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第27話 託された手の温度

「——その盾、どうするつもりだ?」


 始まりの剣の背が闇に溶けたあと、ドランが不意にガルドへ声を投げた。視線は歪んだ盾に落ちている。


「歪んだままじゃあ、使いもんになんねぇぞ」


 月の薄い光で、縁がわずかに波打って見えた。あの一撃の痕だ。


「道具屋のおっさんに見てもらう予定だ。明日、朝いちで持ってく」


 ガルドが素直に返す。耳は伏せず、目はまっすぐ。


「それだと時間がかかるぞ。打ち直し、帯の交換、縁巻きまでやったら、一週間は寝かされる。……なにより、それはお前の実力に合ってねぇ」


 鼻で笑う短い音。ドランは歪みよりも、板全体を測る目をしていた。


「単純に——それじゃあ強度が足りねぇんだよ」


 ガルドは淡々と受ける。言い訳はしない。認めるところは認める。


「理由はあとでいい。ついてこい」


 ドランはそれ以上何も言わず、踵を返した。




     ◇




 私たちは自然と後に続く。柵沿いの小道は夜露で黒く、足音が浅く吸い込まれる。白鷺亭の灯が遠くに揺れ、井戸の金具が一度だけ鳴った。


「なぁ、お前らはいつパーティー組んだ?」


 前を歩くドランが、肩越しにふいと訊く。


「えっと……数日前です」


 言葉にして、自分でも少し不思議な気持ちになる。

 この短い時間の中で、呼吸も視線も自然に揃うようになった。

 “組んだ”というより、“出会ってから続いている”——そんな感覚だった。


 私が答えると、ドランの足が半拍だけ止まり、素で振り向いた。


「……マジかよ」


 目の奥に、ほんの少しだけ驚きが走る。すぐに前を向き直り、鼻を鳴らした。


「それであの動きは大したもんだ。実力も悪くねぇ。呼吸が残ってる」


 ぼそりと付け足してから、口端をわずかに上げる。


「……まあ、俺ほどじゃねぇけどな」


「はいはい」


 セイルが乾いた相槌を打つ。テオは無表情のまま「参考、程度」と短く刺し、私は笑いを飲み込んだ。ガルドの耳が小さく揺れて、すぐに戻る。


「冗談っつーやつだよ。半分はな」


 ドランの背中に、少しだけ軽い気配が混じる。

 重かった夜気が、わずかにほぐれていく。

 その足取りは、まるで誰かと並んで歩く感覚を久しぶりに思い出した人のようだった。


     ◇


 村はずれの板塀の前で、ドランが立ち止まる。菜園の畝が夜露を含んで光り、小さな影が列になっている。戸は簡素だが、柱の足元が固い。手を入れる人の暮らしの匂いがした。


「そこで待ってろ。すぐ持ってくる」


 短く言って中へ消える。ほどなく戻ってきた彼の肩には、布に包んだ大きな板。縁側に置き、布を外す。


 現れたのは、深い鉄色の大盾だった。塔盾ほど背はないが、横幅があり、縁は厚い鉄帯で巻かれ、鋲が等間隔に並ぶ。面は粗く磨かれて光を鈍く返す。打ち継ぎと擦り痕——働いた痕跡が、嘘をつかずに残っている。


「……」


 ガルドが息を止める。目が、盾の面の陰影に吸い寄せられていた。


「今の俺より、お前に必要なもんだ」


 ドランが肩で差し出す。


「いや……さすがにそれは」


 ガルドの声に驚きが混じる。耳がほんの少しだけ立った。


「いい。——そんじゃあ代わりに、お前のそれをよこせ」


 ドランは当たり前のように言う。視線は歪んだ縁へ。


「いや、それでも釣り合わねぇ。そもそも壊れてるしよ……」


 ためらいと感謝が混ざる声。

 その盾はただの道具ではなく、共に歩んだ時間の証だ。

 だからこそ簡単に受け取れない。


「あっ? 真面目かお前は……」


 呆れ声。ドランは一歩踏み込むと、ガルドの盾を軽く引き剥がし、自分の大盾をぐい、と押し付ける。手際が乱暴に見えて、実は優しい。受け取りやすい位置にすっと収まる角度。


 セイルがぽつり。


「平静を装ってるけど、嬉しいのバレバレ」


「うるせぇよ」


 ガルドは短く唸り、しかし耳の先が赤い。尾の根元が一度だけ揺れたのを、私は見逃さなかった。


「俺にとっては、お前のそれも同じくらいの価値があんだよ」


 ドランはガルドの歪んだ盾を軽く持ち上げ、面に目を落とす。


「——構えてみろ」


 促され、ガルドは受け取った大盾を左腕に通す。握りを取った瞬間、肩が一枚、静かに沈む。呼吸が乱れない。前へ出る足の線が、板の裏にぴたりと寄り添った。


 ドランが鼻で笑う。


「ふっ、一丁前に似合ってんじゃねぇか」


「……そうか」


 ほんの刹那、ガルドの視線が揺れる。嬉しさを隠すときの戻し方。私たちにはよく見える。


「細けぇ調整はそっちでしろ。帯は半穴詰め、握りはひと巻き太く。角度は“押す時だけ押す”」


「あぁ、わかった」


 ガルドは短く返し、縁に右の拳を一度だけ触れた。間をひとつ置いてから、まっすぐな目で言う。


「たしかに……受け取った」


 その言葉に、胸の奥が温かくなる。受け取ったのは板だけじゃない。触れた掌に移った重みの中に、悔いも、誇りも、次へ手渡す意志も——全部、含まれている。


「——これで用事は済んだ。お前らも、ぼちぼち戻れ」


 ドランが包みの布を片付けながら言う。セイルは風の層を数え、テオは「握り革、伸びたら直す」と淡々と確認する。


「あぁ、助かる」


 ガルドが短く言い、そんな私たちを、ドランは顎をわずかに上げて見送る。


「行こう」


 私が合図して、板塀の外へ出る。数歩進んだところで、背中に声が落ちた。


「おい——ミナっつったか?」


 私は振り返る。「はい」と近づく。ドランは視線をわずかに逸らし、口を開くタイミングを一つ逃したみたいな顔をした。


「あー、その、なんだぁ……」


 言い淀み。こんなふうに言葉を探す彼を見るのは初めてだ。胸の奥で、結び目をそっと緩めて、置き場所を空ける。


「お前たちを見て、目が覚めた……ありがとな」


 短く、正面から。私は頷いた。返事は簡単でいい。受け取り方だけ、間違えなければ。


「それに……後に託すっつうのも、悪くねぇ」


 彼は、少し照れくさそうに目を逸らす。


「アイツらには言うんじゃねえぞ」


 その顔は、戦いのときよりも穏やかで、遠い記憶を撫でるような表情をしていた。

 言葉は少ないのに、静かな温度だけが残る。


「はい。——内緒にしておきます」


 軽く会釈をして、私は踵を返した。

 きっとあの人は、もう独りではない。

 “誰かの未来を想う”という線を、自分の手で繋ぎ直した——それが分かるから、風が背中を押したように、足取りが自然と軽くなる。

 


     ◇

 


 小走りで三人に追いついた私に声がかかる。


「何、話してたんだ?」


 尋ねるガルドの耳の先は、まだわずかに赤い。


「ふふ、秘密」


 少し素直になれない先輩冒険者との“約束”だから、言えないもんは言えない。


 そう言うと、セイルが「気になる」と口を尖らせ、テオは「推測、後で」と真顔で言う。ガルドは「なんだそりゃ」と表情を崩す。


 笑いが小さく転がって、すぐ夜の静けさに溶けていく。

 さっきまでの熱も、緊張も、いまはただ穏やかな呼吸に変わっていた。

 並んだ足音が、同じ速さで地面を撫でる。


 夜道は静かだ。新しい鉄の盾が、灯の下でうっすら光る。

 ——受け継いだ重みは、前へ出る足を軽くする。

 私たちは同じ歩幅で、白鷺亭へ戻った。


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