ヴォジャノーイとアステの邂逅
鳳凰・ヴォジャノーイ。それは、水であるが故にどんな姿にもなれる水の国プレウスに伝わる伝説の存在。ヴォジャノーイはこんな姿をしている、といったような姿形に関する伝承や記録はどれも曖昧で、やはり水なのだから決まった形はないという考えが一般的になっている。
虎、蛇、猫、鹿……。決まった形はないと考えられているとはいえ、多くの時間を過ごす基本的な姿はあるのではないかという話も昔から言われていることである。
しかし、ヴォジャノーイの姿について鳳凰などという単語が出てきたことはない。ましてや、鳳凰・ヴォジャノーイなんていう呼び名はない。
「鳳凰……」
「ヴォジャノーイ……」
アステとカペラの半ば放心状態で放たれたその言葉は、決して意味不明で的を得ていないような単語ではない。
水であるが、鳳凰と呼べるような鳥の形をしており、顔や体を認識することができる。そして何より、立派で壮大で荘厳な羽を羽ばたかせており、風を巻き起こし、その存在を確かに脳に刻んでくるのだ。
「っ……」
現実離れした光景に目を奪われていた二人だが、先に正常な思考に戻したのはカペラであった。
(間違いない。私はこのアノーツを覚えている。やっぱり、昔エラと一緒に出会ったあれはヴォジャノーイだったんだ。この感覚、この圧倒的存在感、そして現実離れした光景。これでヴォジャノーイじゃなかったら一体なんだっていうの?)
ヴォジャノーイに出会えたことによる興奮は未だ覚めやらないが、少し冷静になると今の状況をどうするのかという難題に向き合う必要が出てくる。
(けど、どうする? やはりこの大災害にはヴォジャノーイが関係していると言っていいでしょう。しかし、何故神話や伝説上の生き物が突如として城の上に現れたのか。あの時の邂逅の時は言語を操っていたから、会話ができないことはないだろうけど、こちらの一挙手一投足次第でヴォジャノーイの怒りを買うことになったら目も当てられない)
飛び出してきたはいいものの、現状を打破するための言動の最適解が思いつかない。
「あ、貴方はヴォジャノーイ……で合っていますか?」
ひとまずカペラは話しかけてみることにした。こちらに敵意はないことを示し、コミニュケーションを取ってどうにかこの大災害を収束させたいという意図がある。
今は大災害を収束させることが最優先なため、ヴォジャノーイは間違いなくその重要な鍵となるであろう。そして正常に会話ができるのであれば、それで解決できるに越したことはない。
『……』
しかし、そのヴォジャノーイらしき存在は何も答えない。
(何も答えてくれない。いや、答えられない? そもそも言語を操ることができないの? でも、あの時は確かに会話が成立していた。まさか、あれがヴォジャノーイじゃないなんてことはない……、と思いたい。何にせよ、会話ができないんじゃどうしようも……)
カペラに焦りの表情が浮かぶ。これだけ現実離れした状況になっているのに事態が進まないのではないかいう懸念のためである。
(まさかフェンガリの仕業? いくらフェンガリとはいえ、ヴォジャノーイなんていう伝説上の存在をどうにかできるとは思えない。というより、もしもヴォジャノーイをコントロール下におけるのなら、他国にある伝説上の存在もコントロールできることになるし、そんなことになったらいつでも世界を滅ぼせるでしょう)
次にカペラが考えた可能性はフェンガリの仕組んだ状況というものである。しかし、流石にそこまでのことはできないだろうとその可能性を一旦放棄する。
「あ、えっと……、私の言葉は届いていますか?」
カペラは続けてコミュニケーションを取ろうと試みる。そもそもヴォジャノーイは水でできているのだから、どうやって音を聞き取るのかということも疑問に思いつつ、伝説の存在にそんな理屈は通じないだろうとカペラは勝手に一人で納得する。
『……』
やはり、その存在は何も答えてくれない。これでは埒が明かないため、カペラは少しではあるが自身のアノーツをフワッとその存在に向かって放つ。
もしかしたらアノーツに反応するかもしれないという淡い期待の元で行ったことだが、結果としてはそれでも反応を得ることはできなかった。
「これはやりたくないんだけど……」
するとカペラは自身の剣を顕現させた。
「これまでは何も反応が無かったけど、これなら何か反応してくれてもいいんじゃない?」
カペラがしようとしていること、それはシンプルな攻撃である。
カペラは火を操るケルトのアノーツの持ち主。水との相性は悪いと思われがちだが、熟練の洗練されたケルトであれば業火の炎で水が触れる前に蒸発させることができる。そして当然、カペラはその領域に達している。
剣を構え、手始めに天から伸びている水の柱の一つを軽く蒸発させてみようとする。
「待って!」
しかし、そこでしばらく黙っていたアステが制止の声をかける。
「アステ、でも……」
「うん、反応がないみたいだね。けど、ここは一度私に任せて欲しい」
「何か策があるの?」
「いや、そんな策なんてものはないよ。けど、大丈夫。意味不明だろうけど、私を信じて欲しい」
「……」
アステの目を見て、カペラは少し考える。アステの少し青みがかった黒い目は微動だにしておらず、不思議な自信を感じる。
(この感覚は何? 言葉にして説明することができないけれど、アステならできる思ってしまう。いや、思わされる)
少し考えた後、カペラは剣を消して頷いた。
「分かった、アステに任せる。ただし、時間はあまりかけられないよ」
「うん、ありがとう」
そう言うとアステは前を向き、スタスタと歩き始める。普通なら足がすくんでしまって動けないような光景を前にして、全く怖気ついていない。
「……」
特に何か話しかける訳でもなく、空中に浮かぶそれを見つめながら徐々に近づいていく。カペラは一応何が起こってもすぐにアステを救出できるよう、剣こそ顕現させないものの、いつでも動けるように臨戦態勢に入る。
「……」
依然として、それを見つめるアステ。やがて、それのすぐ下にまで近づく。屋上の端にまで達してしまい、それ以上は進めない。
そこでようやく、アステはゆっくりと口を開いた。
「私はアステ」
『……』
「ねぇ、アステって名前、聞き覚えなはない?」
そこまで話した時、それが少し動いた。
(動いた!? アステの名前に反応したの? 何故……)
「私さ、今記憶がないんだ。けれど何故か、私は君の存在を知っているような気がしてならない。そして、君も私のことを知っている気がするんだ。私達はきっと、初対面じゃない」
アステの突飛と思える話にカペラは驚愕し、困惑する。
(何を……、何を言っているの!? アステはヴォジャノーイを知っていて、ヴォジャノーイもアステを知っている? あまりに荒唐無稽な話だ。到底信じられない。なのに、何故……)
目の前の光景にカペラは息を呑む。
『……』
それは、体をゆらめかせて顔をアステに近づける。体の動きに合わせて空に登る水の柱も揺れ、凄まじい迫力だ。
『アステ……?』
「……!」
アステに驚いた様子はない。だが、カペラは更に驚くことになる。
(これは……、一体何? アステはたまたまプレウスに来たのではないの? 記憶が無い状態でプラナと会い、最も近かったプレウスに来た。そこで大災害が発生し、伝説の存在であるヴォジャノーイが現れ、そのヴォジャノーイがアステを認識している。あり得ないでしょう……)
思わず頭を押さえてしまうカペラだったが、驚愕と共に今後の希望も見えてきた。
(いや、理由なんて今はどうでもいい。とにかくアステならヴォジャノーイとコミュニケーションが取れる。それであれば、この大災害を収束させることができるかもしれない)
アステは少し笑みを浮かべ、顔を近づけているヴォジャノーイに手を差し伸べる。
「私のこと、分かる?」
『……あぁ、アステ。アステ……、その名前だけは分かる。だが、何故かそれ以外のことが分からない』
「そっか……。私と同じような状態なんだね」
またも混乱させるような情報を得てしまい、カペラはいよいよ訳が分からなくなる。
(アステの名前しか分からないの? 口ぶりからして、ただ互いの名前を知っているだけの関係には思えない。それなのに名前しか分からないなんておかしい。アステは記憶がなく、ヴォジャノーイも記憶がない? 何がどうなってそんなことになるのよ)
「ねぇ、君はヴォジャノーイでしょう?」
『あぁ、それは間違いない。自認できる』
ついにその存在は自分がヴォジャノーイだと認めた。
「なんでこんなところにいるの? 伝説上の存在だって聞いていたけれど」
『私は……、私はここに来る予定はなかったはずだ。しかし、実際に私はプレウスにいる。その理由は……』
「大丈夫?」
『あぁ、大丈夫だ。すまない、意識も記憶もはっきりしない。私が何もしていないのにこんな状態になる訳がない。誰かこの状態になるよう仕込んだ者がいるはずだ』
そこまで聞いたカペラが少し悩みつつも口を挟んだ。
「アステ、ヴォジャノーイにこの大災害を収束してもらうよう頼んでみてもらえる?」
今のヴォジャノーイは敵対している訳ではないと判断し、状況を改善するためにアステを通してヴォジャノーイに事態の収束を頼むことにしたのだ。
「うん、分かった。ヴォジャノーイ、今のプレウスは見ての通り、途轍もない水害に襲われて大変な状態なの。何とかこの事態を収束させることはできない?」
詳しい事情や状況は省き、簡潔に頼んでみるアステ。少しの沈黙の後、ヴォジャノーイは答えた。
『プレウスは私にとっても大事な場所だ。過去にあまりに腐敗した状態に耐えられず、プレウスに鉄槌を与えたことはあったが、それもプレウスを思ってのこと。だからこそ、助けてやりたいのは山々なのだが……』
「できない?」
『先ほども言ったが、今の私は記憶も意識もはっきりしない。そして、力を出すことができないのだ』
目の前で神々しく圧倒的な存在感を放っているのに、その力を出すことができないと言うヴォジャノーイにアステは首を傾げる。
「でも、凄い力というかアノーツを感じるよ?」
『あぁ、だがそれは私の意思によるものではない』
「誰かに操られているの?」
『操られている、というよりは縛られている、といった感じだ。少しなら力を扱えるし、動くこともできるが、これだけの災害を収束させるには至らないだろう』
「じゃあどうすれば君を解放できる?」
『当然、私を縛っている何者かを打ち倒すことだ。しかし、その者がどこにいるのかなど見当もつかない』
「そっか……」
アステは悲しそうな顔をする。それは、この事態を収束させるのが依然として難しいということが分かったからということと、何者かに縛られて囚われているヴォジャノーイを助けるのが難しいということが分かったからである。
最早今のアステにとって、ヴォジャノーイはまるで友達かのような存在であった。
(クソ、今のヴォジャノーイに事態の収束は無理。力を使えるようにするにはヴォジャノーイを縛っている何者かを打ち倒す必要がある。けれど、理屈は不明だけれどヴォジャノーイを縛ることができるという時点でとんでもない人物、もしくは組織だということは容易に想像できる。そう考えるとやはり、フェンガリが最も怪しいけれど、アルフェラッツの言っていた私の行動を抑えて時間稼ぎするというのは、その間にヴォジャノーイを何とかするということだったのかしら。または、もっと前からヴォジャノーイを縛ることはできる状態にあって、タイミング的な理由で今実行したのか……、あぁもう! こんなこと考えても今は答えが出ない。どうすれば……)
思考がまとまらず、今後の行動に関して明確な答えを出せずにカペラは頭を抱える。
するとその時、ヴォジャノーイがカペラの存在にようやく気づく。
『ん? お前は……、どこかで……』
「え……?」
『あぁ、覚えているぞ。前に千柱神殿で会ったことがあったな。あの時は、もしも再会できたら私の正体を教え、お前の……。いや、あの時は二人いたな。二人の助けになることを約束したが……。すまない、こんな形での再会になってしまうとは』
「……!」
カペラは自分のことを覚えていてくれたという事実に感激しつつも、あのヴォジャノーイに謝罪させてしまったことに対して申し訳なさを感じた。
「い、いえ、滅相もございません。確かに、良い再会ではないかもしれませんが、それでも貴方の姿を見ることができて、こんな風に会話できて非常に光栄です」
カペラは片膝をつき、心から思ったことを話す。
ヴォジャノーイは伝説の存在であり、プレウスでは祀られて崇められている。そんなヴォジャノーイに対する言葉遣いや礼儀としては今のカペラが正しいと言える。
『そんなに畏まらずとも良い。私は人間にそのような扱いを受けたいとは思っていない』
「し、しかし……」
『アステのように接して良いぞ』
「そ、それは無理です……」
流石にアステのように友達と話す感覚で接することはできないカペラは困惑してしまう。
『まぁ良い。とにかく、プレウスの中心に姿を現しておいて特段できることがないのが今の私だ』
ヴォジャノーイが現れた衝撃は計り知れないものだったが、現状では事態を好転させることは難しいという事実。
どうにかしてヴォジャノーイを何らかの縛りから解放することができれば状況は一気に変わるだろう。
「ごめんね、今すぐにも解放してあげたいんだけど……」
『先ほども言ったが、私は全く力を使えない訳ではない。少しくらいなら力添えできるだろう』
「ありがとう、ヴォジャノーイ」
『気にするな。それとアステ、お前はアノーツの力を扱えるか?』
そこでヴォジャノーイはアステに対し、アノーツに関する質問をする。
「それが、アノーツの感覚は分かるんだけど、使えないんだよね」
『ふむ……。アステ、一度私に手を……』
そこまで話した時だった。
「こりゃあ凄いな。流石は伝説上の存在だ」
「確かに、この光景を見れただけでもプレウスまで来た甲斐があったぜ」
「素晴らしい! 壮観です! プレウス生まれだからか、流石に感慨深いです」
「!!」
アステとカペラの後ろから三人分の声が聞こえてきた。
そこにいたのは、状況的に最悪と言っていいような相手だった。
「アルフェラッツ! ロイデ!」
それはゼンヘン王子が駆けつけたことにより姿を消したアルフェラッツとロイデ、そしてシスティとルデルが戦ったシェラタンだった。




