↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン仕草  作者: 埴輪庭


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/69

第44話:地獄道② 

第35話の続き

  ◇


 ジャハムたちはかつて見たことのないほど醜悪な肉壁に覆われた通路を進んでいた。


 先頭は『勇者』ベルンハルト。


 そしてオルセイン王国の近衛騎士たちが続いている。


 誰もが──雄々しきベルンハルト自身でさえも──この行軍が危険すぎると感じているが、最下層の悪魔を滅ぼさなければ国が滅びるとあっては往くしかない。


 そんな勇士らを見るジャハムの醜い顔には、微かな喜悦のようなものが浮かんでいた。


 瞳の奥には狂信にも似た光が宿り、土色の肌は粘膜めいた汗で湿っている。


 口元の皺がひきつり、呼吸の度にくぐもった声が零れ落ちた。


「……ザビーネ」


 その名を口にするたび、ジャハムの脳裏には骨と皮ばかりの無残な姿で息絶えた愛しき女王の面影がちらつく。


 ──求めよ、されば与えられん


 それは、ザビーネを喪った夜、ジャハムの精神を突き破るように聞こえた『神』の言葉。


 愛する者を奪われた悲嘆よりも深い慟哭の裏側で、彼の中に芽吹いた一筋の光。


 あらゆる願いを叶えるという()()


 ジャハムもその存在は胡乱に過ぎると思っていたが、『声』が教えてくれた。


 ──捧げよ、されば与えられん


 と。


 強き魂を、血を、贄として。


 そうすれば、ザビーネは再びこの手に戻ってくる。


 ジャハムは躊躇わなかった。


  ◆


「宰相殿、この先は警戒が必要です」


 ベルンハルトが低く告げる。


 周囲の壁や天井はどこもかしこも歪んだ肉塊のように蠢き、ときおり血の混じった液体が滴り落ちている。


 一人の騎士が足下を探れば、そこには白濁した蛆虫が群れを成して湧きかえっていた。


「第八層など公式には存在しないとされてきたが……ここは地獄そのものだ」


 ベルンハルトの声には焦燥が滲む。


 だがジャハムは気にも留めない風で、小さく咳払いをした。


「焦るな、ベルンハルトよ。我らは王国に選りすぐられた猛者の集いぞ……大義もある」


 嘘は言っていない。


 たしかにここに集う騎士や魔術師たちは、国を支える強者ばかり。


 だが彼らが()()()()を背負わされているか、本当のところは誰も知らない。


 不意に、部下の騎士が血相を変えて駆け寄ってきた。


「宰相殿、この先で複数の悪魔を確認しました! 避けては通れぬかと」


 ジャハムはベルンハルトと視線を交わし、薄く笑う。


「構わぬ、殲滅せよ」


 ベルンハルトは騎士たちに手短に指示を飛ばし、陣形を組み直した。


  ◆


 悪魔の群れは人型を保ったものと、禍々しい獣の混成だ。


 角や尾を持つ者もいれば、粘つく触手を這わせた塊もいる。


 この異形が群れを成して襲い来る光景は、どんな探索者の胆力をも砕くだろう。


 しかし、近衛騎士たちは退かない。


 百戦錬磨の彼らには、鍛え抜かれた連携があるからだ。


「叩くぞ!」


 ベルンハルトの声が響き、重厚な鎧を纏った騎士たちは一斉に前進を開始。


 後衛の魔術師が詠唱を完了させるのと同時に、前列の盾が地を踏みしめて魔物の猛撃を受け止める。


 瞬時に閃光が走り、業火の壁が悪魔の一団を焼き尽くすように膨れ上がる。


「うおおおお!」


 騎士たちは焦熱の渦を突き破り、残った悪魔どもを丁寧に仕留めていった。


 絶叫と爆音、肉の焦げる匂い。


 戦場に広がる光景は、まさしく惨劇の一言に尽きる。


 そんな地獄絵図の只中で、ジャハムはまるで他人事のような眼差しを注いでいた。


「……使える者ばかり揃えて良かった」


 高級な法衣の裾が血と脂に汚れるのも構わず、ジャハムはひっそりとそう呟く。


  ◆


 戦闘はほどなくして決着した。


 ベルンハルトは汗一つかかぬ様子で、鎧に僅かな汚れだけを残している。


 ジャハムの汚れた指先が、不意にベルンハルトの肩を叩いた。


「行くぞ。最下層はもうすぐだ。()を封じねばならぬ」


 ベルンハルトは一瞬目を伏せ、無言で頷いた。


 本当に自分達だけでやれるのだろうか──そんな不安を抑え込みながら。


  ・

  ・

  ・


 それから更に奥へ進むと、大きな空洞状の広間へ出た。


 壁と床は脈打つ肉のように蠢き、その中央部には黒ずんだ祭壇がぽつんと鎮座している。


 嫌な気配が、血の臭いとともに漂っていた。


 ここまで何度も遭遇してきた悪魔や不死者の姿は見当たらない。


「警戒を怠るな」


 ベルンハルトが小声で命じ、騎士たちが円陣を組むように展開する。


 そこへ、ジャハムはすたすたと独り先へ進んでいった。


「宰相殿!」


 ベルンハルトが声をかけるも、ジャハムは無視する。


 祭壇の前に立ったジャハムは、その上に両手をかざすような動作をとった。


「ここか……この場所で、捧げるのだな」


 狂気を孕んだ声が広間に響く。


 ベルンハルトはその声にゾクリとする。


「宰相殿、何を……」


「ベルンハルトよ、貴様はここで正体を知る事になるだろう。『神』は我らの祈りに応え、ザビーネを……」


 ジャハムが紡ぎだそうとする言葉を、ベルンハルトの怒声が断ち切った。


「ザビーネ……まさか、亡き王妃の……宰相殿、貴方はいったい何をしようとしている!」


 その問いにジャハムはわずかに笑みを浮かべる。


 まるで問いを待っていたかのように。


「何、単純な事だ。ザビーネを甦らせるのだよ。──『神』の力を借りてな」


 その瞬間、ジャハムの背後の空間がぐにゃりと歪んだ。


 祭壇の上にある漆黒の紋様が脈打ち、何か巨大なモノの影がちらつく。


 ベルンハルトは剣を抜き放ち、騎士たちは一斉に身構える。


 不気味な圧力が広間を満たし、呼吸すら苦しくなった。


「貴様……裏切るつもりか!」


 ベルンハルトが声を荒げると、ジャハムは目を細めて答えた。


「何を言うか。最初から貴様らは、捧げられる運命だったのだ。強い魂を、深い信念を、『神』へ献上するために」


 ジャハムの指輪が一斉に怪しい光を放ち始める。


 見れば、その光は騎士たちの肌を(ただ)れさせるほどの圧を生み出していた。


「捧げられるだと……ならば、俺はまず貴様の首を捧げてやる!」


 ベルンハルトの巨躯が弾けるように動いた。


 神聖術による祝福が剣を包み、目に見えぬ光の奔流がジャハムへと襲いかかる。


 その一撃は、王国最強たる『勇者』ベルンハルトの怒りを帯びた絶技である。


 正面から受ければ老体などひとたまりもないはずだった。


 ──しかし。


 ジャハムは恐怖を感じていないようだった。


 さらに言えば、彼は後ろに控えている魔術師団へ命じるでもなく、むしろ自ら進み出るように杖を突き出す。


「来い、ベルンハルトよ。その強き心根が、『神』を喜ばせる」


 ベルンハルトの斬撃がジャハムを捉えようとする刹那、広間に冷たい風が吹いた。


 一瞬にして剣筋が狂わされ、ベルンハルトの巨大な身体がよろめく。


 剣の軌道は大きく逸れ、ジャハムから外れた床を深く抉り取った。


「な……何だ、この風は……」


 凍りつくような冷気が、肌を刺している。


 祭壇の漆黒がうねり、影がにじみ出し──。


 人ならざる形を為すそれが、嗤うように口を開く。


 ──『うふふ、うふふふふ……』


「神よ……」


 ベルンハルトは思わず呟いた。


 ジャハムに『神』がいるならば、自身にも居て良いだろうという想いから出た言葉だ。


 しかし、結局のところ──そんな神が居たとしても、ベルンハルトたちには微笑まなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
S E T T I N G G R I M O I R E
ダンジョン仕草
設 定 資 料 集
入った者。堕ちた者。
そして、帰らなかった者たちの記録。
登場人物
迷宮に足を踏み入れた者の数だけ物語がある。だがその大半は、帰らなかった者の物語だ。ここに記すのは帰ってきた者たち──あるいは、帰るつもりのない者たちの記録。
▼ 主要パーティ
君
「君」
ライカード王国 魔導散兵 / 全能者《エルシャダイ》
黒いローブの青年。その実態はライカードという異国より来訪したキチガイである。あらゆる魔術、神聖術を行使するが“この世界の”術ではない。
戒律は善。困っている者は無償で助ける。ただし助け方が常識と噛み合わない。鉄錆びた死生観と人懐こい笑顔を同居させたクレイジーな冒険者だ。
キャリエル
キャリエル
幸運の女神 / ソロ探索者
赤い髪の少女。ソロで探索を続けている。妹の流行り病の薬代を稼ぐけなげな弱者。勘はいいがそれだけだ。
──その勘の精度を考えれば、それだけで十分ともいえるが。
ルクレツィア
ルクレツィア・フォン・エッセンバウム
降る雪の聖女 / 戦闘聖女《バトル・プリーステス》
カナンが迷宮に送り込んだ聖女。白銀の髪。大悪の調査に赴いた彼女を四人の聖騎士が護衛した。
──が、無様にも失敗。肉体を浸食され君に襲い掛かり、上半身をミンチにされて惨敗。おかげで死よりも悍ましい結末からは逃れられた。
固有術式「聖雪」。雪片の一つ一つが問う──あなたは善なる存在ですか、と。悪と判じられた者は自らの罪の重さで圧殺される。恐るべきはその判定が彼女の価値観で行われる事だ。
モーブ
モーブ
風渡りの聖騎士
ルクレツィアを護衛した四人の聖騎士のうちの一人。黒い髪のイケメン。異名は戦い方に由来する。神聖術で強化した肉体に、指向性を絞った風魔法を重ねた高機動戦闘。良く言えば寡黙。悪くいえばコミュ障。
▼ 探索者ギルド
サー・イェリコ・グロッケン
探索者ギルドマスター / 豚鬼種の英雄 / 利き鼻
探索者ギルドの親玉。巨大な体躯を執務机に収めた豚鬼種の英雄。その鼻で相手の帯びる毒、呪詛、悪意を嗅ぎ分ける。現役時代に悪竜を討ち、愛剣『大猪牙』を壁に飾る。脂肪の下には竜種に匹敵する膂力を秘めるが、全力稼働は数分──超えれば餓死するほど燃費が悪い。
ハノン
探索者ギルド受付嬢
金髪碧眼。冷静沈着で愛想がない。グロッケンの愛人という噂を流した者は、割りの悪い依頼しか回されずすぐ謝罪する羽目になったという。
ザンクード
荷持ちの老探索者 / 酔いどれ
いつも酒場で飲んでいる爺さん。喉の矢傷のせいで声が掠れる。半世紀を迷宮で費やした古強者で、流派の名を持たない我流の槍を振るう。型が無いぶん軌道が読めない。
ソニア
「ブルーソニアの隠し牙」リーダー
軽装の女戦士。まともに死ねなかった哀れな女。
ケイセルカット
斥候 / 「隠し牙」メンバー
運が良い若者。仲間がジャーヒルの歌に呑まれていく中、唯一正気を保ち、逃げ切った。
▼ カナン神聖国/オルセイン王国
法皇レダ
カナン神聖国 法皇
年齢抑制の恩寵で三十代半ばの外見を保つが、実年齢は六十を超える。彼女を「お飾り」と呼ぶ者がいる。傀儡の玉座で微笑むだけの女だと信じている者がいる。確かにそうかもしれない。レダは神聖術が絶望的に下手糞だし、政治を知らない。それでも彼女以外に法皇は考えられない。彼女がカナンで最も強いからである。
大主教ヒュレイア・フォン・ハーデン
六大主教 / ルクレツィアの上司
齢三十半ばで六大主教に昇り詰めた才媛。人間を道具として値踏みする。法皇を「お飾り」と見なし、いずれは自身がと考えている。彼女はレダよりよほど政治ができる。ただ、政治では魔を討てない。
宰相ジャハム
オルセイン王国宰相 / 大魔導師《アーク・ウィザード》
この男の全ての行動は、一つの名前で説明がつく。ザビーネ。亡き王妃の名だ。醜悪という言葉が人の形を取ったような男が、全存在を賭けて死者を蘇らせようとしている。クーデターでオーム王を追放し、ベルンハルトを裏切りの駒として迷宮へ送り込む。ただそれだけのために一つの国を大悪に捧げる。
ベルンハルト
近衛騎士団長 → 魔騎士
近衛騎士団長だった。過去形で語るしかない。ジャハムの策略で大迷宮に送り込まれ、大悪の力で魔騎士に堕ちた。
敵対者
囁く者とは人間が名付けた。名前をつけなければ、恐怖を語ることすらできなかったからだ。
囁く者
囁く者
歴史を紐解いてみれば、災厄と呼んでよい厄の陰には必ずこれらの存在があった。
ジャーヒル
ジャーヒル
暗黒の大母 / 二邪の一
肉を堕とす者
シェディム
シェディム
深淵の聖母 / 二邪の一
魂を堕とす者
▼ その他の脅威
エリゴス・ハスラー
カル・ローンの悪魔 / 首狩りハスラー
傭兵国家カル・ローンの筆頭傭兵団長。愛剣ローン・モウアで数え切れぬ英雄首を狩り獲った。最下層の宝剣を求め、第5層でルクレツィア一行と邂逅。情報を交換して一度は引き返したが──
魔将《デーモン・コマンダー》
大迷宮を狩り場とする上位悪魔族
悪魔は悪魔であって魔物ではない。囁く者たちとも無関係だ。彼らには故郷があり、大迷宮はその魔界との境界が薄い。だからこそ顕れる。中位、下位を従える様が将軍のようだから、人間が魔将と名付けた。
グレーターデーモン
上位悪魔
レッサーデーモンと並べて語られる事があるが論外である。レッサーより強大だからグレーターと呼ばれるのではない。その強さ、その恐ろしさゆえにグレーターデーモンと呼ばれるのだ。
その他の人々
主役だけが物語を動かすわけではない。名もなき者たちの選択が、時に世界の天秤を傾ける。
聖騎士サンドロス 異端審問官上がりの偉丈夫。法皇への不敬に義憤を感じ君に掴みかかり、べっこりへこまされた。残念ながら生存。
国王オーム クーデターで追放された元国王。その血は第10層への扉を開く鍵となる。──王の血とはつまり、そういうものだ。
ザビーネ 死者。亡き王妃。ジャハムの愛の歪みは、何人がそのために死んだかで測ればいい。
ゼナ 新米探索者。賊の襲撃で真っ先に立ち向かい真っ先に殺された。まあ、どこぞの冒険者に蘇生されたようだが。
ケージ 上位冒険者として稼ぎは十分あるはずなのに、全て賭博でトバすほどのカス。
ラーナラーナ レダの娘。くりくりとした眼にふわふわの栗毛。歳の頃は十かそこら。
国家と勢力
三つの国がアヴァロンの地下を巡って交わる。一つは戦いを神と崇め、一つは神に戦いを捧げ、一つは戦いの上に街を建てた。
ライカード王国
ライカード王国
超好戦的魔導国家 ── 死は風邪のようなもの
ライカードから来た男に、死をどう思うかと訊いた。少し重い風邪のようなものだ、と笑った。翌日、コボルトに殺された仲間を蘇生教会へ担ぎ込み、三十分後には酒場で一緒に飲んでいた。この男たちの国では、死は本当に風邪なのだ。
魔法体系は七段階の位階制で、各位階の呪文を一日九回まで使える。「絶対的な神などいない。いたとしてもそれは殺せる存在であり、神みたいなかんじの魔物である」と教育する国。
余談だが、ライカードにはNINJAとよばれる者たちがいる。忍者ではなくNINJAだ。全裸で戦い、手刀で首をはねる。諜報活動は行わない。
迷宮都市アヴァロン
迷宮都市アヴァロン
大迷宮の上に築かれた街
不味いエールで知られる安酒場がある。壁際に座ると怒号と笑い声が頭上を飛び交う。生きて帰った者が飲み、帰らなかった者の席には新しい誰かが座る。それがアヴァロンだ。
オルセイン王国に属するが実質は探索者ギルドの自治領。酒場と武具店と命知らずがひしめく。迷宮からは希少な資源、武具、魔法の道具が出土し、それを求めて各国から傭兵が集まる。
カナン神聖国
カナン神聖国
信仰の国 ── 白壁の都ユーガリット
白亜の城壁には退魔の力が込められている。ただし材質は白鳥石で脆い。
神を国として奉じる宗教国家。指導者は法皇レダだが、実質国を動かすのは六名の大主教。神聖魔法は信仰の深さで出力が変わる。応用は利くが不安定で、術者の心が揺れれば威力も揺れる。なお、カナンはヒト種のみで構成される。異種族の姿は見られない。それが何を意味するかは、各自の判断に委ねる。
囁く者とは何か
あなたの中に、それは既にいるかもしれない。
それ
「それ」の正体
見た目は生白くぬらっとした卑小なヒル。踏めば潰れる。焼けば死ぬ。──だが見た目通りの存在ではない。次元間の行き来を可能にする一種の生体ゲートである。一匹では意味を為さない。門を開くには膨大な数が要る。だから「それ」の目的は増えることだ。多く、多く、限りなく多く。それ以外の目的を持たない。
「それ」は増える
増殖手段は寄生。宿主に取り憑きエネルギーを搾取する。宿主が生きようとする限り、その行為は「それ」を守ることにもなる。──エネルギーとは栄養に限らない。感情だ。激しいほど上等の餌となる。信仰、愛、憎しみ、誇り。人間が最も尊いと思うものが、最も美味いらしい。
「改善」
効率よく餌を得るため「それ」は宿主を「改善」する。最初に恐怖を消す。次に哀しみを消す。すると宿主は囁きを天啓と受け止め始める。声に従えば辛いことが消え、喜びに満たされていく。──その喜びが「それ」を太らせているとも知らずに。
門が開く時
限度を超えると宿主の体内で際限なく増殖し、最後には宿主ごと破裂する。──ぱぁん、と。
破裂の直前、宿主は正気に戻る。自分を「こんなふう」にした存在への怒り。戻れない哀しみ。そして恐怖。その爆発が「それ」を爆発的に増やし、膨大なエネルギーが生体ゲートを起動させる。──つまり、絶望が門を開く。
なお「それ」は善でも悪でもない。だから破邪の力は痛痒を与えない。ルクレツィアほどの聖女の信仰すら、むしろ良質な餌だった。
門の向こう
歴史が一定の周期で大災厄を繰り返すのは、門が何度も開きかけているからだ。
アヴァロン大迷宮
潜った者だけが知っている。あの暗闇には温度がある。匂いがある。──息をしている。
第1層
F1 ── 薄暗回廊
松明の光が届く範囲だけが世界だった。石造りの回廊が続き、小鬼の爪が壁を掻く音が響く。新米はここで魔物の血の匂いを嗅ぎ、命の値段を覚える。
第2層
F2 ── 屍涼荒野
地下なのに空が見えた。説明はつかない。魔力の歪みが外界を投影しているとされるが、あれがどこの空なのかは誰も知らない。スケルトンの徘徊する荒野。
第3層
F3 ── 坑道層
至る所の松明は不思議と消えない。が──その影に悪魔が潜む。光が多いほど影も増える。安心と危険が同じ源泉から生まれる、嫌な構造。この辺から新米は遺書を書き始めたほうがいい。
第4層
F4 ── 迷宮層
側壁に装飾の施された「迷宮らしい迷宮」。人の手が入っているが建造者は不明。やけに寒く、湿った空気が流れる。墓場に似ている、と誰かが言った。
第5層
F5 ── 血渇円堂
通路はない。すり鉢状の広間が一つ。観客席に囲まれた円形の舞台。──かつて何者かがここで戦いを見物していた。そう思わせる構造だ。敵は出ない。ただしセーフエリアとは、あくまで人間の線引きである事を思い返すべきだ。
第6層
F6 ── 沼地層 / 下層回廊
上層は沼地。足元は緑と茶の泥に覆われ悪臭が漂う。触手の集合体と保護色のトカゲが襲う。長居すれば体が蝕まれる。下層は石の通路型回廊に変わる。
第7層
F7 ── 黒死聖堂
光が死ぬ。松明を掲げても闇に飲まれる。魔法の光も同じだ。ギルドの記録にすら情報のない未踏の領域。囁き声だけが耳元で鳴り続ける。
奥に至った者は見るだろう。墓石が円形に並び、中央に巨大な石棺が浮いているのを。暗黒の中で、それだけが明瞭に見える。
第8層
F8 ── 肉の回廊
生物的な質感の壁面が呼吸するように収縮を繰り返す。もはや迷宮ではない。上位の悪魔族が跋扈する魔界。
最深部
F9-10 ── 最深部
全ての道はここに至り、ここから先はない。
ダンジョン仕草
この魔導書はギルドの記録、生還者の証言、
そして迷宮から回収された断片から編まれた。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。