表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/13

第6話「知覚の崩壊」

──時計の針が、戻る


カチリ、と乾いた音が響いた瞬間、透子の視界がぐらりと揺れた

白いカップに注がれたコーヒーの表面が波紋を作り、わずかにこぼれる


目の前に座る彼女──ニャルが、微笑んでいる


「……どうかなさいましたか、ご主人様?」


透子の目の前にいる彼女の金色の瞳が、琥珀のように鈍く輝いた

透子は、息を呑む


──今、何が起きた?


確かにさっき、時間が巻き戻ったような感覚があった


「……ねえ、いま、時計が」

言いかけた言葉が、喉の奥で消える

おかしい、何を言おうとした?


わずかに頭が重い


透子は、自分の指先をじっと見つめる

微かに震えていた


「……なんでもない」

そう答えた瞬間

ニャルの微笑みが、ほんの僅かに深くなった


透子は、食卓に視線を落とす

冷めかけたスープの中で、溶けかけたパンがゆらりと揺れた



会社に着いても、違和感は続いていた

デスクの上には、未開封の書類が山積みになっている

どれも見覚えのあるものだった


──いや、違う

見覚えが「ある気がする」だけだ


書類の内容を確認しようとした瞬間、視界の端で誰かが立ち上がるのが見えた


「倉橋さん、大丈夫?」


声がする

隣のデスクに座るのは、女性社員


透子は彼女を見つめた

──誰だ?


いや、知っている 名前も、顔も

けれど、その記憶が奇妙に薄い

遠くの霧の向こうにあるような、輪郭の曖昧な存在


「最近、疲れてるんじゃない?」

彼女は心配そうに言う


透子は曖昧に微笑みながら、軽く首を振った

「大丈夫」

そう答えると、彼女は安心したように席へ戻る


透子は小さく息を吐いた

──やっぱり、疲れてるだけだ


けれど、


翌日


隣のデスクには、誰もいなかった


「……え?」


透子は思わず、周囲を見渡す

いつものオフィス、いつもの風景

けれど、昨日、自分に話しかけてきた女性は、どこにもいない


「倉橋さん?」


別の同僚が声をかけてきた

「どうかした?」


透子は、隣のデスクを指さした

「ここにいた人は?」


「……?」


同僚が首を傾げる

「ここ、最初から誰も座ってないけど?」


──嘘

そんなはず、ない


透子は、ぞわりと肌が粟立つのを感じた

「でも、昨日……」

声を絞り出す

「昨日?」


同僚は、不思議そうに瞬きをする

「倉橋さん、昨日も普通に一人だったよ」


透子の脳裏に、彼女の心配そうな表情が浮かぶ

「最近、疲れてるんじゃない?」


──あの声は、何だった?


確かに、聞いた いや、話した

昨日、ここで

なのに


「最初からいなかった?」


頭が痛む

まるで、何かが強制的に"なかったこと"にされていくような感覚


透子は、デスクに置かれたスマホをそっと握る

──仕事をしてたし、記録があるはず


昨日の履歴を確認しようと、画面を開く

通話記録、メッセージ履歴


──ない


どこにも

彼女の存在は、どこにも残っていなかった


透子は、息を呑んだ




透子は、震える指で鍵を回した

静まり返った室内

──帰りたくなかった

けれど、どこへ行けばいいのかわからなかった


リビングの明かりが灯る

食卓には、すでに食事が並んでいる

バターの香り、優雅な盛り付け、美しく磨かれた食器


ニャルが、微笑んでいた


「おかえりなさいませ、ご主人様」


その声が、ひどく心地よかった


透子は、崩れるように椅子に腰を下ろす

「……ニャル」


震える声で名前を呼ぶ


「私……」

話しかけようとして、言葉が喉で詰まる

──何を言おうとした?


ひどく、頭がぼんやりとする


ニャルが微笑む

「大丈夫ですよ、ご主人様」

「疲れているのです 少し、忘れましょう」


そっと、透子の頬に手が添えられる

指先は、夜の冷たさを含んでいた


その温度に触れた瞬間

透子は、すべてを忘れた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ