第九話 夢なら覚めないで
――カコン。
砕ける音と共に、石が崩れ落ちる。
光が射し込んだその瞬間、サクラの意識は現実に引き戻された。
やわらかな髪が、顔が、全てが色を、取り戻す。
「っ……あれ……?」
視界がぼやける。耳がキーンと鳴る。
でも、すぐに聞こえた。誰かの震える息と、駆け寄る足音。
「……サクラ……! サクラ……!」
焦がれるような、祈るような――それは、どこかで聞き覚えがあるような、それでも知らない大人の男の声だった。
「……え……どなた…ですか……?」
そこにいたのは、美しい青年。
長く伸びた銀髪を後ろでゆるく束ね、宝石のような瞳が、今は潤んで揺れていた。
高い背、鋭い骨格。
しっかりとした腕に抱きしめられる。
「…えっ、あの……っっ」
「君が……君が目覚めてくれて、よかった……」
声は低く落ち着いているのに、微かに震えている、彼の抱擁はどこまでも切実だった。
「でも……なんで……? 私……ついさっき……魔法を受けて……」
「……あれから、10年経った」
「……っ!?」
あまりのことに、息が止まった。
(10年……、って……
そんな……。じゃあ、この人…まさか……?)
思わず顔を覗き込む。
確かに、面影はある。でも、記憶の中のヘンドリックからは――大人になりすぎていた。
「ヘンドリック……なの……?」
ふ、と青年はほころぶように笑みを浮かべた。
「そうだよ、サクラ。
…もう、私はきみの知っている姿ではなくなってしまったかもしれないけど」
「魔術の構成を分析して、解呪の方法をずっと探していた。
時間がかかったけど、……必ず君を助けるって、決めていたから」
沈黙。
私にとっては、魔法を受けてから一瞬。
でもヘンドリックにとっては、10年が経過している。
それは、一緒に過ごせた時間よりも、長い時間。
どれだけの覚悟を要したか、想像もつかない。
目の前の青年は、もはや“弟”ではなかった。
「ずっと……私のことを?」
「もちろん。
君が石の中で眠ってる間、何度も思った。
“このままなら君はどこにも行かない”って。」
「でも同時に……声が聞きたかった。抱きしめてほしかった。笑ってほしかった……!」
ヘンドリックが膝をつく。
震える手をサクラの手に重ね、ゆっくりと、言葉を紡いだ。
「君が目覚めるのを、待っていた。
目覚めたら何を伝えようか、ずっと、ずっと考えていたんだ……」
「……っ」
「お願いだ。私と、ずっと一緒にいて欲しい。
一緒に歳を取りたい。君のおかげで、私は愛を知った。」
「この10年、一秒たりとも君を忘れたことはない。
君は私を、弟のように愛してくれたかもしれないが、
私は、愛を教えてくれた君を、ずっと一人の女性として、愛していた」
「……っ……!」
「一生幸せにすると誓う。
っだから――
どうか、私のそばにいてくれないか。
私と結婚を。過去とは違う形で、家族に。」
サクラは言葉を失ったまま、彼を見上げた。
頬を伝った一筋の涙。
こんなにも深く、自分を想っていてくれたなんて――
どれだけの時間を、自分に捧げてくれていたのか。
胸の奥がぎゅうっとなり、サクラは――
「……私のこと……そんなに、ずっと……」
「うん。今も昔も、君しか、いないよ」
「……はい。私も、"弟"じゃない、あなたのそばにいる。どこにも行かないよ」
静かに、二人の手が重なった。
10年の時を越えて。
“弟”と“姉”だった関係は、
また形を変えて、家族になる。