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第14話 退路を守る者たち

 私たちは声を上げずに駆け出す。前に出るのはガルド、半歩後ろにセイル。その右斜め後ろに私、左にテオ。三角がひとつ、尾を引く。


 オーガの棍棒が、膝をついたリオたちへ振り下ろされようとするが——


 そんなことは、私たちがさせない。


「セイル、結び目で軌道を変える。そのまま放って」


「りょーかい、任せたよ」


 セイルが囁き、矢が一本、複数結んだ私の“結び目”によって軌道を変え、不規則に進んでいく。狙いは膝裏の浅い筋——深くはないが踏ん張りの角を崩す十分な位置に刺さった。


 矢が突き立つ瞬間、セイルの目がわずかに細まり、口元に小さな笑みが浮かぶ。


「……いいね。こんな矢の軌道は初めて見たよ」


「みんな、こっち。通って」


 私は短く声で示す。足の置き場だけは、はっきり。


「えっ……どうして……」


 リオが目を大きく見開く。助けられることに戸惑い、疑いと安堵が入り交じった視線がこちらへと揺れた。


「っ……! ありがとうございます、い、今行きます!」


 迷いは一瞬。リオが震えを残したまま、こちらへ一歩、二歩。


「フェナ、バーンもこっちへ。焦らないでいい」


「す、すみません……足が……」


「は、はい……」


 フェナの足に力が入りすぎている。バーンは汗で滑る握りを握り直し、私たちの背へ導く線に体を乗せた。


「視線、借りる」


 テオが木管を吹き、鳥みたいな短い音を一度だけ散らす。オーガの顔がテオへ向くと同時に、私はガルドの踵の後ろに“返し”を置く。


「ここから後ろは通さねぇよ」


 ガルドが低く言い、真横の間合いから地を切って滑る。鉤爪は深く裂かず、踏み幅の縁をそぐだけ。巨体の重心が遅れて揺れた。


「ちっ、脂の固まりみてぇだ」


 額に汗が滲み、厄介だと言わんばかりに呟く。けれど、瞳は獲物を逃さぬ獣のように鋭く、土を踏みしめる足取りは揺るがない。


「セイル、フェナを立たせて」


「うん。フェナ、息——三つ」


「いっ……にっ……さん……!」


 呼吸を刻むたび、フェナの膝の震えが少しずつ戻る。セイルは肩で支え、フェナに自分の足で退く重心だけを手渡す。


「バーン、盾を下げて。今は引こう」


「……っ、はい」


 バーンは一瞬だけ悔しげに唇を噛み、目を伏せた。けれど次の瞬間には顎を引き、素直に盾を下げる。その仕草に、彼なりの決意の火がまだ消えていないことが見えた。


「目眩し、少量」


 テオが布包みを弾く。痺れ草と炭粉を混ぜた“眩し”が私の“支点”で弾け、灰緑の幕がオーガの眼前に薄く広がる。


「バーン、大丈夫?」


「……だい……大丈夫です……行けます」


「よし、そのまま。——リオは右へ半歩」


「はい!」


 足音が通路の印に重なり、退く線が一本太くなる。ガルドは耳を動かし、顎と尾で撤退の道を示す。


「ここまで順調——油断はしない」


 私は呟き、指先に熱が戻る。


「ミナ、その先、左の根——少し揺れてる」


 セイルが低く言う。私は大樫の根のうねりに“支え”の結び目を置き、足場の緩みを止めた。


「そのまま三人は進んで」


 三人の足がそこに乗るが、崩れずに済む。彼らは振り返りかけて、でも振り返らずに前だけ見た。


 テオが巻き取り器を取り出し、細いワイヤーをオーガの足首に絡める。絡めた瞬間、彼はワイヤーがピンと張るまで一気に巻き取った。


「細いからって、舐めない方がいい」


 テオは淡々と告げ、視線を逸らさずに巻き取り器を操作する。小柄な指先に力が集まり、ワイヤーを軋ませる音が低く響く。その横顔は冷静そのもの、職人の面。


「よし、もう少し」


 私は呟き、三人の背を見つめながら意識をオーガへと向ける。油断はしない。この状況が崩されないように。




 ——そのとき。




「……お前ら、勝手なこと、してくれるじゃねぇか」


 背中に冷たい声が滑った。ドランは長剣の柄に親指を置いたまま、退路に吸い込まれつつある三人と、私たちと、オーガを順に見た。笑ってはいない。興味も薄い。ただ、測っている目。


 三人がびくりと肩を揺らし、足が止まりかける。私はすぐに言葉を重ねた。


「だめ——通って。そのまま」


 三人は反射みたいに頷いて、また通路へ身体を戻す。


 オーガの棍棒が、ガルドの肩へ弧を描くが、棍棒は肩を掠め、彼の背後の土にめり込んだ。土の音が低く、長い。


「通れ!」


 ガルドが短く吠え、体で道を守り抜く。バーンがフェナの肘をつかみ、フェナがリオの袖をつかむ。三つの背がオーガの視線から抜けていく。


「——興醒めだ」


 ドランの声は乾いていて、静かだった。ついさっきまでの軽い嘲りも、わざとらしい鼓舞もない。ただ、冷えた水をひと匙、火に落としたみたいな響き。


 次の瞬間、彼は動いた。


 踏み出す足が地面を叩く音は一度。長剣が鞘を離れる音は、空気の薄皮を裂くように小さく短い。間にあるのは、気配の不在——風が一枚抜け、音が一拍、遅れる。


 刃が白く一筋。狙いは肩口でも、首でもない。胸骨と鎖骨の間、心臓の縁を斜めに抜ける角度。オーガの息が、そこで一度だけ止まった。


 重い体が、ようやく遅れて理解する。棍棒が手から落ち、土が鈍く鳴る。膝が折れ、巨体が横へ崩れる。長剣の血はほとんど刃に残らず、振られた一度の動きで草に細い点だけを散らした。


 ドランは刃を払って鞘へ戻し、つまらなさそうに息を吐く。


「結果だけ取れりゃいい。……茶番は終いだ」


 言葉は軽いのに、地面に落ちる音だけが重い。


 私は喉の奥で息を一つ止めた。オーガが討伐され、危機が去ったことは喜ばしいことなのに、逆に冷たくなる。


 目を見開いて、反射的にドランの方へと体を向けている三人。リオの肩が震え、フェナが自分の腕を抱くように押さえ、バーンが視線を落としたまま動かない。



——危機は去ったはずなのに、森には新しい傷跡のような線が刻まれ、消えずに残っている気がした。

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