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39. 来訪者

 6歳の時に実の両親が亡くなり、引き取られた先の新しい家族からは愛されることがなかった。

 屋敷の中に閉じ込められ、毎日朝から晩まで働き、義理の両親や姉妹からは何度もぶたれ、蹴られ、毎日を恐怖と痛みと孤独の中で過ごしていた。

 15年間にも及ぶそんな暮らしの中から、私を救い出してくださったのがマクシム様だった。


 彼は私にたくさんのものを与えてくれた。

 初めて見る世界。人との触れ合い。愛のこもった贈り物。たくさんの知識。そして何より、溺れるほどに深い愛情。


 そんなマクシム様とこの辺境の地で過ごす日々は本当に幸せで、こんなにも深い愛と安らぎを知った今、もう私にはマクシム様のいない生活なんてとても考えられなかった。


 彼が私の全てになった。




 そんなマクシム様が戦地に旅立ってから、もう一週間が過ぎた。


「……エディット様、お願いですから、お食事を召し上がってくださいませ」

「今日はパン粥にしてもらいましたよ!これなら喉を通りやすいでしょう?……うーん、いい匂い。エディット様、ほら、ミルクのいい香りがしますよー」

「…………。」


 ベッドに横になってぼうっとしている私の目の前に、カロルとルイーズの心配そうな顔がある。……分かってる。こんなことではいけないと。ちゃんと分かってる。情けないわよね、私。あんな立派な殿方の妻に全然ふさわしくない。


(……きっとお義母様は、こんなんじゃなかったんだろうな……)


 お義父様を戦地に送り出した後、お義母様はお義父様に代わって領地の仕事をこなしていたという。毎日死にもの狂いで領主としての仕事に没頭し、まだ幼かったマクシム様もお義母様を助けながら剣術の腕を磨き続けたと、以前マクシム様は言っていた。


 それなのに。


 そんなたくましいお義母様やマクシム様とは雲泥の差。私はなんて弱いんだろう。

 起き上がらなきゃ。動かなきゃ。

 何度も何度も自分にそう言い聞かせているのに、体が言うことを聞いてくれない。

 目の前のカロルとルイーズも、私に引きずられるようにどんどん沈んだ表情になっていく。


 その時だった。


「まぁ、一体どうしたというのかしら。こんなにいいお天気のお昼に、可愛い子が辛気臭い顔をしてベッドでなまけているなんてね。ふふ」


(…………?)


 突然私の部屋に響く、溌剌とした明るい声。部屋の入り口に目をやったカロルとルイーズが、ぎょっとした顔をして立ち上がると慌てて下がり、礼をする。

 何事かと頭を持ち上げると、私の目の前に懐かしい人の姿が現れた。


「出立前のマクシムから手紙をもらったのよ。あなたが心配で会いに来てしまったわ。……お久しぶりね、エディットさん」

「……っ!!お……、お義母、さま……っ」


 突然部屋にやって来たのは、マクシム様のお母様だった。

 まるでいたずらに成功した子どものように満面の笑みを浮かべ、私を見下ろしている。そしてそのままベッドサイドにそっと腰を下ろすと、静かに言った。


「……寂しいわよね、エディットさん。よく耐えて見送ったわ。偉かったわね」

「……っ、お、……おか……、」


 優しく頭を撫でられ、もう言葉にならなかった。

 私はお義母様に抱き寄せられると、そのまま声を上げて泣いた。




  ◇ ◇ ◇




「……全く……こんなに窶れちゃって……。マクシムが帰ってきたらびっくりするわよ。こんなになるまで放っておいたのか!ってこの子たちが怒られちゃうわ。ねぇ?」


 パン粥を無理やり口に運ぶ私の顔を見ながら、カロルとルイーズにそう同意を求めるお義母様。二人はコクコクと頷いている。


「……本当に、……申し訳ありません。わ、私のような弱くて情けない者が、マクシム様の……」

「ああ、もう止めてちょうだい。私も夫も、それに当然マクシムも、あなた以外のお嫁さんなんて考えられないのよ。私たちの大切な子のことを、卑下して悪く言わないで」

「……お義母様……」


 その優しい言葉にまた涙が込み上げてくる。パン粥を嚥下しながらそれを必死に堪えた。

 そんな私を優しい瞳で見守りながら、お義母様が言った。


「……あなたの気持ちはよく分かるわ。今どれほど心細い思いをしているか。ましてあなたにとってマクシムは、辛い場所から救い出してくれた王子様みたいなものでしょうしね。孤独に生きてきたあなたに、愛を注いでくれた男だもの。そりゃ片時も離れたくないわよね。……だけどね、マクシムは今回は必ず元気に戻ってくるだろうけれど、こんな別れは今後何度も繰り返すことになるかもしれないのよ」

「……っ、」


 ハッとして見つめたお義母様のその顔は、優しさの中にも毅然とした厳しさがあった。



 

 


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