お父さんはアイドル
人が亡くなった時、残された人はいくつかの決断に迫られる。
混乱する頭で決断したことが正しかったのか。
父が亡くなった時の決断に、私は自信が持てないでいる。
「ねぇ、やっぱり無理かも……」
そう言って席を立とうとする母の袖を引っ張って引き止める。
「ちょっとお母さん。ここに来るまでに三年かかったじゃん。
今日また見なかったら、今度はまた三年後とかになるよ」
私の言葉を聞いて、しぶしぶ、という感じで母は椅子に座り直した。
私だって落ち着かない気分だ。
この、ふかふかすぎる椅子も良くない気がする。
体が沈みこんで、なんとなく落ち着かない。
「はぁ……。でもねえ……。お父さんがアイドルなんて……。
本当に大丈夫なのかしらって、不安になっちゃって……」
隣でそわそわと落ち着かない様子の母に、タブレットを渡す。
「ほら、開演までこれ見てて」
母が見やすいように、タブレットを操作する。
開いたページには、アイドルの――父の活動報告がわかりやすくまとめられている。
年間を通してどんな活動を、どれくらい行ったか。
ファン数の推移。
目標の達成率。
インタビュー記事もある。
「あらぁ、こんなのまでつくってくれるのねえ」
母は感心したように、タブレットに表示される情報を見ていく。
「ね。意外と細かいとこまでつくってあるね」
会場が暗くなる。
いよいよ開演だ。
「もう席を立たないでよ」
と、前を向いたままで私は言う。
会場には私たちしかいないから、今から席を立っても迷惑になることはないけど。
「わかってるけど……、でも……本当にできてると思う?
お父さんにアイドルなんて……」
母の問いかけになんて答えればいいんだろうと迷った。
あの時の選択が正しかったのか、私はわからないでいる。
だから私だって、来る決心がつかなかった。
「……わかんないよ。
私たち、ここに来られるようになるまでに三年かかったじゃん」
ステージがまばゆい光に包まれた。
音楽が鳴り、軽快……とは言い難いステップを踏んで、中年男性があらわれる。
「今日は来てくれて、ありがとうー!」
父は笑顔で観客席に手を振る。
観客席を見渡した。
満席とはいかないが、そこそこ席は埋まっているようだ。
これが活動三年目のアイドルとして、多いのか少ないのかはわからない。
ただ、ほっとした。
変な気分だ。
父を見た時に、どんな気持ちになるのかわからなかった。
懐かしさなのか、申し訳なさなのか、
泣きたくなるのか、うれしいのか。
今の自分の気持ちを言い表すことはできなかった。
ただ、後悔の気持ちがわいてこないことが、うれしかった。
母はステージを見て、涙を流している。
「せっかくだから、ちゃんと応援しよ」
会場に入る時に渡されたペンライトを母に渡す。
私たちはぎこちないながらも、精一杯の声援を父に送った。
一時間のステージが終わって、会場が明るくなった。
まわりに映し出されていた観客も消える。
母の目は真っ赤になっていたが、口元には笑顔が浮かんでいた。
「来てよかったね」
私の言葉に、母は黙って何度もうなずく。
「お父さんだったね……お父さんがいたね……」
うつむいて泣き始めた母の背中を、私は黙ってさすった。
三年前に父が亡くなった。
私と母にとって、それはあまりに急で。
心の準備ができていなかった私たちは……
特に母は、ショックでふさぎこんでしまった。
母を助ける形で葬儀のあれこれを決めることになった私は、その時まだ始まったばかりのサービスに申しこむことにした。
AIが再現した故人が、ヴァーチャルの世界で活動するというサービス。
活動の内容はいくつかあり、アイドル、配信者、芸人など。
今はもっと種類が増えているらしい。
サービスの開始が発表された時は批判がすごくて、故人を冒とくしている、とか批判がたくさんあったらしい。
このサービスに申しこむことが、父を冒とくすることになるのか、すごく悩んだ。
でも、私たちには時間が必要だと思った。
これからも当たり前にあると思っていた父との時間。
それが欲しかった。
誰にも相談せずにサービスに申しこんで、母に打ち明けたのは葬儀が終わってからずっと後だった。
それから三年。
アイドルとしてヴァーチャルの世界で活動する父に会いに来る決心は、なかなかつかなかった。
「またこようよ」
母に声をかけると、母が顔を上げた。
「そうね……。泣いちゃうからあんまり頻繁には……。
年に一回くらいしか、来られないかもしれないけど……」
「いいね。お墓参りって感じでさ」
「お墓参りでアイドルを見るって、変な感じね」
母の泣き笑いの顔になんて声をかけたらいいかわからなくて、私はわざと冗談みたいな調子で言う。
「注文すれば、グッズとかつくってくれるらしいよ」
「まだそこまでは……」
と言いつつグッズのラインナップを確認する母の荷物を持って、会場を出る準備をするのだった。