書籍発売記念SS◆甘えちゃうタイプ(※sideマクシム)
その日、立て込んでいた執務に一区切りつけ、俺は足早に食堂へと向かった。いつもの夕食の時間を少し過ぎている。
(エディットを待たせてしまったな……)
そう思い食堂へと足を踏み入れた「すまない、エディット。待たせてしまったな」と言った瞬間、何やら皆の様子がおかしいことに気付いた。
エディットの専属侍女のカロルとルイーズが、彼女の席のすぐそばに立ち、エディットの顔を覗き込んでいる。そしてその近くには新人の給仕の娘が、真っ青な顔で立ちすくんでいる。
「だ、旦那様……! 実は今しがた……」
カロルの説明に、俺は驚き声を上げる。
「……何だと? おい、エディット。大丈夫か」
まさか給仕が試飲用のワインと葡萄ジュースを間違って配置するとは。慌ててそばに行き様子を見ると、すでにエディットは瞳をとろんとさせている。そして上気した顔で俺の方をゆっくりと見上げた。
……何だか妙に蠱惑的で、艶かしく見える。
「……。……ウン……?」
いつも背筋をピンと伸ばして椅子に座るエディットが、しどけない姿で背もたれに寄りかかり、甘えたような声で一言返事をする。
「たった一口か二口ほどしか召し上がっていないはずなのですが……っ!」
「おそらくアルコールを召し上がったのは初めてでいらっしゃいますものね。耐性がないから、このようなことに……」
ルイーズとカロルがおろおろしながらエディットの背を擦り、手を握る。
俺は妙に焦った。
うっとりとしたエディットの表情を、薄く開いた唇を、他の誰にも見せたくないと思ったのだ。執事にも、給仕たちにも、従者にも。
「……俺がこのまま寝室に運ぶ」
そう言うと、俺はすぐさまエディットを横抱きに抱き上げた。
階段を上っていると、しばらく目を閉じていたエディットがぱちりと目を開き、こちらを見上げた。そしていつもよりゆっくりとした口調で俺の名を呼ぶ。
「まく、しむ、さま……」
「……大丈夫か? エディット。すぐにベッドに寝かせてやる。気分は悪くないか?」
「……ウン」
その返事を聞いた途端、俺の足が止まった。
鼻にかかった高く弱々しいその声が、尋常じゃなく色っぽく聞こえたのだ。
まるで、閨での彼女の姿を思い出させるような……。
(……馬鹿な。何を考えているんだ俺は。早く寝かせてやらねば)
自分にそう言い聞かせながら運んでいるというのに、エディットはその甘い声で「体が、熱いの……」だの、ミスをした給仕のことを「あまりおこらないで。……ね?」などと可愛く言ってくるものだから、脳みそを揺さぶられるような動揺を覚えた。
(頼むからそんな潤んだ目で、上目遣いに俺を見つめるな……!)
自分を律しながら寝室に入り、エディットの体をそっとベッドに横たえる。
すると、運んでいるうちにまた目を閉じていたエディットが、再び口を開く。
「ん……。マクシムさま……気持ちいい……」
「少し眠れ。水を飲むか? 持ってきてやろう」
「ううん……いらにゃい。……体が、熱いの」
「だ、だから、水を持ってきてやると言っているだろう」
もう止めてくれ。そんな口調で気持ちいいだの体が熱いだの。俺をどうしたいんだ、エディット。
(いかん。このままそばにいるのは危険だ。休ませてやれなくなる。……水を取ってくるか)
そう思いベッドから離れようとした、その時。
エディットが、俺の腕をその柔らかな両手で摑み、引き止めた。
「っ? な、何だ? エディット……どうした?」
「やだぁ、マクシムさまぁ。行かないでぇ」
「……っ!?」
鼻にかかった声でそう言いながら、潤んだ目で俺を見つめるエディット。
その瞬間、俺の全身が熱く滾った。
そして次の瞬間、エディットは俺にとどめを刺した。
「マクシムさま……大好き。ずっとずっと、私のそばにいて……。ね?」
「〜〜〜〜っ!? く……っ!!」
もう無理だ。限界だ。
俺は真っ赤に火照った顔を自らの手で覆う。けれど激しく脈打つ心臓を落ち着かせることは、到底できない。
いくら何でも可愛すぎる……!!
「一緒に寝よ。……来て、マクシムさまぁ」
「……あ、甘える質だったのか……! クソ、こんな姿を見せられて、誰が正気を保っていられると……!」
愛する妻に懇願され、置き去りにして寝室を出て行くことなどこの俺にできるはずもない。
大丈夫なのか。このままベッドに入ってしまい、俺は酔っている彼女に何もせずにいられるのか……?
いや、だが、感覚が鈍っている体に無体な真似はできない。しかも今のエディットは正気を保ってはいないのだ。夫婦とはいえ、同意を得ているとは言いがたいのに……。それに、今の状態で体力を消耗させるのは……。
悶々としながらエディットの隣に滑り込み、腕枕をしてやると……なんと彼女は、次の瞬間もう眠ってしまったのだった。
(……う……嘘だろう……)
はっきりと熱の灯った体を持て余し、俺は軽く絶望した。
何度かそっとベッドを抜け出そうとしたのだが、そのたびにエディットが無意識にこちらに腕を伸ばし、足を絡ませてくるものだから、離れることができない。
朝まで一睡もできぬまま、俺は愛おしい妻の寝顔を見つめては何度もため息をついたのだった。
 




