第13話 通すべき線
「風が下へ落ちてる。ここなら、気づかれにくい」
セイルが指で層の厚みを示す。私たちは大樫の根の陰を中心に身を置いた。私は低木と草の影に薄い“視線の結び目”をいくつか置く。
「彼らの進行線、こちらと別。距離、十分」
テオが短く確認し、腰の袋の口を結び直す。
やがて、見張りの結び目の向こうに“それ”が現れた。
肩幅が樫の幹に近い。皮膚は灰の混じった緑で、湿った岩みたいな光。手にしている棍棒は丸太をそのまま削ったような太さで、節が四つ。呼吸に合わせて胸が持ち上がるたび、喉の奥で低い唸りが鳴った。片耳に古い裂けの痕。——オーガ。
のそのそでも、遅くはない。重いだけで、速い。
「……でかいね」
セイルが息を潜める。私の指先は、無意識のうちに暖かさを確かめるみたいに膝の上で開いたり閉じたりしていた。
ほどなくして、別の音。若い足取りが三つと、重い足取りがひとつ。予告通り、反対側から。
ドランと、“始まりの剣”が来た。
オーガを目にしたリオとフェナ、そしてバーン——三人とも立ち止まったまま、目に恐怖を溜め込んでいる。喉仏が上がって下がる音が、ここまで届く気がした。
「……あれが、オーガ……」
リオが呆然としたように呟く。
「でかい……あんなの、どうやって……」
フェナは唇を噛み、肩に力が入りすぎている。バーンは盾の握りを汗で滑らせ、握り直した。
「おい、膝が笑ってるぞ」
ドランはあくびを噛むみたいな調子で言い、口の端だけで笑った。長剣の柄頭が細く光る。
「見世物じゃねぇ。仕事だ。前、見ろ」
「あの……作戦は……?」
リオが恐る恐る訊く。視線はオーガと地面の間で揺れている。
「作戦? そんなもんねぇよ。段取りでモンスターが倒れるか? ——行け」
それだけ。背中を押すでもなく、計画を描くでもなく、ただ崖の縁を指差すみたいな一言。
「……無策」
テオが低く言い、指が腰袋の口を一度だけ確かめる。
「“壁に触れさせる”って、こういうことじゃない」
セイルもほとんど息で言った。奥歯に力が入る。私は一度噛み直して、視界の余白を保つ。
三人は互いに視線を交わす。リオがかすれた声で言った。
「ぼくが、囮になる。二人は横から——」
「囮って……リオ、そんなの——」
フェナの声は震えている。バーンは肩を落とし、でも前に出ようと一歩踏み出す。
「オレ、盾で——」
「遅ぇ」
ドランの舌打ちが落ちる。「考える前に走れ。……いや、もう遅い、目で考えるな、足で考えろ」
言葉が命令なのに、具体がない。三人の足裏から土が抜けていく音がした。
リオが一番に飛び出す。フェナとバーンが半拍遅れて続く。
彼らの接近に気付いたオーガは低く息を吸い、棍棒を横に払う。空気が裂け、リオの身体がギリギリで潜る。髪が数本、宙に浮いた。
「おいおい、もっと腰落とせよ。そんなの冒険者の基本だろ」
ドランは楽しそうに笑う。
フェナが脇腹を狙って踏み込むが浅い。刃先は皮膚に乗っただけで滑り、オーガの手の甲が弾く。フェナがよろめき、バーンが慌てて身体を入れる。盾で受けたが、軽すぎる。重さに押し切られて、土が鳴った。
「盾も心も薄いな。飾りが歩いてんのか?」
胸が、ぎゅっと縮む。私の指先が膝の上で止まった。ガルドの喉が、低く鳴る。
「……まだだよ、ガルド」
「……わかってる」
声は低く、色は荒れていない。彼も、自分を押さえている。
「フェナ、息! 吸って! 落ち着いて!」
リオが叫ぶ。声が裏返る。フェナは「わ、わかってる」と返すが、刃先はわずかに震えたまま。
「バーン、前!」
フェナが気づく。バーンは仲間へと向けていた視線を戻すが、その半瞬の視線の逸れに、棍棒の影が刺さる。盾で受けるが、裂け目の音と共に肩が沈む。
リオが反撃に転じるが、足が合わない。腕で振って、オーガの硬い胸板に弾かれる。リオが弾かれた反動で咳き込み、膝をつく。
「もっと『命を削れ』って言っただろ。削る場所はそこじゃねぇよ。ほんとに目ついてんのか?」
ドランは笑いながら、言葉の刃で皮膚をなぞるように突く。
「やめろ……」
ガルドが喉で言う。爪に力が入る。私は手を伸ばしかけて止めた。まだ、介入の線は超えていない——けれど、それももう……
「立て、リオ!」
バーンが叫び、盾でオーガの視線を引こうと前に出る。重さに押されつつも踏ん張る。その隙に背へフェナが回り込もうとして、落ち葉に爪先を取られて体勢が崩れる。
「そんなっ!」
フェナ自身の声が裏返り、自分で驚いて止まる。呼吸は浅い。
「フェナ、下がれ! ぼくが——」
リオが無理に立ち上がるが、視界が揺れているのが遠目にもわかる。バーンが庇おうとフェナの元へ向かうが、オーガの棍棒が地面を叩き、土が跳ね、三人の足場が散る。その衝撃でバランスを崩し、地面に手をついた彼らの退路の線は、すでに消えかかっていた。
「前だ、前! 下がるな、目を上げろ! ……あぁもう、見苦しい」
ドランは不快そうに片手で長剣の柄頭を叩いた。音だけが軽い。
「……これ——指導じゃないよ」
私の声は小さかった。けれど胸の奥では、叫びに近い形で鳴っていた。セイルが頷く。
「従わせて、壊してる——そんな風にしか、ぼくには見えない」
「言葉、刃。行動、無策」
テオの声は冷静なのに、指先は硬い。腰の袋の金具がわずかに鳴る。
オーガが視線を固定し、狙いを定める。三人はなんとか立ち上がろうとするが、足が震えて上手く立ち上がれない——崩れる音は、もう目前。
「怖いなら帰っていいんだぜ? ……まぁ、もう遅えかもしれねぇけどな」
ドランは軽く肩をすくめる。
その言葉に、リオの顔から血の気が引く。フェナの呼吸はさらに浅くなる。バーンの目は泳ぎ、恐怖からか視線が下から上がらない。
胸の中の結び目が、きゅっと強くなる。私は両手を膝から離し、指先の温度をもう一度確かめる。ガルドもセイルもテオも、視線が一点に収束した。誰も声を上げない。けれど、同じ考えが私たちの間に置かれている。
——もう、一刻の猶予もない。
深呼吸し、呼吸を整える。私は手を高く上げ、指で輪を作る。
これは、みんなで決めた言葉を介さない“通って”の合図。
もう、これ以上は見過ごせない。
ここからは、私たちの意志を“通す”番。
この小さな合図が、四人の心をひとつに結んでいた。
次回は9/19(金)の投稿となります。




