第29話 美の街へ
ここから第3章となります。
リベラの朝は静かだった。白鷺亭の窓から差し込む光は柔らかく、軒先の白い布が小さく揺れている。
私たちは荷をまとめ、女将さんに別れの挨拶をする。
「もう行くのかい?」
女将さんが手ぬぐいで手を拭きながら、少し寂しそうに言う。
「はい。お世話になりました」
「まったく、あっという間だったね。——でも、アンタたちはいい顔してるよ。最初に来た時より、ずっと」
その言葉に、私は少し照れくさくなる。
「ありがとうございます」
「気をつけて行きな。華やかすぎるものには棘があるもんさ」
女将さんは笑い、私たちの背中を軽く押した。
「また来る」
ガルドが言うと、女将さんは「待ってるよ」と手を振る。
白鷺亭を出て、買い物などを済ませた私たちは、村の広場へ向かう。
南へ向かう道は緩やかな丘の続き。地図を見る限り、フィオーレまで歩きだとだいぶ時間がかかるはず。
「さて、歩いて行くか……」
ガルドが肩の荷を整えながら言う。
セイルは日差しを見上げてから、ぼそりと返す。
「今の季節なら悪くないけど、昼はちょっと暑いかもね。風の層が厚い」
「夜は冷える。野営、必要」
テオの淡々とした声に、私も頷く。
「うん。できれば、途中で馬車が通ればいいけど……」
そんなふうに話していると、ちょうど広場の端で一台の馬車が停まっているのが見えた。
荷台には布の包みが積まれ、御者台には初老の男が腰かけている。
馬の鼻息が白く揺れ、行き先を待っているようだった。
「……まさか、あれ?」
セイルが指をさす。御者はこちらを見て、顎で軽く合図をした。
「南行きだ。フィオーレまで、荷と客を乗せてくなら、ちょうど一枠空いてる」
声は低いが、どこか親切な響きがあった。
ガルドが一歩前へ出る。
「運賃は?」
「四人と荷なら、まとめて五千バルだ。安くはねぇが、悪くもねぇ」
私は三人と視線を交わす。
歩きの予定を思えば、時間も体力も節約できる。
セイルが口角を上げる。
「これは……“追い風”だね」
「“偶然”というより、“流れ”。——有効」
テオが短く言い、ガルドも頷く。
「決まりだな。乗せてもらおう」
私たちは荷を整え、馬車へと向かった。
近くで見る御者の体格はがっしりとしていて無愛想だが目は優しい。
「じゃあ、フィオーレまでお願いします」
「了解した。荷は後ろに積んどけ。揺れるから、割れ物は気をつけろ」
私たちは荷を積み、順番に馬車に乗り込む。ガルドが最後に盾を抱えて乗り込むと、馬車が少し傾いだ。
「重ぇな、お前」
御者が苦笑する。
「すまねぇ」
「いや、冗談だ。しっかりしたもん持ってる方が安心する」
御者が手綱を軽く引くと、馬がゆっくりと歩き出す。リベラの村が少しずつ遠ざかり、視界の先に街道が伸びていく。
「さて、じゃあ出発だ」
馬車の車輪が石畳を撫で始める。規則正しい音が、旅の始まりを告げていた。
私は窓の外を眺めながら、胸の奥で小さく期待と不安を結び直す。
新しい街、新しい出会い——それがどんなものであれ、私たちは一緒だ。
◇
馬車の揺れは穏やかで、車輪が石畳を撫でる音が規則正しく続いている。リベラの村を出た数時間後も、私たちは南へ向かう街道を進んでいた。
窓の外には麦畑が広がり、遠くに風車の羽根が見える。空は高く、雲は薄い。風の匂いが少しずつ変わって、塩と潮の気配が混じり始めた。
「もうすぐ港が見えてくるぞ」
御者が肩越しに声をかけてくる。道中ずっと無口だったが、目的地が近づくと少しだけ饒舌になった。
「フィオーレは”美の街”って呼ばれてる。女衆には人気の場所だ。服やら宝飾品やら、華やかなもんが集まる」
「なんだか、きらびやかですね」
私が問い返すと、御者は頷いた。
「ああ。まぁ俺には縁がねぇが、女たちが輝いてる街だとさ。……ただ、少し変わってるって噂もある」
「変わってる?」
セイルが窓から顔を出して問う。御者は肩をすくめた。
「噂は噂だ。まぁ、自分の目で見てみな」
それ以上は語らず、手綱を軽く引いて馬の速度を整える。
私は窓の外を眺めながら、胸の奥で小さく期待と不安を結び直す。“美の街”——華やかで、きらびやかで、輝いている場所。
でも、そういう場所に私は似合うんだろうか。
「ミナ、どうした?」
ガルドが声をかけてくる。私は首を横に振った。
「ううん、何でもない」
「緊張してんのか?」
「……少しだけ」
そう答えると、ガルドは笑った。
「お前が緊張するなんて珍しいな。まぁ、見てみりゃわかるさ」
セイルが地図を広げながら言う。
「風通しがいい港街らしいね。船の往来も多いし、情報も集まる場所みたいだよ」
テオは腰袋の中身を確認しながら短く言った。
「物資と情報が集まる場所。道具の補充に最適」
「美とか詳しくねぇけど、まぁ見てみるか」
ガルドが肩を回す。盾の縁が窓の光を一度だけ返した。
私は深く息を吸い、ゆっくり吐く。緊張は消えないけれど、それでも前に進む。それが私たちの選んだ道だから。
馬車の揺れが少し強くなる。石畳が途切れ、土の道に変わった。坂を下り始めると、視界の先に海が広がる。
青い水平線。白い帆がいくつも浮かび、港の賑わいが遠くから聞こえてくる。
「着いたぞ、フィオーレだ」
御者の声と同時に、馬車がゆっくりと停まった。
私たちは荷を降ろし、馬車を降りる。石畳に足をつけた瞬間、潮風が頬を撫でた。塩の匂い、魚の匂い、焼いたパンの匂い——港街の匂いが一気に押し寄せてくる。
「ありがとうございました」
私が礼を言うと、御者は軽く手を上げた。
「気をつけてな。美しさってのは、時に目を眩ませる」
そんな意味深な言葉を残し、御者は馬車を走らせていく。
私たちは顔を見合わせ、それから街の入り口へ向かった。門は大きく開いていて、人の流れが途切れない。店の看板が並び、色とりどりの布が風に揺れている。
「賑やかだね」
セイルが目を細める。
「賑やか、というより……」
テオが言葉を探すように視線を巡らせる。
「……たしかに、少し変わってる」
その言葉の意味は、街に入ってすぐにわかった。
最初は普通の港街に見えた。屋台が並び、船乗りたちが荷を運び、子どもたちが路地で遊んでいる。
でも、少し歩くと——違和感が募り始める。
街を歩く女性たちが、全員同じような奇抜なファッションとメイクをしている。
派手な色の服、過剰な装飾、不自然なまでに統一された髪型。顔は厚化粧で、目元には奇妙な模様が描かれている。笑顔はあるのに、どこか表情が硬い。
「……なんだか、空気が違うね」
セイルが風の層を数えるように目を細める。
「風が、一方向にしか吹いていない感じがする」
テオは店先に並ぶアクセサリーを手に取り、素材を確かめる。
「これ……粗悪品。でも、みんな喜んで買ってる」
ガルドは周囲を見渡し、低く言った。
「……なんか、息苦しい街だな」
私も同じ違和感を抱いていた。美しさというより、“統一されすぎている異様さ。“みんなが同じ方向を向いているような、息苦しさ。
そのとき——
「ミナ? ミナだよね!?」
背後から声がかかった。親しげで、温かい声。
振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。奇抜なファッションとメイク。でも、その声には聞き覚えがある。
「私だよ、マリー! 覚えてない?」
その名前を聞いた瞬間、私の記憶が一気に蘇る。
マリー——私の親友。
小さい頃、「冒険者になりたい」と言った私を笑わず、真っ直ぐ応援してくれた大事な友達。
でも、目の前のマリーは、記憶の中の彼女とはあまりにも違う姿をしていた。
「マリー……?」
私の声は震えていた。信じられない、でも確かにマリーの声だ。
「久しぶり! 本当に久しぶり! ミナ、冒険者になったんだね!」
マリーは満面の笑みで私に駆け寄ってくる。その笑顔は、記憶の中の彼女と同じで——でも、その姿はあまりにも違っていた。
私は何も言えないまま、ただマリーを見つめていた。
胸の奥で、小さな結び目がひとつ、きゅっと締まる音がした。




