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37. 行かないで

 そのことをマクシム様から聞かされた時、一瞬にして目の前が真っ暗になった。


 頭ではちゃんと分かっていた。覚悟もしていたはずだった。マクシム様は騎士だ。私設騎士団を束ねる団長で、歴戦の猛者。これまでも何度も戦の場に赴き、賊を討ち、時には同盟国のためにもその刃を振るい、この王国を守ってきた。

 そんな人の妻になったのだから、マクシム様のお義母様のようにいずれは夫を戦地に送り出す日がやって来るのかもしれないと。だけど今この王国は平和だし、そんな大きな戦争など当分あり得ないだろうと自分に言い聞かせていた。


 それなのに──────


「……南の小国の一部から仕掛けられた侵略戦争だ。あの国はここ数十年、度重なる天災により弱っていく一方だった。追い詰められた末、略奪に打って出たのだろう。……まぁ、勝敗は火を見るより明らかだが。王都からの騎士団到着を待つよりも、我々の領地から兵を出す方が早いからな。敵の侵攻を防ぎ、足止めしておかねばなるまい。南方の別邸にもさほど遠くない場所で、すでに攻撃が始まっている。両親が巻き込まれるのも避けたいところだしな。…………エディット?どうした」


 淡々と語るマクシム様の言葉を聞いているうちに、全身がガクガクと震えはじめ、足に力が入らなくなる。今にも崩れ落ちそうだった。視界が揺らぎ、胸が千切れそうなほどに苦しい。浅い呼吸を繰り返す私の瞳から、床の絨毯にボトリと大粒の涙が落ちた。


「……っ、はぁ……っ、はぁ……っ……、ひっく……」

「……っ!エディット……」


 まるで些細な報告でもするような雰囲気で話していたマクシム様が、私の元に歩み寄り両肩に手を置く。そして身をかがめ、俯いたまま次々と涙を零す情けない私の顔を覗き込む。


「どうした、エディット。……大丈夫だ、落ち着いてくれ。何、そんなに大袈裟なことじゃない。国を挙げての大きな戦争に長期で出征するわけじゃなく、ただ小国の一部の軍を鎮圧してくるだけだ。この程度のいざこざ、俺たちは何度もくぐり抜けてきている。……そんなに泣くな」


 そう言いながらその大きな胸に私を抱き寄せ、しゃくり上げる私の背中をポンポンと優しく叩き、擦ってくれる。だけどあまりにもショックで、悲しくて、どうしても泣き止むことができない。マクシム様はついに私を横抱きに抱き上げ、そのままソファーに向かって歩き出した。


「すまなかった、エディット。俺たちにとっては何度も経験してきた任務の一つでしかないんだが、お前には衝撃が大きかったな」


 そう言ってソファーにどっかりと腰かけると私を隣に下ろし、びしょ濡れになった私の顔をハンカチで優しく拭いてくれる。

 私は一体何をしているんだろう。辺境伯の、騎士団長の妻なのに。情けない。みっともない。もっと毅然と受け止めなくては。かしこまりました、留守はお任せください、どうぞお気を付けてと、ご無事のご帰還をお待ちしておりますと、そう堂々と答えなければならないはずなのに。


 マクシム様が、私のそばからいなくなる。


 命をかけた争いが起こっている場所に……、その身を危険に晒す場所に行ってしまう。


 そう思うだけで、今にも頭がおかしくなりそうだった。


 行かないで──────……


 そう縋りつきたくなるのを必死に堪えて、私はどうにか言葉を絞り出す。


「……ひっく、……ご、ごめ……なさ……、ま、マクシム、さま……」

「……お前は、本当に……」


 感極まったようにそう呟いたマクシム様が、私を強く抱きしめ、頬にキスをする。


「……可愛いな、エディット。……何も心配するな。必ず無事に帰ってくるから。まさかお前、こんなに可愛い妻を置き去りにして俺がこの世から去るとでも思っているのか?……言ったはずだ。お前のことを生涯この手で守り抜くと。こんなことで死んでられるか」

「……マ……マクシム、さま……っ!……うぅ……っ」

「それに、俺が戻ってこなかったらどんな悪い虫がお前に近付いてくるか分かったもんじゃないだろう。冗談じゃない。お前は生涯俺だけのものなんだ。他の男になど指一本触れさせるものか。……だから、エディット」


 マクシム様の温かい手が私の頬に添えられ、そっと上を向かせられる。

 目の前には優しい銀色の光を帯びたマクシム様の瞳があった。


「お前は何も心配せず、ここで大人しく待っていてくれ。カロルやルイーズたちと毎日楽しく過ごしていればいい。おそらくそんなに長くはかからない。すぐに帰ってくるから。……分かったな」

「…………っ、……はい……」


 そう答えたことで、マクシム様が行ってしまうことを受け入れてしまったようで。


 ますます激しくしゃくり上げながら、私はいつまでも愛する人の大きな胸に抱かれて涙を流し続けた。






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