第19話 鉄の面に映るもの
ギルド小屋を離れて、私たちは柵沿いの小道を抜けた。朝の光はもう少しだけ強くなって、屋根の藁が薄く光る。家々のあいだを縫う風は、粉と灰の匂いを混ぜて運んでくる。
「この匂い……炉だね」
セイルが鼻先で風を掬う。曲がり角の先に、低い屋根の建物が見えた。戸口は半分開いていて、奥で火が赤く揺れている。看板はないけれど、戸口脇に古い胸当てと面板が吊ってあった。防具屋だ。
中は狭い。壁にかけられているのは革の肩当てや手甲が多くて、胸当ても軽い作りが目立つ。——大盾は、わずかに三枚だけ。立てかけられた影の厚みが、店の空気をひとつ重くしている。
「いらっしゃい」
炉の手前で金具を磨いていた店主が顔を上げた。五十手前、髭に灰が薄くついている。目は鋭いが、声は荒くない。
「大盾を探してまして」
ガルドが言うと、店主は“ふむ”と顎を擦った。
「大盾は流行りじゃない。置いてるのは三つ。左から、木芯に鉄張りの角盾、真ん中は灰色の鉄面で縁を鉄帯で巻いた無骨な一枚、右は古い塔盾で、縁に補修が入ってる。重さは順に、八つ半、九と少し、十を越える」
ガルドが一枚ずつ前に出して、両手で重みを確かめる。耳が一度だけ揺れて、すぐに静かになった。
「持ち手は?」
「角盾は帯と握りの二点、鉄面はそれに加えて帯が少し広い。塔盾は古い作りで帯が硬い。腕の長さ次第じゃ穴を一つ詰める必要が出る」
ガルドは角盾の握りを取って構えた。膝を軽く落とし、肩を通して肘を返す。板の面が小さく震え、重心が上に寄りすぎたのか、彼はすぐに首を振った。
「……上が軽いぶん、下が流れる。俺の体だと、踏み替えで遅れそうだな」
次に塔盾。高さはあるが、帯が硬く肘が窮屈そうだ。ガルドは一度だけ体を捻って、すぐに手を放した。
「動きの隙が増えちまう」
残るは真ん中。灰色の鉄面は余計な装飾がなく、ただ厚みと重みで出来ている。縁は薄い鉄帯でぐるりと補強され、打ち直された跡がわずかに残る。表面は粗く磨かれていて光を鈍く返し、派手さはないが、確かに堅牢さだけがそこにあった。
ガルドは左腕を通し、握りを取る。肩が一枚、静かに下がった。動かす前に、体が「納まった」みたいに見えた。
「重いか?」
店主が問う。ガルドは首を横に振った。
「重いけど、遅くはない。肘の入りが素直で、俺の体に合いそうだ」
店主は満足げに鼻を鳴らす。
「鉄面は面が鈍いぶん、視界の邪魔をしにくい」
「握りの太さ、足りる?」とテオ。
「……ちょうどいい」
ガルドは右の手甲を握り直し、左の面をわずかに傾ける。店の狭さでは、動きの全ては試せない。店主が顎で外を示した。
「裏に空きがある。試すなら、そこで」
◇
店の裏手は、土が固く踏まれた小さな空き地だった。壁の影が半分を覆って、風は低く流れる。
ガルドが一歩、土を踏む。鉄面の縁が光を短く返す。彼は面を少し斜めにして、外から内へ、内から外へ——呼吸のリズムに合わせて角度を変える。足は浮かない。土の線に沿って動くだけ。面の裏に重心が一つ、いつもより静かに見えた。
「……どう?」
私が問うと、ガルドは短く答えた。
「“前”が戻ってきた」
その言い方は大きくなかった。けれど、尾の根元にあった強張りがほどけるのが見て取れた。
「視界は大丈夫そう?」
セイルが角度を変えて覗き込む。ガルドは面を浅く立てたまま、視線だけを彼の方へ落とす。
「あぁ、その顔もはっきり見えてる」
セイルは口元を緩めた。
「こっちからも、ぼくらの“線”は見える。——昔『視界の邪魔』って言われたの、嘘だったんだね。人のせいにされた視界」
ガルドは肩で息を一つして、面の真ん中を指で軽く叩いた。鈍い音が腹に落ちる。
「……俺のせいにしてくれた方が、楽だったんだろ」
声は苦くない。ただ事実を確認する調子。
「……これにする」
ガルドの言葉は静かだが、芯があった。
様子を見にきていた店主が頷き、布包みにくるんだ替え革を渡した。ガルドは面をもう一度上げ下げしてから、握りを解く。
「値は三万八千」
店主が告げる。私は小袋から銀貨をまとめて出した。数える指の音は短く、手の中の重さは予定の範囲。
「錆止めの油も」
テオが足した。店主は小瓶を二つと、布を一本余計につけてくれる。
「振りすぎるなよ。肘は使って、肩で支えろ。まぁ、アンタの様子だと問題はないだろうがな」
店主の言葉に、ガルドは素直に「はい」と返した。
◇
通りに出る。朝の光は高くなり、白い布の影が短くなる。ガルドは面を肩に担いだまま、路地の空きで装備を整えた。
「……よし」
ガルドは左腕を通し、握りを取る。肩が静かに沈む。膝が僅かに落ち、土を掴む足の向きが、私の位置と一直線になる。
面が立つ。私の目の高さに、鈍い灰色の護る“壁”がすっと現れて、同時に“陰”ができた。陰の中は狭くない。呼吸が浅くならない。——前に“守り”があるだけで、後ろに空気が生まれる。
「……いい」
私の口から自然に出た。大きな賞賛じゃない。けれど、胸の重さがひとつ軽くなったのは確かだった。
「鉤爪、使う?」
テオが問う。ガルドは右の手甲を握り直した。
「使う。——面で線を切って、右と足で“止める”。俺はそういう“前”でやりたい」
言葉に迷いはなかった。私の胸の奥で、また一本、細い線が引かれる。
「じゃあ、段取り」
私は手帳を開いた。紙は薄いけれど、書いた線は残る。
「午前は面の角度と足運び。昼過ぎに西の森の入り口で軽い合わせ。夕方は白鷺亭で“ゴブリンナイト”対策の確認。夜は早めに寝る。——明日、森へ」
「了解」
「了解」
「了解」
返事は短い。けれど、全員の声の高さが同じに揃った。
そのとき、通りの向こうにいる子ども二人が目に入った。きっと兄弟だろうか。近くにとまっている馬車の馬が怖いのか、大きい子が木の板を盾に見立て、その後ろにもう一人が隠れる。隠れた彼のホッとした表情には、守りへの信頼が滲んでいた。——面の陰は、小さくても“守り”を作る。
私は小さく笑って、視線をガルドに戻した。彼は面をゆっくり下ろし、握りを外すと、縁の油を布で軽く伸ばした。動作は丁寧で、焦りはない。
「……こうしてまた、これを手に取って立ち上がれたのは、お前たちのおかげだ」
言葉を落としたあと、ガルドは指先で革巻きをそっとなぞり、ほんの一瞬だけ目を伏せる。耳がわずかに揺れて、胸の奥にある熱を隠すように深く息を吐いた。——それは照れではなく、噛みしめるための沈黙だった。
「感謝してる」
言いながら、ガルドはわずかに顎を引いた。深く頭を下げるのではない、誓いを胸に落とし込むような小さな会釈。耳はまっすぐ、尾は力を抜いて静かに揺れる。鉄の面には薄い雲が細く映り、その灰色の中に、私たち四人の影が淡く重なっていた。
「こちらこそ」
私は微笑む。「前で支える背中があると、私たちも広く息ができるから」
セイルが口元を緩める。「頼りにしてるよ」
「握り、合ってる。肘、いい」
テオは短く確かめた。「支点、十分」
「じゃあ、続き——午前の合わせ、いこう」
私が手帳を閉じると、三人の頷きが同じ高さで揃った。
通りの向こうで、鍛冶場の槌の音がひとつ、遠くの空気を刻む。
灰色の面が、ひと呼吸で持ち上がる。
私たちは歩き出す。西の森へ向けて、地面に一本の細い線を引くみたいに。
——守る壁と、通す意志。その両方を携えて。




