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第25話 言葉の置き場所

 革巻きの長剣が土に触れてからの静けさは、思ったより長かった。草の先で夜風が浅く擦れ、誰も動かない。ドランの肩は上がっていない。ただ、胸の内側のどこかだけが、まだ硬く鳴っているのが見えた。


 彼は一度だけ喉を鳴らし、こちらを見ずに口を開いた。


「……お前らみてぇな、まっすぐな目をしてる連中を見ると、胸がざわついた」


 言葉の角は取れていた。怒鳴り声じゃない。火の出ない、でも温度のある音。


「その理由が……今、やっとわかった。昔の俺が重なって見えたからだ。アイツらとパーティー組んで、冒険してた頃の俺が」


 短い息。思い出すみたいに、視線が地面の一点で止まる。


「最初は、ただ一緒に歩けりゃそれでよかった。知らねぇ場所を旅して、協力してモンスターを倒して、夜はくだらねぇことで笑って……それで十分だった」


 セイルが目だけで頷く。テオは笛を腰袋に戻し、金具を一度も鳴らさない。私は両手の内側を確かめた。温度は十分。——聞く番だ。結び目は置かない。


「重ねりゃ功績もつく。名も出てくる。……でよ、いつも評価されんのは俺以外の仲間たちだった」


 口端が自嘲の形をかすめる。


 ガルドが盾の縁を指で一度だけ叩き、音を出さないまま手を戻す。耳は伏せない。目はまっすぐ。


「羨ましかった。妬ましかった。悔しかった。……気づきゃ、周りの評判ばっか気にするようになってた」


 そこで一度だけ、言葉が止まる。ドランは息を吸い、吐いた。


「でも、アイツらは違った。評判なんざどうでもよさそうな顔で、変わらず俺を仲間として見てきやがる。『ドランはドランだ』『お前が必要だ』ってよ」


 喉の奥の笑いは乾いていた。けれど空洞ではない。


「ある日、俺はぶつけた。『お前らに俺の気持ちなんてわかるかよ!』ってな。……ただの癇癪だ。アイツらには関係ねぇことだった」


 私は胸の奥で小さく頷く。誰に向けた怒りだったのか——もう、彼自身がわかっている声だった。


「『お前たちは、俺の欲しいもんを持ってる。だからそんなことが言えるんだ』……そうも言った。持たざる者の俺には、慰めと詭弁にしか聞こえなかった」


 言い切って、少しだけ首を振る。


「変わらねぇアイツらと、こんなことで変わっていく俺。……そんな自分がいちばん、みじめで嫌いだった」


 私は息を整える。——肯定も否定も、今は置かない。


「逃げた。醜い自分からも、アイツらからも。パーティーを去って、盾を置いて……がむしゃらに一人で剣を振った」


 ドランは足もとを見て、薄く笑った。


「金に困ることはなくなった。いつしか『一流』だと認められるようにもなった。……あれだけ望んだもんを手に入れても、心は何も満たされなかった」


 セイルが視線だけで風の層を数える。夜は変わらない。話だけが、少しずつ前へ進む。


「惰性で冒険者を続けていた頃に、ギルドから『指導者をやらないか』って話が来た。やってみりゃ、若いのを見て感じるのはどうしようもねぇ苛立ちばかり」


 その低い声に、東の森で苛立ちをぶつけていた彼を思い出す。——あの苛立ちは弱さじゃなく、傷の輪郭だった。


「そいつらの弱さにイラついてるんだと思って、キツい指導で叩いた。……でも違ったんだろうな。俺は、奴らに昔の俺を重ねて見て、それを否定することで、今の自分の立場も、あの時の選択も、間違ってなかったと言い聞かせたかった。そういうこった」


 テオが短く息を吸い、淡々と置く。


「投影。そして、自己正当化」


 ドランは苦笑する。


「難しい言葉はよくわかんねぇが……そうだ」


 静かな間。


「俺が本当に欲しかったのは、金や周りの評価じゃなかった。アイツらと冒険すること。ただそれだけだった」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。

 彼の声には懺悔でも自虐でもない、ただ「本音」だけが残っていた。

 きっと、それは彼がずっと口にできなかった言葉。

 今になってようやく、自分自身に向けて言えた“初めての告白”なんだと思う。


 ——誰かのために戦っていた時間が、誰かの評価にすり替わった時。

 守る意味を見失った彼がようやく辿り着いた場所は、出発点と同じ場所だった。

 それが、痛いほど美しかった。


「あの頃の俺には当たり前だったそれを、俺は『持たざる者』なんだと喚きながら、自分で手放した。……この歳になってまで後悔してるなんざ、我ながらダサくて笑えてくるぜ」


 私は胸の奥で、結び目がひとつほどける音を聞いた気がした。誰のでもない。彼自身の中の結び目だ。


「……こんな俺に、指導者なんて名乗る資格はねぇ」


 風が一段、浅くなる。私は必要な分だけ言葉を置いた。


「……辞めるんですか?」


 ドランは正面を見たまま、はっきり頷いた。


「……あぁ。俺はこの立場から降りる。『始まりの剣』、今まで見た連中、そしてギルドに——筋は通す」


 短く、しかし重心のある言い方だった。ガルドが口を開きかける。盾の縁が僅かに揺れ、言葉が生まれようとする——


「待ってください!!」


 空き地の端から、大きな声。みんなが同じ方向へ振り向いた。草をかき分け、三つの影が走ってくる。灯りのない夜でも、わかる顔——リオ、フェナ、バーン。


 息は荒い。けれど足は止まらない。立ち止まってからも、喉の上下が落ち着かず、視線だけが揺れずにまっすぐだった。


「……『始まりの剣』」


 セイルが小さく言う。テオは音を立てずに半歩退き、空間に余白を作る。ガルドは盾を少しだけ下げ、視線はドランへ、耳は三人の気配へ向けた。


 私は両手の内側を見て、そっと開いて閉じる。置くべき言葉は、きっと今から彼らの口から出る。——その場を、支えるだけでいい。


 夜の中の線が、もう一本増えた。ここからどちらへ引かれるのかは、まだ誰にも決められていない。けれど、少なくとも今は——話せる余白が目の前にある。


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