アノーツと子供
「これ、夜になったらいよいよまずいよね……」
少女は森の中を歩きながらぼやく。どんどん日が落ちていくのを実感しながら、歩くスピードが自然と速くなる。
森を通る風は心地いいが、そんなものを呑気に感じている暇はない。右も左もわからず知らない森の中にいるというのは危険としか言いようがない。
世界にどんな脅威があるのか、もしもあるのならどういう対抗手段があるのかなど、そういったこともどうにかして知る必要がある。
「とりあえず動きやすい格好なのは良かったな」
少女は自身の髪を撫でながら言う。少女の髪は黒色と青色が混合したような色で、長さはミディアムヘアといったところだ。顔つきはとても端正で、誰が見ても美しいと思うことだろう。
格好は黒のショートパンツにグレーのノースリーブ、薄手で腰下あたりまである七分袖のベージュのカーディガンを羽織っている。靴は薄い青色のスニーカーのようなものを履いている。左手の中指にシルバーとブルーの美しい指輪をしており、右手にはシルバーをベースとして線上にブルーの紋様が入っているブレスレットをしている。
少女は方向など分かっていないが勘で進んでいく。すると、ふと声が聞こえた気がした。
「……?」
普通は聞こえないであろう小さな声だが、少女には確かに聞こえた。これだけでも少女は卓越した聴力を持っていることが分かる。
ここで誰でもいいから会って助けてもらわないと、いよいよ絶望的な状況に陥ってしまう可能性が高い。
少女は声の聞こえた方に進路を変え、進んでいく。だが、その声の主に近づいていくにつれ、少女は不思議な感覚を覚えていた。
「人……?」
当たり前のように人だと思っていたが、人ではないような感覚を覚えていたのだ。勿論、記憶が無いせいで世界のことが全く分からないため、人間以外の色々な種族がいる可能性は十二分に有り得る話だ。
そしてついに、その何者かの元へ辿り着いた。
「くそ、やっぱりダメか……」
「子供?」
そこにいたのは、まだ8、9歳くらいに見える可愛い女の子であった。
髪は黄緑色のショートヘア。黒い線の入った白生地のパーカーをダボっと着ており、白いショートパンツに薄赤色のトップス、赤のスニーカーを履いている。
その子供の前には小さな湖があり、自作で作ったのであろう不恰好な釣り道具を用い、魚を取ろうとしているようだった。
「お前……なんだ? 迷子か?」
「わぁ! 良かった、言葉が通じる!」
そう、少女が実は懸念していたこととしてあったのは、言葉が通じるか否かという問題であった。記憶喪失の上、言語も通じなかったら人と出会えても助けてもらえるかは分からない。
「そりゃあ、通じるだろ大体……」
「そうなの?」
「いやぁ、多分ね」
「そっかそっか。それで君の名前は?」
まずは名前を尋ねる少女。その女の子は少し考えた後、答えた。
「確か、プラナナ」
「確か?」
自分の名前なのに、まるで本当にそれが本名なのかどうか分かっていないような言い方である。
「あたし、記憶がなくってさ。この世界のことは結構覚えているんだけど、自分のことが全然分からない」
「そんなことあるんだ。実はね、私も記憶が全然ないの」
「マジ?」
「マジ」
まさか、森の中で出会った二人が共に記憶を失っているなどとは想像できなかっただろう。流石に二人とも驚いている。
「自分の名前は分かるのか?」
「うん、それは分かるよ」
少女はプラナナに聞かれて自分の名前を名乗った。
「私はアステ。何故か記憶がない、ただのアステだよ」
その少女、アステはその名前が自分のものであると確信している。確実に、自分の名前であると。
「アステか。フルネームは?」
「……えーと、あれ?」
しかし、そこでアステは自分のフルネームは思い出せないことに気づいた。何故かアステという三文字しか思い出せないのは不自然にも感じるが、思い出せないことにはしょうがないだろう。
「分からないのか?」
「うん、なんでだろう」
「まぁ、私も同じだよ。プラナナという名前しか分からん」
「そっか。それにしてもプラナナは……プラナは見た目にそぐわない賢さだね。喋り方から伝わってくるよ」
「そうか? というかプラナってなんだよ」
「なんかプラナナよりもプラナの方がよくない?」
「いや、分からんが……まぁ、好きに呼べばいいよ」
アステは全く人見知りせず、簡単にあだ名のようなものを決めてプラナナを呼ぶことにした。
「ありがと。釣りをしているみたいだけど、釣れた? というか魚いるの?」
なんだか釣れている気配がしないが、一応アステは尋ねてみた。それを聞いてプラナナは少し渋った顔をする。
「いや、釣れていない。魚は小さいのが一応いるが、釣りなんて全くしたことがなかったからな。釣り道具はなんとかそれらしく作れたが、肝心の釣りテクニックがない。これじゃあ何時間やっても無理そうだ」
プラナナの釣りはうまくいっていないようだ。アステは釣りという単語から自身のお腹が急激に減り始めたように感じていたため、あわよくば魚を分け与えてくれないかなと思っていた。
「そっか。残念。ちなみにプラナはこれからどこに行くの?」
もしもプラナがどこかの国へ向かうつもりなら、同行させてもらえばいい。プラナナは幼い容姿とは裏腹に、博識そうなため、一緒にいれば色々と教えてくれるだろう。
「とりあえずは近くの国に行こうかなと思ってる。この森の植物の特徴や生息している動物の情報から、恐らく大陸の西側に位置すると考えられる。そうなると、ここから一番近い国はプレウスだな」
「プレウス?」
「あぁ、そうか。お前も記憶がないんだったな。プレウスというのは大陸にある八つの大国の一つだ。水の国とも呼ばれていて水に溢れている美しい国だ。アノーツもアデスを得意とする者が多いんじゃなかったかな」
「うーん?」
アステからすると、聞き慣れない単語だらけでよく理解できなかったようだ。そんな様子を見て、プラナナは今後使うことはないであろう不恰好な釣り道具を放り投げた。
「まぁ、どうせあたしに付いてくるつもりなんだろ? そしたら細かい話は歩きながらにしよう。まぁ、私もちゃんと国に辿り着けるか不安なところではあるが」
それを聞いてアステは表情がとても明るくなった。嬉しいという感情が嫌というほど伝わってくる。
「ありがとう! プラナは優しいね。ここで会えたのがプラナで良かったよ」
「……お前、出会ってまだ数分なのによくそんなことが言えるな」
「え? だって実際そう思ったし」
「分かった分かった。とりあえず行くぞ」
プラナナはこいつ簡単に騙されそうだなと思いつつ、アステと共に水の国、プレウスに向かうことにした。
お互いに荷物は全然ないため、とても身軽である。しかし、肝心の食料がないため、急いで国に向かうか、食料を調達しなくてはならない。
だがアステの頭の中は、空腹以外にも世界のことを色々と知りたいという知的好奇心に支配されつつあった。
「それでそれで? アノーツって何? あと水の国についてももっと詳しく!」
興奮気味に話すアステに、プラナナは冷静に返す。
「まずはアノーツについて話そうか」
「よろしく!」
「アノーツというのは、この世界に存在する神秘の力のことで、普段の生活の中で便利に使うことができるものもあれば、安全を脅かす脅威に対しての対抗手段にもなる」
「要は色々なことができる凄い力ってことだね」
「まぁ、間違ってない。そもそもアノーツを扱える者が少数派だからな。生まれつき使える者もいれば、少ないが後天的に使えるようになる者もいる。アノーツ自体が希少な力なんだ」
「なるほど。具体的にはどんなことができるの?」
プラナナはアステの前を歩きながら説明している。その後ろ姿を見ていると、何故かただの子供には見えない。
「アノーツには八種類ある。炎を扱うケルト、水を扱うアデス、氷を扱うメラン、土を扱うホルム、風を扱うタラン、光を扱うリウス、闇を扱うグルス、そしてこれら七種類のどれにも該当しない特殊なカロスというアノーツもある」
「八種類もあるんだね。もしかして私も使えるのかな?」
アステは自分の手の平を見ながら、凄い能力が発動したりしないかと思って適当に念じてみる。だが、何も起こらない。
「記憶がないんだろう? もしかしたら以前はアノーツを扱えていたのかもしれないが、記憶を失ったことでアノーツの感覚を忘れてしまったのかもな」
「そっかぁ。まぁ、後天的に使えるようになることもあるんでしょ? それなら希望はあるよね。ちなみに、プラナはアノーツを使えるの?」
「あたしは使えない。記憶を失う前は使えていたのかもしれないけどな」
「そうなんだ。じゃあプレウスっていう国は、水の国だからアデスを扱える人が多いんだね」
「それは確かそうだったというだけの話だ。他のアノーツが扱える人も当然いるだろう」
「面白そう!」
アステはワクワクが止まらなかった。とても興味深く、自分もアノーツを使ってみたい、実際に見てみたいという好奇心が溢れ出ていた。
そんなまるで子供のような姿を見て、プラナも不思議と明るい気持ちになっていくのを感じた。
「しかも、プレウスみたいな大国がアノーツと同じ数あるんでしょ?」
「そうだ。どこもその国を代表するようなアノーツがあるんだ。それぞれの国の歴史を知れば、何故その国で一つのアノーツが栄えてきたのか分かるだろうな」
「いいねいいね。どんどん楽しみになってるよ!」
「ま、このままプレウスに辿り着けるかは分からないがな」
「そ、そこはどうかお願いします……」
そもそも方向が合っているのかも確実ではないため、どこにも辿り着けないという最悪な想定は捨てることができない。
「後は何かアノーツに関して面白い話はないの?」
「んーそうだな。アノーツが扱える者だけができることがあるな」
「それは?」
「自分が愛用し、心から信じている武器を顕現させることができるというものだ」
「どういうこと?」
「原理や理屈はあたしにも分からない。アノーツを扱える者にしかその感覚は分からないだろうしな。ただ、わざわざ自分の武器を体に身に付けなくていいのは楽だろうな。瞬時に何もないところから顕現できれば、魔物と出会った時でも即座に対応できるだろう」
「魔物がいるの?」
アステが特に気になったのは、魔物の存在であった。魔物という単語からも分かる通り、決して友好的な存在ではないことは容易に想像できる。
「いるぞ。魔物以外にも様々な種族がいる。友好的なのも、凶暴なのもな。ここシェダル大陸は自然が美しく、発展している八つの大国が特に大きな力を持っているが、決して平和とは言えないんだ」
「そうなんだ。まぁ、良いところしかないなんて有り得ないもんね」
「そういうことだ」
二人は話しながら森を進んでいく。日はどんどん落ちていき、もう今日は野宿するしかないかと二人が思っていたところで、アステがとある音を聞いた。
「……水の音だ。川かな?」
「本当か? それが本当なら、川を辿っていって国に着けるかも知れないな」
アステの聴覚を頼りに、二人は川へ近づいていき、ついには川に辿りついた。
「急ごう。そろそろプレウスは近いはずだ」
「うん!」
勿論、国が近いという確証はなかったが、それでもこのまま森の中で過ごすよりは進んだ方がいいと思ったのだ。
やがて、周囲の木々が段々と減っていき、見渡しの良い草原に出た。
「うわぁ……なんだか綺麗だね」
「そうだな。星もよく見える」
遮るものがなくなり、夜空に輝く星がよく見える。その光景は、感動の一言に尽きる。
「あそこに丘があるね。行ってみようよ」
「あぁ」
少し標高が高くなっている丘を見つけ、二人は小走りでその丘を登っていく。
そして、頂上についた時、アステは感嘆の声を上げた。
「これが……水の国、プレウス!」
二人の目の前には、夜でも光り輝く八つの大国のうちの一つ、プレウスがあった。
ついにアステとプラナは水の国へ入る。これから何が二人を待ち受けているのかは分からないが、希望と抑えきれない好奇心を胸に、旅が始まる。