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第17話 選べるということ

 扉を大きく開けると、三人はそろって頭を下げた。礼は深いのに、膝の力がうまく抜けていない。私は椅子を指さし、水差しとコップを卓に出した。


「座って。水、どうぞ」


「……失礼します」


 リオが最初に腰を下ろす。フェナは背筋を伸ばしすぎていて、肩が固い。バーンは椅子の端に浅く座り、膝の上で両手を重ねた。三人とも、喉仏が落ち着きなく上下している。


 ——いきなり核心を聞かない。焦りは言葉を細くする。私は心の中で結び目をひとつ緩め、空気の置き場所を先に整えた。


「扉、少し開けたままでもいいよ。閉めてもいい。どっちが話しやすい?」


 フェナが一瞬だけ廊下へ目をやり、戸惑いののちに頷く。


「……少し、開けたままで、お願いできますか」


「もちろん」


 私は取っ手を半握りほど戻す。廊下の灯りが細い帯になって床を撫でた。視線の逃げ道がひとつできるだけで、三人の呼吸の音が半拍やわらぐ。


「それから、話さない選択もあり。思い出すのがつらいなら、いつでも止めて大丈夫。どこまで話すかは、あなたたちが決めて」


 三人の視線が私の手元へ落ちる。私は卓の布端を指で軽く折り、整え直した。


リオは一度だけ深呼吸をし、顔を上げる。その目の揺れはまだ止まらないけれど、こちらを正面から見た。


 ——今、口を開くかどうか。選ぶのは彼ら。私は待つ。待てば、この余白が「安全だ」と伝わるから。


「ここでは、すぐに答えを出さなくていい。話せるところからでいいから、聞かせてくれる?」


 三人は顔を見合わせる。小さな沈黙のあと、リオが頷いた。


「……僕ら、“始まりの剣”は二ヶ月前に登録しました。リベラで指導を受け始めたのは、一週間ほど前です」


 指先を絡め、言葉を選ぶように続ける。敬語の高さは崩れないが、喉の奥の震えがときどき言葉に触れる。


「やめない一番の理由は……約束です。最後まで指導を受ければ、ギルドに“見込みのある冒険者”として推薦してもらえる、と。……ドランさんに、そう言われました」


 フェナが小さく付け加える。


「“推薦書を書いてやる。書式はこっちで通す。次の街でも仕事が取りやすくなる”って……。……それに、途中で投げ出したら、帳面に悪い印がつくかもって……怖くて」


 バーンは視線を落とし、拳を軽く握る。


「装備も……道具屋に分割で払ってます。『指導が終わるまででいい』って、紹介されて。……やめたら、払えなくなるのも、あります」


 セイルが息をわずかに吸う。私は目で合図して、続きを促す。——踏み込みすぎない。けれど、必要な線には灯りを置く。


「他にも、あります」


 リオは唇を湿らせた。


「僕ら自身の——弱さ、です。……怖いのに、昨日より“上”に行ける道が目の前にあるって言われたら……つい、縋ってしまう。『ここで頑張れば、次はもっと楽になる』って」


「“楽”って言葉、危ない」


 テオが小さく言う。声は淡々としているのに、指先は布の端を一度だけ整えた。私の胸の奥で、小さな結び目がふたつ三つ、確かに固くなる。


「はい……他にも、ドランさんは、時々“優しい”ように見える瞬間があって」


 フェナが目を伏せる。


「『ちゃんと見てる』って、言ってくれる。それだけで、救われた気がして……」


 ——見ていると言って、見せない。支えると言って、寄りかからせる。紐の向きが違う。喉の裏側にひやりとした重みが落ちる。私は言葉の角を丸め、置き場を作る。


「推薦の話は、書面は見せてもらえた?」


 私の問いに、三人の肩が揃ってわずかに下がった。


「……口頭だけです。“ギルドとは話がついてる”と」


「帳面や規約で確認は?」


「いえ……“余計な疑いは、成長の邪魔になる”って」


 リオの声が細くなる。セイルは目を細め、窓の外の風の層をひとつ数えた。私の頭の中では、明日確かめるべき印が静かに増えていく。


「……今日の戦闘はどういう段取りだった?」


 ガルドが低く問う。耳は動かさず、目だけで三人を見る。憧れの名に傷が入ったままでも、今は彼らの線を守る方へ向いている目だ。


「“行け”の一言だけでした。『退路は俺が見る』とも言われたけど……見られていたのは、ぼくらが崩れるところだった気がします」


 バーンの言葉は静かで、重い。私は“傷”ではなく“痛み”を扱う手つきで、次の言葉を置いた。


「そっか——怖かったね」


 三人の喉が、ごくりと鳴る。肯定は、それだけで支えになることがある。私自身も、その肯定で自分の舌を縛らないよう、心の中の結び目をもう一度整え直す。


「推薦の話は、私たちの方でも調べてみる。約束の中身や手順はどうなっているのか、とかね」


 ここで“誰に”とは言わない。彼らに伝えるべき重さは、今は情報の約束だけ。


「……ありがとうございます」


 リオが小さく頭を下げる。フェナはコップを置き、拳を握ってからゆっくり開いた。バーンは「助かります」と短く言う。その言葉の芯は痩せていない。私は水差しを回し、口の乾きを落とす時間を作った。


「ひとつ、お願い。——自分の足で選ぶって、覚えておいて」



 リオが真っ直ぐにこちらを見る。フェナは頬の強張りを一度解き、バーンは拳を握ってから、ゆっくり開いた。


「……今夜、来てよかったです」


 リオの声がほんの少しだけ太くなる。


「全部に答えは出せないです。けど……“選べる”って、いま、初めて思いました」


 フェナが小さく笑う。不器用でも確かな温度。バーンは深く一礼した。


「申し訳ありません、長居を……そろそろ戻ります。もし時間が許せば、また」


「無理はしないで。——気をつけて」


 三人はもう一度礼をして、廊下へ出る。灯りの陰で、足の置き場がさっきより迷っていないのが見えた。扉が静かに閉まり、部屋に夜の気配が戻る。




     ◇




 短い沈黙。油灯の炎が、芯の周りで小さく揺れる。私は指先に意識を戻し、ひらいて、閉じる。——言い過ぎていないか。急がせていないか。内側で自分への確認を繰り返す。


「……約束、守ると思う?」


 私が言うと、ガルドは息をひとつ吐き、頭を振った。


「“結果がすべて”って奴の口から出る約束は、たいてい“他人の結果”を担保にする。……信用できねぇ」


 その“棘”は外に向いていない。自分の中の憧れに刺さったまま抜けない棘。私は頷き、その棘まで否定しないよう気をつける。


「ぼくも、半々より低いと思う」


 セイルは窓の外に目をやる。


「“推薦”という風を、彼は自分の都合の方へ曲げる言い方をする」


 テオは簡潔にまとめる。


「確認、必要。——まず、本人から“具体の段取り”を引き出す」


 私は胸の中の結び目に、もうひとつ印を付けた。焦りの結び目じゃない。段取りの結び目。


「明日、ドランさん本人に確かめる機会を作ろう。推薦状の形は何か、誰の印が要るのか、いつ、どう渡すのか。口だけの“餌”なのか、本当に線が引かれているのか」


 セイルが唇に指を当て、少しだけ目を細める。


「……もし、口だけの“餌”だったら……どうする?」


 油灯の炎が小さく揺れ、影が卓上で薄く重なる。私は息を整え、ひとつずつ言葉に結び目を作るみたいに並べた。


「……まずは言葉でほどく。——書面の提示、押印、手続きの窓口、期日、保管場所。『推薦』の中身を細部まで言語化してもらう。曖昧なら、その場で“確認の段取り”に落とす」


 テオが短く頷き、しかし視線は冷静だ。


「望み、薄い。言葉が実体に届かない可能性、高い」


 椅子の背にもたれていたガルドが、ゆっくり体を起こす。耳は伏せず、目は正面だ。


「……それでも駄目なら——そん時は、正面からぶつかるのも一つの手だな」


 油灯の芯が、かすかに音を立てた。私はガルドを見て頷く。


「……うん、そうだね。順番は守る。言葉で通らなければ……正面から」


 セイルは「賛成」と低く言い、窓の外に視線を送る。


「風は弱い。明日の朝も、話すには向いてる」


 ガルドの尾が椅子の脚にふれて止まる。


「やる順は決まったな」


 油灯の炎は低く安定している。外の風は静かだ。部屋に満ちているのは焦りではない——段取りだ。


 ——約束が実体を持つのか、それともただの餌なのか。明日、本人に訊く。

 その時、言葉で通らなければ、こちらの線で通す。



 今夜だけは、三人が“選べる余白”を抱えたまま眠れますように。

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