第四話 静かな炎
春の市が開かれる日。
村の外れまで薬草の買い足しに出たサクラは、思いのほか人の多さに目を丸くした。
「わっ、すごいね……。ヘンドリック、はぐれないように手――」
「……手は、いい」
隣で歩くヘンドリックは、ずっと仏頂面だった。
明らかに人混みを警戒している。いや――違う。彼は、サクラを見ている人たちを、睨んでいた。
「……あの男、サクラを見てた。……殺す?」
「しないでね!?!?!?」
⸻
「この辺りじゃ珍しい薬草でね、よかったらこちらの――あ、君、名前は?」
「え? あ、私はサク――」
その瞬間。
隣にいたヘンドリックが、静かにサクラの腕を引いた。
強くはない。でも、拒めない力だった。
「……サクラって呼ぶな」
「えっ?」
商人が目をぱちくりさせる中、ヘンドリックはじっとその男を見据えていた。
微笑みもしない。礼も言わない。ただ、冷ややかな声で呟いた。
「俺以外がその名前を呼ぶのは、気に入らない」
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「……ちょっと、ヘンドリック? さっきの言い方、怖かったよ」
「……あんな男、サクラに触れる資格ない」
「でも、普通に挨拶されただけだし……そんなに睨まなくても……」
ヘンドリックは立ち止まる。
そして、振り返って、はっきりと言った。
「……なんで、俺だけが、こんなに苦しいの」
「え……?」
「“弟”なら、誰が名前を呼んでもよくて、話しかけられても、笑ってくれて。……でも俺が何か言うと、“子どもなんだから”って言われて」
「それは、そういうつもりじゃ――」
「……俺は、弟じゃない」
足音が近づいた。
サクラの目の前に立ったヘンドリックは、そっと彼女の頬に触れる。
「弟じゃない。……もう、サクラのこと、そういうふうには見れない」
「ヘンドリック……?」
その言葉の意味に気づくには、まだ早すぎた。
「思春期…?そっとしておくべきかなあ…
私も覚えがあるけど、お母さんなんて知らない!みたいな……?」
でも、その夜から、ヘンドリックは隣で眠らなくなった。
代わりに、深夜。誰もいないはずの部屋で、低く呟く声。
「……俺だけが、見てればいいのに。……全部全部、俺だけのものであればいいのに」