卓を囲んでいると、不思議と昔から一緒に笑ってきたような気さえする。

 

 まだ出会って間もないけれど、間にある空白を埋めるように、自然に呼吸が合ってしまう。


 ……まるで最初から、この席は四人分だったみたいに。笑い声の余韻が、それを肯定するように広がっていた。

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