第2話 街道の空の影
翌朝、私たちはギルドで仮登録を済ませた。書類に印がひとつずつ増え、札が手渡される。雑用の依頼を二件こなして、肩ならしのつもりで街道の見回りに出た。空は薄く曇り、風は穏やか。土の匂いがやさしい。
セイルが矢羽を確かめながら、横目でこちらを見る。
「ミナ、そういえば昨日、自己紹介で“結界”って言ってたよね。……それはどんな結界なの?」
「私の結界は……“結び目”って言った方が近いかな」
「結び目?」セイルが小さく首を傾げる。
一瞬、どう説明すれば伝わるか迷った。
言葉だけじゃ分かりづらい。だから私は、できるだけ分かりやすい形を選ぶことにした。
私は腰袋から細い紐を取り出し、両端を指にかけて軽く引っ張った。
「力の流れはね、こういう紐みたいに見えるの」
真ん中に小さな結び目を作る。
「結び目を置けば、そこに引っ掛かって向きが変わる。風や炎、いわゆるブレスみたいな力とか、横にずらして逸らせるの」
私は紐を揺らしてみせた。結び目で動きが止まる。
「支点を作れば、揺れも抑えられる。足場なら踏ん張りが効くし、矢に置けば軌道が安定する」
ガルドが腕を組み、頷いた。
「なるほどな……例えば俺が踏み込む時、足元に結び目を置けば、力が逃げずに前に返ってくるってことか」
「そう」
「それはありがてぇな。俺の体重だと、地面に力が逃げちまうから」
セイルが矢羽を撫でながら首を傾げる。
「じゃあ矢は……余計なブレを抑えて、まっすぐ飛ばすことも出来るってことかな?」
「うん。それに応用すれば、あえて軌道を曲げることもできると思う」
セイルの目が細くなる。
「面白いね。風と組み合わせれば色々できそうだよ」
テオが小物を指で転がし、短く言った。
「支点を置く……道具で言えば、固定具や金具と同じ」
「そう。みんなの動きや道具を繋げて補強したり、攻撃を逸らしたり。それが私の結界、“結び目”」
◇
——結び目の説明を終えた丁度そのとき、風がわずかに向きを変えた。遠くで短い悲鳴。荷馬車の影が斜めに走り、空が陰る。羽ばたきの気配——重い。
「——ワイバーン」
セイルの声は落ち着いている。次の一言はさらに静かだった。
「……このあたりに出るなんて、本来ならもっと山奥にいるはず……」
「……でも、誰かが襲われてるなら放っておけない」
テオが低く言った。指先で小さな金具を弾き、音で気持ちを整える。
「……そうだね」
私も頷く。胸の奥に迷いはなかった。
「あぁ、俺も同感だな」
ガルドが肩を回し、戦闘の準備に入る。
セイルの指先がわずかに揺れ、矢筒の口が開く。
「翼関節、右が甘いよ。風の乱れが違う」
「馬車を守る」
ガルドが前へ出る。
「ミナ、早速だが、サポート頼む」
「うん、任せて」
私はガルドの足元に“返し”の結び目を置く。踏み込んだ力を戻してやれば、次の一歩が速くなる。ガルドが土を掻き、一直線に走る。御者は顔面蒼白で、馬の一頭が前足をばたつかせていた。
「テオ、留められる?」
「留める。三秒」
テオが掌サイズの鉄筒を構える。細いワイヤー付きのアンカーが空へ弧を描いた。狙いは右の関節。
「——今」
セイルの矢が放たれる。矢は関節に入って抜け、羽ばたきが一瞬だけ緩む。その一瞬でアンカーが隙間へ噛んだ。テオが巻き取りレバーを回す。小さな機械が唸り、翼が引かれる。
空気が熱を含む。喉の奥が渇く予兆。
「熱、来る、結界張るね」
「了解」
ガルドの前に力の線をいくつも結んで広げ、薄い膜のような結び目を置いた。流し先は空。空は広い。ワイバーンのブレスが結び目に触れ、角度を変えて雲へと消える。
ワイバーンが尾で土を削り、体勢を立て直そうとする。荷馬車の横腹が近いため、このままだと危険だ。
「尾、来る」
「了解、いま押す」
ガルドが半身で踏み込む。塞がない角度で体を入れ、進路を斜めに“通す”。私は荷馬車の棒に小さな結び目を置いて揺れを逃がし、手綱に沿って一本だけ薄い守りを走らせた。暴れていた馬の呼吸が整う。セイルが短く笛を鳴らすと、風が一層だけ静かになった。
ワイバーンは翼をあおいで砂塵を上げた。視界が白くなる。私は足元の結び目を一つ解いて、別の位置に置き直す。視線の通り道がもう一本できる。
「もう一度、関節」
「いける」
セイルが矢をつがえる。テオは逆側へ回り、二本目のアンカーを準備。私は再びガルドの足元に“返し”の結び目を置く。
「右、遠い」
「了解」
矢が通る。右肩が沈む。二本目のアンカーが反対側に噛み、左右の釣り合いが崩れる。尾が荒く振られ、土が跳ねた。飛び上がろうとした瞬間、翼膜の付け根に“ほつれ”が見える。力が集まりやすい場所。
「ほつれ、ここ」
「任せろ」
ガルドが低く潜って踏み込む。足の鉤爪で地面を掴み、膝で軸を折る。喉が鳴り、翼が地面を叩いた。砂埃。私は御者の前に守りを敷き直し、視界を確保する。
そこで、ワイバーンが大きく息を吸った。さっきより長い。強いのが来る前兆。
——でも、そのぶん隙も大きくなる。
「強いの来る、ここで決めるよ」
「了解」
私は深く息を吸って、三つの結び目を置いた。
ひとつはガルドの踵の後ろ——踏んだ力が抜けず、前へ返る結び。
ひとつはセイルの弦の手前——風の層と軌道をひと筋に揃える結び。
ひとつはテオのワイヤーの根元——張力を逃がさず、押し留める為の結び。
そして最後に、三人と私の真ん中に小さな輪を置く。全ての動きがそこに寄るように。固くはない。けれど、同じ方向へは寄る。
「繋いだ」
私の声は小さかったが、三人の視線が一瞬だけそこに集まるのが見えた。
「あと一押し」
セイルの声は短く、届く。
「今!」
四人の声は重ならないのに、合う。
ガルドが地面を割るように踏み込み、鉤爪を振りかぶる。
セイルの矢が風を裂き、力をため込んだまま一直線に伸びる。
テオのワイヤーが唸りを上げ、翼を逃さず縫いとめる。
——その瞬間。
私は輪の結びを解いた。
束ねていた流れが一点に集まり、爪と矢が同時に突き刺さり、衝撃が巨体を貫く。
ワイバーンは縫いつけられたまま崩れ落ち、砂塵が舞った。重みが地を叩く音が響き、次の瞬間には静寂だけが残った。
「御者さん、怪我は?」
「だ、だいじょうぶです……! 本当に、助かりました……!」
御者が震える手で帽子を脱ぎ、深く頭を下げる。ガルドは馬の額に手を当てて落ち着かせ、セイルは矢筒の口を閉じ、テオはアンカーを丁寧に巻き取った。誰も「やってよ」と言わない。
誰が何をするか、言われなくても分かる。それが、こんなに楽だとは思わなかった。
「素材、切り出す」
「証明、刻む」
「……何か来てもわかるよう、周りに結界置いとくね」
「了解」
私たちは短く役割を分け、淡々と後処理を進めた。荷馬車の車輪に油を差し、崩れた土を踏み固めた。
「……勝った、ね」
セイルがポツリと呟く。ガルドが尻尾をぶん、と振り、気づいてそっと抑える。テオは金具の噛みを確かめ、静かに頷いた。
御者がもう一度礼を言い、馬車はゆっくり走り出した。土の匂いが少し濃くなって、すぐ戻る。風は穏やか。空は薄く曇ったままだ。
「……打ち上げに、行こうか」
誰が言ったのかわからない。でも、四人とも同じ顔で笑っていたのは確かだった。




