再び、中へ
「城の構造は確か……」
システィが城の最上階へ向かったと同時に、エラは自分のできることを考えて城の中を走っていた。
城内はまさにパニック状態。ただでさえ大災害の対応に追われているのに、城の最上階での戦いによる影響でどうやら城も安全では無いと思った者達が多くいるのだ。
現状、エラにできることは少ない。戦闘に参加することはできず、政に参加できる訳でもなく、所詮はいち歴史学者でしかない。
それでも、この状況下で黙っていられる性格ではなく、何よりヴォジャノーイの存在が自然と足を動かした。
また、学者であれば論文の発表や学者の知見を聞きたいからと呼ばれることなど、色々な理由で城に向かうこともしばしばある。それはエラも同様なため、細部こそ分からないものの、大まかになら城の構造を把握している。
(ヴォジャノーイは最上階の端にいるようだったから……)
エラはどうにかしてヴォジャノーイを近くで見たかった。だが、システィに反対されたように、最上階へ向かうのはあまりに危険であると言える。
本当はヴォジャノーイの目の前に立って対話を試みたかったがそれは現実的に難しいため、最上階にいるヴォジャノーイに近い階層や部屋から観察しようと考えたのだ。
(場所的に考えれば、もう少し上に行った方がいいな)
エラは降ろしてもらった場所より更に上に行きたいと考え、システィが上がっていった階段とは違う階段から上に登り始める。
しかしそこで、思わぬ顔を見つけた。
「プラナ?」
「エラじゃないか!」
そこには階段を下ってくるプラナがおり、その横にはエラをより驚かせる人物がいた。
「ゼンヘン王子……?」
「あぁ、君は確か……、エラナエス・メイソールだったか?」
プレウスの第一王子、ゼンヘン・プレウーセス。紛れもなくその人だった。
何故にプラナと共にいるのかという疑問が湧き上がるが、プラナも同様に何故城にエラがいるのかと疑問を感じているところであった。
「は、はい。覚えていらっしゃいましたか」
「あぁ、君は若くして非常に優秀な学者として有名だからな。何度か城にも……、いや、話は後だ。とにかく君も私たちと共に避難するんだ」
ゼンヘン王子はプラナと合流し、ひとまず下の階に降りているところであったため、エラも一緒に来るように言う。
「あー……、えっと、私は……」
対してエラはむしろヴォジャノーイに近づこうと考えていたため、共に下の階へと避難したくはなかった。
(さて、どう言い訳したものか……。この状況でアノーツも使えず政に参加している訳でもない私がわざわざ上層階へ向かうのは不自然だし止められるのは当たり前か……)
どこか下へ行くのを渋っている様子を見て、ゼンヘンは少し考える素振りを見せる。
「カペラ……、いやヴォジャノーイのためか?」
「や、やはりあれはヴォジャノーイなのですか!?」
城の最上階に佇む存在がヴォジャノーイであることを確定させるような発言に、エラの声が思わず大きくなる。
その姿に少し驚きながらもゼンヘンは冷静に答える。
「確定では……、いや状況的にもほぼ確実にヴォジャノーイと見ていいだろう。だが、当然ながら安易に近づくのは危険だと考えられるし、ヴォジャノーイとそれに伴う敵に関しては最上階にいるカペラ達に任せるしかない状態だ」
「なるほど。確かに、最低でもアノーツが使えなくては命を捨てる行為に等しいかもしれませんね」
「あぁ。とにかく、今我々は避難するのが賢明だろう」
ゼンヘンの言っていることは至極正しい。しかし、それで納得してあっさり避難するなどという選択肢は、エラにとって城に来た時点で無かった。
「……、すみません、私は上に行きます」
「!」
エラは色々と言い訳を考えたが、ゼンヘンが聡い人物であることを知っているのだ。言いくるめたり説き伏せるのは無理だろうと考えた。
「勿論、最上階に行くという訳ではありません。しかし、ヴォジャノーイにある程度近い場所から観察し、現状を打破する手があればそれに全力を注ぎたいのです。これは歴史学者としての好奇心という面もありますが、もっと個人的な想いもあります」
「そうか。まぁ、そんなとこだろうとは思ってはいたがな」
ゼンヘンはエラの思惑をなんとなく察していたようで、そこまで驚きはないようだった。
「君も我が国の民の一人だ。このような非常事態にみすみす危険な場所へ行かせる訳には行かないのだが……」
ゼンヘンはエラをどうするか少し考え始める。
「ゼンヘン王子」
すると思考中のゼンヘンにプラナが声をかける。
「ここはエラの自由にさせてはどうでしょう」
「しかしな……」
「あたしは彼女からヴォジャノーイに関する話を聞いたことがあります。少なくとも、私達には分からない強い想いが彼女にはあることだけは断言できます。それに加え、カペラの存在も大きいのでしょう。制止して素直に諦めるとは思えませんし、共に逃げようとしても途中で私達を撒いて一人で戻ってしまったら自由にさせるのと同じことでしょう」
「暗部の者に見張らせれば問題ないだろう」
「そうですね。暗部の者ならアノーツを使えないエラを逃すことはないでしょう。しかし、エラの研究はまさに今、活きるのでは?」
エラの研究はヴォジャノーイを中心とした歴史を調べている。ヴォジャノーイに関する知識において、エラを上回る者はそうそういないだろう。
「確かに、君は歴史学者だったな。しかし、この状態でその知識がどう活きるのだ? 本当に状況を変えられる一手を考えられるのか?」
ゼンヘンの疑問は最もである。エラが歴史学者でヴォジャノーイに詳しいとはいえ、この非常事態に突如現れたヴォジャノーイをどうにかできるアイデアが思いつくか不明であり、仮にあってもそれが有効である可能性は決して高いとは言えないだろう。
「それは全く分かりません。しかし、ゼンヘン王子もこの状況は歯痒いのでは?」
「当然だ。しかし、現状はあまりにも予想外の事態すぎる。ただの人間にどうこうできる次元を軽く超えているのだ」
「それでも、私は何か一つでもやれることがあるならば行動したい」
「……」
「お願いします。どうか私を見逃してはくれないでしょうか」
エラは誠心誠意頭を下げて懇願した。ゼンヘンをじっくり説得している暇などない状況において、一番効果的な方法は案外単純なものだ。
ゼンヘンは考える。もしもエラを見逃すことでエラが死亡、または重傷を負った場合、国は優秀で有望な研究者を失うことになる。そもそもの大前提として一人の国民の保護という大事な役割を王子であるゼンヘンは担っている。
更に、危険な場所へアノーツを使えないエラを行かせてしまった責任など、王子であるゼンヘンへ追求されることは多く発生することだろう。
だが、そこまで考えてゼンヘンはふうと息を吐いた。
「分かった。君の自由行動を許そう」
「本当ですか!」
「ただし、私も付いていく」
「え……?」
行動の自由を許されたことで一気に喜びの表情になったエラだったが、すぐに戸惑いの表情に変わった。
「暗部の者に任せられることは任せて、私も共に行く」
「し、しかし、王子がそんな危険なことを……」
「私は今の自分にできることはないと、逃げることを優先した。しかし、私は国の王族である。国と国民のために命を賭け、でき得る限りのことをしなければ王族として生まれた責務を果たせない」
「ですが……」
ゼンヘンの言葉に困惑しているエラだったが、プラナは全く動揺を見せていなかった。
(やっぱりこうなったか)
プラナはこうなることを予測していたのだ。エラを上に通すならゼンヘンもついて行くに違いないと。
(彼は隠しているが、かなりの葛藤と歯痒さを感じているのはなんとなく分かる。本当は避難せずに何かしたかったんだろうな)
するとゼンヘンはプラナの方を向いた。
「プラナ、君はどうする?」
「あたしはいたところで何の役にも立てないと思いますので……」
「そうか。ならば急いで避難するんだ」
「はい」
ゼンヘンは暗部の者を呼び出し、今後についていくつか指示を行う。
エラとしては一人で行きたかったのかもしれないが、すぐに切り替えて真剣な表情でゼンヘンと共に上へ上がっていった。
「……さてと、また一人になったな」
またも一人となったプラナは自由行動できるタイミングを得た。
「このまま避難してもいいと思っていたけど、どうするか……」
現状のプラナにできることは相変わらず少ない。城内部の情報収集は皆が避難している中では難しい。
アノーツも使えないため、戦場に出ることも当然できない。
(避難した先で私に一体何ができる? アステの元に行ってもできることはないが、それでもあたしが少しでも役立てる可能性があるのは……)
そこまで考えるまでもなく、答えは決まっている。
「王子とエラのところに行くか……」
結局、プラナもエラとゼンヘンの元へ向かう判断をした。それに、プラナにも好奇心はある。
(まぁ、正直ヴォジャノーイに近づいて見てみたいという気持ちもあるしな。危険な場所にあたしみたいのが飛び込むのは愚かな行為だ。だが、何もしないよりはいい)
そんな本心を抱えながら、先に上へ向かって行ったエラ達の元へ走り出すのだった。
**
意識の底、あるいは表面部分か。不思議な感覚に包まれているのはアステだった。
「……?」
アステは現状を打破するため、ヴォジャノーイと繋がってどうにかできないかと考え、シェラタンの攻撃を防いでくれたシスティとルデルの活躍により、ヴォジャノーイと触れることに成功した。
その瞬間、アステはアノーツを得た時と同じような感覚を全身で感じていた。
普通に時間が過ぎているのか、自分の体はどうなっているのか、そういったことが全く把握できていないが、とにかくヴォジャノーイのすぐ近くにいることだけは確かだ。
(体を動かせない。何がどうなっているのか分からない。やばい、折角システィとルデルのおかげでヴォジャノーイに接触できたのに、何もできずに終わってしまう……)
アステは焦りを感じていた。この状態を脱した後、再度ヴォジャノーイに接触できるチャンスは恐らくない。このチャンスを棒に振ることなどあってはならない。
「っ……!」
アステはヴォジャノーイに声をかけようとするが、声が出ない。もしくは、声は出ていても自分の耳に届かないか。
とにかく、声ではどうにもならない状態ということだ。
(どうしよう、本当にまずい。もっと何かできると思ったのに、こんなにも思い通りにならないなんて……)
焦りは徐々に冷静さを奪う。アステは何かしなければと思いつつできることを探すが、やはり体の自由がほぼない状態でやれることは少ない。
だが、今と前回では異なることが一つだけある。
(アノーツ……、そうだアノーツを使えれば……!)
アステはアノーツを使えるようになっているところが前回とは大きな相違点である。
(多分私はこの空間でアノーツを得たけれど、同じところでアノーツを使って意味あるのかな……?)
果たしてアノーツを使ったところでどうにかなるものかと懐疑的になりつつも、できることはとにかく試すべきと考え、動かない体からアノーツを出せるか試す。
(上手くは出せないけど、少しずつアノーツを外に放出することはできてる。これで何か起きれば……)
アステのアノーツが放出され、漂う。
(お願い、これで何か反応して……!)
そう思った時だった。ぐわんと目の前が揺れた。
(何……!?)
暗いような明るいような、言語化するのが非常に難しい視界の中で、何かが見えたような気がした。
(私……?)
アステにはアステ自身が鏡のように視界の端に見えた。だが、それがどういうことなのか全く理解が及ばない。
まるで記憶の断片のように、チラチラとアステ自身に関する何かが見えるが、どれも身の覚えがなく、やはり理解はできない。
(ほんの一場面の一部分だけを見せられている感じで、全く分からない。これは何……?)
そう思った時だった。
「うわっ!」
突然声が出た。というより、これまでいた謎の空間から飛び出てきたのだ。
急激に視界が歪み、押し出されるようにして外へ出てきて尻餅をつくアステのすぐ横にはシスティがいた。
「アステ!」
突然飛び出てきたアステに驚きつつも安堵の表情を見せたシスティの顔を見て、アステの頭は状況を理解した。
「シ、システィ……」
「くっ……!」
そんな時、二人の元へ迫ってくるアノーツによる攻撃をシスティはすぐに対応して捌く。
その攻撃の元はシェラタンである。
「出てきたか。中で何をやっていた?」
シェラタンはアステに尋ねる。好奇心もあるのだろうが、シェラタンからは強い警戒心が伝わってくる。
「アステ、今どんな感じ?」
システィの問いは非常に曖昧で抽象的ではあるが、言いたいことはすぐに伝わった。
ヴォジャノーイの中で何を得たのか聞いているのだ。
「……ごめん、分からない」
「そう……」
それに対し、アステは落ち込んだ様子で答える。正直、得られたものはないと実感していたからだ。
システィも一瞬残念そうにしたが、すぐに切り替えるように一つ息を吐く。
「それはこちらとしては吉報だな」
シェラタンは続けて攻撃を繰り出してくる。その奥では変わらずアルフェラッツとカペラが戦っているのが見えた。
今回のアステの策に少なからず期待していたためか、システィは冷静になったつもりだったが少しの気持ちの綻びにより、シェラタンの攻撃を上手く捌けなかった。
「ぐ……!」
「システィ!」
システィは吹き飛ばされて床を転がり、すぐに立ち上がろうとする。
そこにルデルがカバーに入れたら良かったのだが、ルデルは膝立ちの状態で動けない状態だった。
「すまないが一旦寝ていてくれよ!」
シェラタンは体勢を立て直そうとしているシスティに追撃をかける。それは様々な方向から飛んでくる軌道予測の難しい風のアノーツによる斬撃である。どれも高火力なことは疑いようがなく、シェラタンは更にその追撃に追撃を重ねた。
確実にシスティを戦闘不能に追い込むためである。
「っ……!」
システィはすぐに氷で壁の障壁を作り、攻撃を防ごうとするが、ダメージや疲労の蓄積もあってか生成が間に合わない。
「システィ!」
アステは手を伸ばし、水のアノーツを放出しようとした。まだ使用できるようになったばかりで上手く扱えないが、とにかく何とかしなければという思いでアノーツは放たれた。
それだけではとてもシェラタンの攻撃の全てを捌くことはできない。しかし、その場にいる誰もが予想していなかったことが起こる。
「え……?」
アステの放ったアノーツに追従するように、別の水のアノーツがアステから飛んでいくのだ。
それはアステのものとは異なり、広範囲で高濃度、非常に強力なアノーツであり、シェラタンの放った風の斬撃を容易く全て覆い潰した。
「何……!?」
シャラタンの驚きは当然のことだが、アステ自身も驚きを隠せない。
「これは、もしかして……」
アステはヴォジャノーイの方を向く。変わらず意識はなさそうだが、今アステを助ける形で追従していったアノーツは間違いなくヴォジャノーイのものだった。




