第32話 認められるための痛み
マリーの店は港から少し離れた路地にあった。
白い壁に青い屋根、窓には色とりどりの布。
看板には「マリーの工房」と書かれている。けれど、その文字は少し擦れて色褪せていた。
まるで、昔の輝きをどこかに置いてきたみたいに。
扉の前で私は深呼吸をする。
胸の奥に小さな緊張が灯り、指先がほんの少し震えた。
「大丈夫か?」
ガルドが低く問う。声は静かで優しい。
「うん……大丈夫」
私は頷き扉を押した。
鈴の音が控えめに鳴る。
その響きが、どこか遠い記憶を呼び起こした。昔、マリーの笑い声と一緒に聞こえた、あの優しい音。
店の中は思ったより広かった。
壁には服やアクセサリーがずらりと並び、けれどそのどれもが——街の女性たちと同じ、派手で奇抜なものばかりだった。
カウンターの奥でマリーが針を動かしている。
手つきは慣れているのに、妙に“均一”で、温度が感じられない。
「いらっしゃ……あ、ミナ!」
マリーが顔を上げると笑顔を見せた。
昨日と同じ——形だけの少し硬い笑顔。
「こんにちは、マリー」
「来てくれたんだ。嬉しい!」
マリーは針を置いて軽い足取りで近づいてくる。
それでも、胸の奥でなにかがざらりと軋んだ。
「今日は何か用事? それとも、ただ遊びに来てくれたの?」
「えっと……マリーの作ってるもの、見せてもらってもいいかな」
「もちろん!」
マリーの声は弾む。
その明るさの裏に、空洞のような静けさがあった。
「これが最近の服。こっちはアクセサリー。どれも“光彩の鎖”のデザインに合わせて作ってるの」
私は一つ一つを眺める。
手際も仕立ても確か。だけど——そこに、かつてのマリーの“癖”がない。
彼女らしさがどこにも見つからなかった。
「……マリー」
私は一つのアクセサリーを手に取りながら、静かに尋ねる。
「これを作ってる時、楽しい?」
マリーの指先がわずかに止まる。
その瞬間、店の空気がほんの少しだけ沈んだ。
「……楽しいよ。みんな喜んで買ってくれるし」
「でも……」
私は慎重に言葉を選ぶ。
踏み込みすぎないように、でも届くように。
「昔のマリーは……もっと自由に作ってたよね。自分が“作りたいから作る”って言ってた」
マリーの表情が曇る。
視線が一度だけ下へ落ちた。
「……それは、昔の話」
「昔の話?」
「今は違うの。ここではアルミダ様の基準に合わせないと……誰も見てくれない」
マリーの声は少し低くなった。
その響きの中に、小さな疲れの色が混じる。
「でも、それでいいの。ちゃんと売れるし、みんなに認められるから」
「認められる……」
私はその言葉を反芻する。
それは、嬉しさよりも“呪い”のように聞こえた。
「それが、マリーの望んでたことなの?」
マリーは視線を逸らして窓の外を見る。
通りを歩く女性たちが同じような服を着て、同じように笑っている。
「……わからない」
小さな声だった。
その言葉が針より鋭く胸に刺さる。
「最初はただ作りたいものを作ってた。でも、それじゃダメで……」
マリーの手がカウンターの縁をぎゅっと握る。
「アルミダ様の教えを受けて、こうして作るようになったら、みんなが見てくれるようになったの。認められるようになったの」
その言葉に、私は痛みと哀しさを同時に感じた。
「もう一度聞くね……マリーは今、幸せ?」
私はまっすぐに尋ねた。
マリーは黙る。
沈黙の間に時計の針の音がいつもより大きく聞こえた気がした。
「……幸せだよ」
やがてマリーは笑う。
その笑顔は昨日よりも“演技”が上手くなっているように見えた。
心を守るための……そんな笑い方に。
「みんなに認められて、ちゃんと売れて、美しくなれて……幸せに決まってる」
声が少し尖る。
マリーは一歩下がり、手を胸の前で握る。
「でも、それは本当に——」
「ミナに何がわかるの!?」
空気が一瞬で張りつめた。
怒鳴られたというより、彼女の中に溜まっていた何かが溢れ出たような声。
それは怒りというより悲鳴に近い。
“必死に信じてきた自分”を、今にも誰かに否定されそうになっている——そんな恐れが滲んでいた。
「これが正しいの! この街ではこうすれば認められる! 地味な私でも、この見た目なら美しいって言ってもらえる! このアクセサリーも洋服も、みんな喜んで買っていく! 不満なことなんてない!それなのに——」
そこで、言葉が急に出口を失ったように途切れる。私は言葉を返せず、ただ彼女の震える肩を見つめることしかできなかった。
「……ごめん。言いすぎた」
「……ううん、私こそ、ごめん」
届けたい気持ちが、またひとつ遠のく音がした。
「また来てもいい?」
「……うん。いつでも」
マリーは小さく頷いたが、もう笑ってはいなかった。
私たちは店を出る。
鈴の音が鳴る——さっきよりも、冷たく響いた。
◇
路地を歩きながら、胸の奥の痛みを噛みしめる。
潮風が頬を撫でても、熱は消えなかった。
「……マリー」
セイルが静かに言う。
「……あれは無理してる時のそれだよ」
ガルドが低く言う。
「誰かに認められようとして、自分を殺してる」
「矛盾、内包」
テオの短い言葉が、まるで分析結果のように響く。
「口は幸せ、目は不幸」
私は立ち止まり、空を見上げる。
雲の切れ間に、陽が少しだけ覗いていた。
「どうすれば……?」
自分に問いかけるように、小さく呟く。
「……マリーは私の、冒険者になりたいって夢を笑わずに応援してくれたの。だから、今度は私が——マリーの“本当の夢”を助けたい。
“助ける”なんて、簡単に言えることじゃない。マリーがこの街でどんな思いをして、どんな孤独の中で今の場所を選んだのか、私は何も知らない。
それでも——彼女の“笑顔を取り戻したい”という気持ちだけは、間違いなく本物だった。
「でも……今のマリーはその夢をどこに置いたのか、思い出せなくなってる」
ガルドが肩に手を置く。
その重みが静かに支えになる。
「焦るな。今は、まだ時期じゃねぇ」
「……そうだね」
「マリーの心は、まだ閉じたままだ。でも、閉じた扉だって叩き続ければいつか開く」
「……うん。ありがとう」
私は小さく息を整える。
胸の奥に残っていた焦りが、ほんの少しだけほどけていく。
みんなが傍にいる——その事実だけで、心の輪郭が戻ってくる気がした。
◇
セイルがこの街の空を見つめながらポツリ。
「……アルミダが怪しいのは間違いないよね」
私たちはその言葉に揃って頷く。
「証明、その為の証拠、必要」
テオが腰袋から小瓶を取り出す。“輝きの雫”。
金の液体が夕陽を受けて不気味に光る。
「これ、成分と効果、調べる」
「うん、お願い」
私は頷いた。
「明日も街を回ってみよう。他の人にも話を聞いて、少しずつ掘り下げていこう」
夕陽が壁を染め、影がひとつに重なる。
アルミダの館が見えた。その白い壁に反射した夕陽は、目が痛くなるほど眩しい。
この街の輝きは、きっと“誰か”の心の上に成り立っている。
それが誰の犠牲の上なのか——確かめなくちゃいけない。
そんな想いが胸の真ん中で静かに燃えていた。




