衛士
夕方から薄い雲が出てきた。
今夜は白い塔の夜番で、ここには屋根が無いので天気が気になる。
雨は降らないだろうって、空見番が言っていたが、どうだろう。最近予報はあてにならない。
月も星もない空の下に佇んでいると、ついつい、あの日の事を思い出してしまう。
半年前の夜。
視察からの帰り道、王様の一行が、夜襲にあった。
襲ったのは、その土地で暴れ回っていた盗賊の一味だった。
見張りが気づいて斬り合いになり、じきに取り押さえたが、数名の騎士が怪我を負った。
後に、背後に上級貴族が居ることが分かり、彼らに処分が下された。現王を廃し、王妃様を重用する新な王を立て、北の国との繋がりを強化したい一派だったが、この一件で力を削がれたと聞く。
王様が無事に帰還された後、ささやかながら、祝宴が開かれた。
王様の背後にある、王族が出入りする扉の前の見張りをしていたおかげで、一部始終を見ていた。もちろん、他言はできない。
「あの首飾りが盗まれたと聞いたが」
宴の最中、王様が王妃様に問うた。
「はい。愚かな女が、真の価値も知らずに盗みを働きましたが、私の騎士達が無事に取り戻してくれました」
「ほう」
王様は、控えている侍女頭に顔を向けた。
「それは、真実か?」
「侍女は、盗みを否定しております」
「王妃よ。我が国では、確たる証拠もなしに、人を裁くことはできない」
「あの女の部屋から、首飾りが出てきたのよ。彼女が盗んだに違いありません」
「それは、証拠とは言えまい。そもそも、どのようにして、其方の部屋から盗み出せたのだ?」
「鍵を盗んで、警護の隙をついたのよ。あの子はずる賢いから」
「証拠がなければ、人が人を裁くことはできない。
こういう時には、我が国では、月の女神様の審判にお任せすることになっている」
王様が合図をすると、侍女頭が、螺旋細工の箱を持ってきた。
「盗まれたという真珠の首飾りで、盗まれたことを証明してみせよ」
王様自らが真珠の首飾りを取り出し、王妃様の首にそれをかけた。
「其方も知っていると思うが。これは王家に伝わる神聖なる首飾りだ。
月の女神様のお力で、真実を明らかにしていただこう」
「月の女神様のお力?」
「そうだ。王妃よ、彼の侍女は、本当にこの首飾り盗んだのか?」
「はい、間違いないわ」
王妃様がはっきりと答えた。
周囲の眼が、王妃様の胸元に集まる。
煌々と灯された光の中、白く輝いていた真珠が、徐々に輝きを失って、黒ずんでいく。
「……色が変わったな」
王様が呟いた。
「お、お待ち下さい。このようなことが……、このようなことで……」
王妃様が、両手で胸を隠すようにするが、周囲の眼は厳しく注がれたままだ。
「女神からの、審判を受け取った。王妃よ、真実に従え」
王様の合図と共に、騎士達が抗う王妃様を捕らえ、連れ去った。
王妃様は、病気静養のために、白い塔に入られたと、公には発表された。
侍女頭からは、首飾りの秘密を、寝物語として教えて貰った。
王家に伝わるのは、首飾りだけではなく、いくつかの薬もあるという。
王様が触れた手に、予めつけられていた薬によって、色が変わるのだそうだ。
「つまり、どういうことだ?」
俺は、それほど頭が良くない。
「薬を塗った手で、真珠に触れると、次第に色が変わっていくのよ。段々と黒くなっていくの。必要なのは、会話のタイミング」
「つまりは、女神の審判ではなく、王様の意図で、色が変わるという事か?」
「ええ。神様は、人間同士の些末なもめ事には関わらない。この国では、このようにして、真実が定められてきたってこと」
月の女神は、『愛と真実』を司ると言われている。
『愛』と『真実』は、同時に成り立つとは限らないだろうと思うのは、俺が情緒を解しないためなのか。昔、母にそう言って怒られた記憶がある。
俺には神様の事は良くわからない。
この国の破壊を防いだり、平和を守ったりするのは、何だかんだと言っても、自分達のような一人の人間なんだと信じている。
あの侍女は、恋人の騎士と一緒に、故郷に帰って暮らしているらしい。
小さいが美しく整えられた屋敷で、幸せに暮らしているという。
バルコニーから眺める月がとても美しいと、侍女頭に届いた手紙に記してあったそうだ。
夜の気配が強くなった。
春が近いと言っても、夜の空気は身体に冷たい。
雲が途切れた。
白い月が、冴え冴えとした光を投げかける。
地面に伸びた塔の影が、何もかもをも吸い込んでいるように、辺りは静まり返っている。
窓辺に、影が一つ、動いた。
月に祈りを捧げているように佇む人影は、じっと動かない。
故郷を思っているのだろうか。それとも後悔か。
自分には難しい事はわからないが、これ以上戦は起こりませんように、この国がこれ以上破壊されることがありませんようにと、柄にもなく祈ってしまう。
月が綺麗だ。
これで終わりです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。