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ユメオイビト  作者: 神楽一斗
1/12

1 傍観者

 鳴りやまない銃火器の連続音が鼓膜を刺激する。飛び交う絶叫と怒号。あたりには砂煙と血の匂いが立ち込め、むせ返りそうになる。

 カーキ色の軍服に身を包んだ彼は、呼吸を乱しながら、周囲に何度も目を凝らした。誰にも見られていないことを確認すると、熱帯植物の大きな葉をかき分け、その奥に隠されていた洞窟の入口へと左足を引きずって入っていく。

「生きていたか」

「早く奥に入れ」

 そこには彼と同じ服装の男たちがいて、彼を招き入れた。男の一人が肩を貸して古びた木箱に彼を座らせると、赤く染まった左足の包帯を取り換え始める。その場にいる誰もが満身創痍といった状態で、疲弊し切った空気が場を支配していた。

「何人残った?」

「分からん。もうここも危ないかもしれん」

 痛みに耐えながら彼が答えると、頭上を飛行機の爆音が通り過ぎ、続いて、英語と思われる叫び声と足音が漏れ聞こえてきた。洞窟の中に緊張が走り、誰もが凍りついた表情のまま息を殺す。彼は半ば死を覚悟し、首からかけていたお守りを握りしめて祈った。遠い地に残してきた家族の無事を。

 永遠に感じられるほどの沈黙の後、ようやく声が遠のき、洞窟は静寂を取り戻した。

「行ったか」

 男たちの長いため息と共に、安堵感が漂い始めた矢先、乾いた音がして、何かが足元に転がる。握り手のついた丸い金属の塊。

「逃げろ!」悲鳴に近い男たちの声が、再び静寂を破る。


 * * *


 教室にいる全員が、原稿用紙を手にして朗読を終えたばかりの少年の顔を見つめていた。幼い彼らは、口を開けたまま、あるいは目を瞬かせながら、呆気にとられて事態をまったく呑み込めない。担任の女教師に至っては、しばらくスイッチが切れたかのようにその場に立ち尽くしていた。

 少年は一つため息を吐くと、原稿用紙を二つに折って着席した。その椅子の音で我に返った教師は、取り繕うように不自然な笑顔を浮かべた。

「……はい、素晴らしい作文でした。なんというか、とても映画みたいなお話でしたね」

 彼女は黒板の前に戻ると、しどろもどろになりながら、授業を再開した。指された女の子が立ち上がって、たどたどしい口調でゆっくりと原稿用紙を読み上げるのを、少年は少し退屈そうに眺める。

 彼は、『夢』で見た記憶をそのまま作文にしたに過ぎなかった。ただ、十二歳の自分が描写するには、少々不相応な物語ではあったことは理解してはいた。舞台はおそらく戦時中のどこかの島。そこで見た『彼』の哀しみを、題材にしようと思っただけだった。予想はしていたが、理解してくれる人間などいるはずもなかった。


「水樹君」

 その日の放課後、ランドセルのベルトを右肩にかけて歩いていた少年は、廊下で呼び止められて振り返った。女教師が原稿用紙の束を胸の前に抱えて立っている。

「さっきの作文、素晴らしかった。ホントよ。でも、もう少し楽しいお話の方が、みんなも喜ぶと思うんだ」

 彼女はメガネを上げながら、精一杯の笑顔を作ってそう言った。

「そうですね。次から気を付けます」

「あなたは本当にスゴイと思うのよ。わが校始まって以来の天才なんていう先生もいるし」

 少年は苦笑に近い笑みを浮かべて視線をそらす。

「お話の続きだけど、あの後どうなるの? 途中で終わっちゃったよね」

「さあ、見ていないので分かりません」そう言って少年は軽く会釈すると、足早に廊下を歩き去った。

 廊下を左に曲がって少し歩くと、右手に昇降口が見えてくる。『水樹一弥』と書かれた靴箱の前に来ると、少年は一つため息をついた。巷の子供たちに人気のキャラクターのロゴがさりげなく入った靴が一足、行儀よく並んで入っている。何度見ても抵抗があるが、裸足で帰るわけにはいかない。彼は上履きを脱いで代わりにそれをつまむと、少し乱暴に足元に放り投げた。


 水樹一弥は正真正銘の小学六年生だ。特別な英才教育を受けたわけではない。しかし、普通の少年かと問われれば、違うと言わざるを得ない。ただ、彼自身は、子供らしい振る舞いなんてものが見よう見まねでできるのなら、ずっと普通の子供を演じていたいと思っていた。もしそんな器用さが自分にあるのなら。

 学校から一キロほど歩いたところで、古びた洋館風の建物が見えてくる。一弥はその前で立ち止まると、錆びついた物々しい鉄の門扉を開いた。耳障りな高い音があたりに鳴り響く。中に入って門扉を閉め、少し広めの庭を横切ると、建物の玄関が見えてくる。

 茶色のアーチ型の扉には、金色のメッキがはげかけたノブがついている。一弥がそれをゆっくり右に回して開けると、大きなお尻が視界に飛び込んできた。

「ただいま」

「お帰り、一弥」

 彼を出迎えたのは、少しふくよかな体型の中年の女性で、その手にはモップが握られていた。森井珠美。一弥の母親代わりの女性で、生まれた時から知る人物だ。

「また、憂鬱な顔して。もっと子供らしい顔なさいよ」

「うるさいな」珠美に悪態をつくと、一弥は靴を脱ぎながら続けた。「ねえ、やっぱり前の靴でいいよ」

「だーめ、高かったんだから。せめて見かけだけでもそれっぽくしないと、あんたいつまでたっても友達できないよ」

「靴は関係ないだろ」

「まったく、子供気ないんだから」

 一弥はそのまま玄関から二階に続く、らせん状の階段を上った。二階には長い廊下と、左右に同じような部屋がいくつも並んでいて、一見しただけではホテルのようにも見える。

 突き当りの右側の部屋を開け、ランドセルを机の上に置くと、そのままベッドの上に仰向けになって体を預けた。ベッドのきしむ音が響き、天井を見上げるとひらがなの『と』の形をしたシミが目に留まる。

 一弥は天井に向かって深く息を吐いた。今日何度目のため息だろうか。まだ午後三時になったばかりの四月の陽気は、そのまま彼を心地よい眠りの世界にいざなっていった。


 * * *


 断続的に響く電子音と、吸入用の酸素が水中で泡立つ音だけが空間を支配している。薄暗い部屋の中央にベッドがあり、そこに年老いた男が寝かされていた。痩せこけて頬骨が飛び出し、目の周りはくぼんでいる。鼻腔にはチューブが通され、胸の上下する動きに合わせて、彼の口を覆う透明のプラスチックの器具が曇る。

 そのそばに、白衣を着た女性医師が立っている。年齢は三十代ぐらい。前髪をヘアピンで留め、大きなメガネをかけている彼女は、老人の左手を握りしめたまま嗚咽を漏らしていた。

「ゆり」老人が微かに口を動かした。

「なあに、お父さん」彼女は涙が流れるのも構わずに、彼の口元に耳を近づけた。

「世話になったな」

「……先に言わないでよ。わたしなんか、何もできなかったよ」

「泣くやつがあるか。医者が患者の前で泣くもんじゃない」

「……うん」彼女は涙をぬぐうと微笑んで見せた。

「いい気分だ。お母さんのことも頼むな」

 老人は、彼女がうなずいたのを確認すると、微かに開いていた目を閉じた。やがて電子音がロングトーンに変わり、女性医師がモニターのスイッチを切って腕時計を確認した。

「午後1時20分」

 老人は満足そうな笑みを浮かべていた。


 * * *


 一弥は、その様子を間近で見ていた。涙をこらえて父親の顔を見下ろしている彼女の姿を、彼女の目の前で眺めていた。しかし、彼女には一弥の姿は見えていない。一弥の姿そのものが、この場所に実体化していないからだ。同時に、一弥自身も目の前の彼女はもちろん、周囲のものに触れることすらできない。

 これが、彼が見る『夢』だ。一弥自身は、物心ついた時にはこの『夢』を見ていた。誰もが見る夢と、自分が見るこの『夢』が、どこか違うと分かったのは、つい最近のことだ。

 一弥は、以前から三つの違和感を抱いていた。ひとつは、自分以外の人間は、夢を見なかったり、夢の内容を忘れることがあるらしいという事実だ。彼にとって、夢とは毎日見るものであり、忘れることなどできないものだった。『夢』の中で渦巻く喜怒哀楽の感情は、一弥の中にも流れ込み、彼の心を揺さぶる。それは彼の記憶に確実に刻まれてきた。彼が生まれてから見てきた全ての『夢』の記憶は、おそらく一生消えることはない。

 もうひとつは、多くの人が、自分が主体となった夢を見ているらしいということだ。普通は、夢に現れる物語の主人公は自分自身であり、その物語の一員として行動することができるという。一弥は、誰よりも具体的な夢を見ているらしいことは知っていたが、一度として、自分が『夢』に影響を与えたことがなかった。いわば、彼は『夢』の中では傍観者に過ぎないのだ。

 そして最後の違和感は、自分が『夢』を『見ていない』らしいということだ。


 一弥がベッドから起き上がって、壁の掛け時計を見ると、針はちょうど5時を回るところだった。夢の世界での体感時間と、現実世界での時間はかなり異なることが多い。多くは夢の世界の時間の方が短く、ほんの数分程度の時間だと思っても、現実では数時間も経過していたりする。

 一弥ははっきりしない頭を振りながら、ゆっくりと部屋を出た。二階かららせん階段を下りて左に曲がると食堂が見える。廊下との仕切りがないため広く感じる。廊下の反対の面がキッチンとなっており、エプロン姿の珠美が並べた皿にカレーをかけている。

 部屋の中央に長机が二つくっつけて置いてあり、長い辺に八脚の椅子が並ぶ。キッチン側の向かって中央の椅子二つに、おかっぱの女の子と二つ結びにしている女の子が座っている。二人とも、やっと自分一人でものが食べられるようになったばかりの子供たちだ。

 一弥が子供たちの向かいの椅子に腰かけると、おかっぱの女の子が目を輝かせて身を乗り出した。

「一弥兄ちゃん、おねんねしてたの? お話聞かせて」

「鈴華には難しいから、また今度な」

「えー、つまんないの」鈴華が口をとがらせるので、一弥はその頭をなでてやる。

「あかりにもな」もう一人の子が自分も、と反応するのを予想して、一弥はその顔を覗き込んで笑った。その子が頬っぺたを膨らませるので、同じように頭をなでた。

「みんなお待たせ」そこへ、珠美が大きめのトレイにカレー皿やサラダを乗せて持ってきた。

 あかりがスプーンを握ってはしゃぐので、「ちゃんとお祈りしなさい」と、珠美が諌めた。

「はぁい」あかりはスプーンをテーブルに置くと、両手を握った。それに合わせて、テーブルについた他の三人も胸の前で両手を組んだ。

「今日も恵みに感謝します。いただきます」珠美が唱えるように言うと、「いただきます」と元気な声で子供たちが続ける。すぐに大きな音を立てながらカレーをほおばり始めた。

「熱いから気を付けてね」珠美は、子供たちが食べる様子を優しい目で眺めると、一弥に視線を向けた。

「こんな時間でも寝てる人っていたんだ」

「病院の先生だった」カレーを口に運びながら、一弥は珠美に答えた。

「今度またわたしの夢を見たら、教えてよ」

「はいはい」

 珠美は、一弥の『夢』を理解している唯一の人間だ。そして、一弥が『他人の夢』を見ていると気づいたのも、彼女だ。以前、一弥が見た『夢』が、珠美の夢だったらしいのだ。主人公が若く、外見が今とかなり違っていたため、一弥はすぐには気づかなかったのだが。

「人に夢を見られるっていうのは、あまり気持ちのいいものじゃないね」

 珠美がそう言ってからというもの、一弥は孤児院の外であまり『夢』の話はしないようにしていた。しかし、強すぎる喜怒哀楽の感情は、時として誰かに伝えたいという欲求を生み、一弥自身、我慢ならなくなることがある。一弥はそれを、架空の物語として外に吐き出していた。今朝の国語の授業の作文や、子供たちに聞かせる物語として。


 * * *


 柔らかい花の香りが一弥の鼻孔をくすぐる。そこは、桜の木の枝が空を覆い隠すように立ち並ぶ並木道だった。花びらが舞い落ちる姿は雪を思わせ、淡い桜色に染まった石畳がまっすぐ続いている。その美しい色彩とは裏腹に、一弥は張り詰める冷たい空気感を感じ取っていた。目の前の光景が、何か別の感情を隠すためのカモフラージュではないかと思えるような、違和感があった。

 つむじ風が起こって、空にたくさんの花びらが舞いあがり、渦を巻いた。その中から生まれ出たかのように、一人の少女がいつのまにか立っていた。

 年齢は一弥と同じか、少し幼いくらい。純白のワンピース姿で、肩ほどまでの黒髪に藍色のリボンをつけている。透き通るような白い肌には生気が無く、人形のような印象さえ受ける。彼女は円を描く花吹雪の中心で、どこか物悲しげな表情のまま立ち尽くしていた。彼女が纏う憂いの混じった雰囲気を感じ取った一弥は、その姿をしばらく追った。

 やがて、彼女の大きな瞳が一弥の視線と交差し、動きを止めた。彼女は一瞬はっとした表情をして立ちすくんだが、ほどなくして一弥が見ている場所へゆっくりと歩み寄ってきた。

 彼女は一弥を見上げると、まばたきだけを繰り返していた。その瞳は、見つめているだけで吸い込まれてしまいそうな深い色をしていた。

「もしかして、僕のことが見えてる?」

 一弥が思わずつぶやくと、少女は瞳をさらに大きく見開いて、怯えるように後ずさりをした。

「ごめん、驚かせて」と、一弥は、彼女の方へ手を伸ばして、我に返った。

 今、間違いなく自分の右手が動き、目の前にある。手のひらを自分に向けると、見慣れた手相が刻まれていたのだ。

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