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第4話「影のない女」

目を開けると世界がひどく静かだった


重たいまぶたを押し上げぼんやりと天井を見上げる


──ニャルがいない


透子はゆっくりと体を起こした


寝室には透子一人きりだった 昨夜まで確かにここにいたはずのメイドは跡形もなく消えている


冷たい空気が肌を撫でる それがまるで彼女がこの部屋に存在していた痕跡さえも削ぎ落としていくかのようだった


ベッドのシーツに微かに残る温もり それだけが彼女が確かにここにいたという証拠だった


しかしどこかおかしい


──ニャルの気配がない


透子はベッドの端に腰掛けたまま部屋を見渡した


何かが決定的に変わってしまったような理解の及ばない違和感が胸の奥で燻る


深く息を吸い静かに吐き出す


「……行かなきゃ」


自分に言い聞かせるように呟くと透子はゆっくりと立ち上がりいつも通りの支度を始めた



オフィスに到着するとすぐに同僚たちの何気ない会話が耳に入ってきた


「ねえ倉橋さんって一人暮らしだよね?」


デスクに座るなり向かいの席の後輩が何気なく尋ねてくる


「え? まあ……そうだけど」


「なんか前に家事をやってくれる人がいるとか言ってませんでした?」


「……言ったっけ?」


曖昧に返しながら喉の奥がひどく乾くのを感じる


──そんな話しただろうか?


確かにニャルはいる 彼女は自分の家にいて食事を作り掃除をし微笑みを浮かべながら「おかえりなさいませ」と迎えてくれる


なのに


同僚たちの顔には微妙な疑念が浮かんでいた


「えーでも誰かと住んでる感じじゃないですよね」


「ていうか倉橋さんって誰かと一緒に住むタイプじゃなくない?」


「でしょ? 私もそう思ったんだよね」


くすくすと笑いながら交わされる会話に透子はひどく居心地の悪さを覚えた


──彼女は確かにそこにいるのに


透子は笑って誤魔化しながら自分のデスクに向き直る だが心のどこかに冷たい疑念がこびりついて離れなかった


昼休みになり透子はふとスマートフォンを取り出す


SNSを開く


過去の投稿を遡る


──どこにも彼女の痕跡がない


数日前確かに「メイドさんがいたらな」と呟いたはずだった その投稿に対し彼女は「伺います」と返信した そのはずだった


だが


透子の指が画面を滑る 何度見返してもニャルの返信はどこにもない


まるで最初から存在しなかったかのように


「……嘘」


静かに震える指先 画面を閉じる


ひどく息苦しい


──彼女は本当にいたのだろうか?



帰宅すると透子は息を呑んだ


家の中の空気が異様に澄んでいる だがそれはただの清潔さではなくまるで現実から切り離されたかのような静寂だった


靴を脱ぐ


リビングへ足を踏み入れる


「おかえりなさいませ ご主人様」


透子の足が止まる


そこに彼女はいた


黒いメイド服を纏い完璧な笑みを浮かべ恭しく頭を下げていた


まるで今朝までの不在などなかったかのように


「……ニャル」


透子の喉が僅かに震えた


「今日はお仕事 お疲れ様でした」


柔らかく甘い声


まるで耳の奥に直接響くような感覚


透子は彼女を見つめる しかしその影がどこにも落ちていないことに気づいた


床に壁に彼女の影はなかった


透子は息を呑んだ


「……あなたどこにいたの?」


ニャルはただ微笑んだ


「ご主人様のそばに ずっと」


空虚な響きだった


透子はゆっくりと後ずさる


彼女の存在がひどく遠く感じた


いや違う


*最初からここにはいなかったのではないか?*


透子は知らず知らずのうちに拳を握りしめていた


「……嘘」


微かに唇が震える


ニャルは静かに微笑んでいる


彼女の影がどこにも落ちていないまま


透子は喉の奥から押し出すように言葉を絞り出す


「ねえ……あなた本当に"ここ"にいるの?」


ニャルの瞳がわずかに細められた


そしてゆっくりと首を傾げる


「ご主人様は……どう思われますか?」


透子はその問いに答えられなかった


沈黙が部屋に重く降り積もる


まるで返答を待つかのように

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