ひつじとヤギの違いを執事に教えてもらう話
「うわあ……パニックだよ……」
僕は頭を抱えていた。
友人から生き物をもらったのだ。
草をもりもり食べる生き物と、毛並みがふさふさしている生き物の二匹。
その生き物の名前が問題だった。
「ヤギとひつじって、別の生き物だったの……? 本当に……? そんなことあるの……?」
話をしているうちに気づいてしまったのだ。
こっちがヤギ、こっちがひつじ。
そう言われて僕はパニックになった。
いままで僕は、ヤギとひつじは同じ生き物だと思っていたのだ。
そしてパニック状態の僕をおいて、友人は帰ってしまった。
忙しいらしい。
簡単な説明はしてくれたが、ほとんど頭の中に入っていない。
目の前には二匹の生き物。
どちらがヤギでどちらがひつじなのか、もうわからない。
「名前もわからない生き物と、どう接していいのかわからないよ……」
僕は途方に暮れるのだった。
***
「はい、安心してくださいね。私に任せてください」
「あ……よろしくお願いします」
数日たってもパニックのままだった僕を心配して、友人が執事をよこしてくれたのだった。
ヤギとひつじの区別の仕方を教えてくれるらしい。
「正直まったく自信がなくて……何が何だかわからなくて、自分でも信じられなくて……」
「大丈夫ですよ。見慣れてくれば、すぐに区別がつきます」
「そうなんですね……。良かった……」
執事はニッコリ笑った。
そして、草をもりもり食べている生き物を手のひらで指し示した。
「こちらがヤギです」
「これがヤギ……」
僕はヤギをじっくりと眺めた。
「こちらがひつじです」
「ひつじ……」
「そして私が」
再びニッコリ笑った。
「執事です」
「これがひつじ……」
僕はひつじをじっくりと眺めた。
ひつじはちょっと「ん?」という顔をして、それから首を振って、人差し指を立てた。
「ではここまでの復習をしましょう。シャッフルをして、場所を入れ替えるので、しまうまさんは目をつぶっていてください」
「なるほど、ここまでの理解のテストですね。頑張ります……!」
僕はしっかりと両手で目を覆った。
「もういいですよ」
と声がかかって手を下ろすと、僕の目の前には三匹の生き物がいたのだった。
左から、しゃべる生き物、草をもりもり食べる生き物、毛並みがふさふさしている生き物だ。
「では一番簡単なところから行きましょう」
しゃべる生き物が胸に手を当てた。
「私は何でしょう?」
「ひつじです」
「いえ、執事です」
「はい、そうです。ひつじです」
「ちょっと待ってください」
とひつじが言った。
「しまうまさん、もしかして、執事とひつじの区別がついてないんじゃないですか?」
「えーっと……」
返答に困ってパニックになりそうになる。
「ひつじとひつじの区別は、つけなくてもいいんじゃないかと思います」
「違いますよね? ひつじと執事です」
「はい。ひつじとひつじ」
「執事」
「ひつじ」
「執事!」
「ひつじ!」
***
しばらくして、僕はひつじと執事が別の生き物を指す言葉だということを理解したのだった。
「なんとかしつじとひつじの区別はできるようになったと思います……」
「ふう……とりあえず理解していただけたようで良かったです」
しゃべる生き物は額の汗をぬぐった。
「はい。僕も新しい知識が得られて良かったです」
大きくうなずいた。
「じゃあ、一度確認してみましょう。しまうまさんの考える、執事の特徴は何ですか?」
「しつじ……」
僕は三匹の生き物を順番に眺めて、それから三匹全員が視界に入るように、空中を眺めた。
「しつじ……?」
「執事は私です」
「あっ、はい」
僕は執事をじっくりと眺めた。
「そして、ひつじはこの子です」
執事は毛並みがふさふさの生き物を連れてきた。
「比べてみて、執事の特徴はどこにあるのか考えてみましょう」
「はい。なるほど、こうして並べて比べてみると考えやすいですね。……あっ、あんまり近づかないでくださいね。近づいちゃうとごっちゃになってしまうので」
「はい……」
執事は不服そうな顔でひつじから一歩離れた。
「えっとですね……僕が思うに、執事の特徴は……毛先のハネ具合じゃないかと思います」
「毛先ですか……?」
「はい、毛先です」
「毛先……。ちょっと何の話をしているかわからないですね……」
不意に、ひつじが執事の足元へ駆け寄った。
ぐるぐると移動して、もうどちらがどちらかわからない。
「もうちょっと具体的に、何かほかの特徴はないですか?」
「ほかの特徴ですか……」
僕は二匹の生き物を眺めた。
しゃべる生き物。
毛並みがふさふさしている生き物。
特徴の前に、どちらが執事なのだろうか。
「そうですね……えっと……雰囲気でしょうか」
「雰囲気?」
「なんというか、こう、まとまりがあるというか……」
「ああ……なるほど……まとまりがある……なるほど」
しゃべる生き物はしばらく考えて、「うん。大丈夫そうですね」とうなずいた。
「じゃあ順番に確認していきましょう。私は何ですか?」
「ひつじです」
と僕は答えたのだった。
***
「大丈夫です。落ち着いて、ひとつずつ覚えていきましょう」
「はい。すいません……」
「いいんですよ。しまうまさんにとっては覚えることがひとつ増えたわけですから、すぐに覚えられなくても仕方ありません。焦らずにじっくり行きましょうね」
「はい」
「この生き物は?」
「ヤギです」
「ひつじです。じゃあ、この生き物は?」
「ひつじです」
「ヤギです」
「はい……」
「じゃあ私は?」
「ヤギです」
「執事です。しまうまさん、ヤギは一回言いましたよね」
「ええと? 言ったかな? 何回だろう? 三回じゃないかな? えっ、なんで? どうしてヤギが三匹もいるのかな?」
「しまうまさん、落ち着いて。ヤギは一匹です」
「はい、ヤギは一匹」
「じゃあ私は?」
「ヤギです」
「執事です」
***
「うーん、しまうまさんは難しく考えすぎるところがありますよね」
僕は大きくうなずいた。
「そうなんです! 昔から、考えすぎちゃうところがあって……」
「いったんリラックスして、頭を空っぽにして、目の前の生き物と触れ合ってみましょう。そうすれば何か見えてくるものがあるかもしれません」
「なるほど。やってみますね」
僕は目の前のしゃべる生き物の服の手触りを確かめることにした。
しゃべる生き物は複雑そうな顔でじっとしていた。
ほかにも毛並みがふさふさしている生き物を触ったり、草をもりもり食べる生き物を追いかけたり。
しばらくして、しゃべる生き物が僕に尋ねた。
「どうでしょう。進展はありましたか?」
「ちょっと身近に感じられるようになったと思います。三匹とも」
「三匹とも……それは良かったです」
「僕が思うに、三匹のうちの二匹は、手触りがつるつるしている……ような気がするんですよね」
「つるつるしている。そうすると、残りの一匹はどんな手触りなんでしょうか?」
「するするしてますね」
「なるほど……するする。それで区別できそうですか?」
「うーん、ちょっと難しいかもしれませんね」
「そうでしょうね……」
***
いま、僕の目の前には、三匹の生き物が並んでいる。
「触れ合ってもらってよかったです。しまうまさんの口から、『見分けられそうな気がする』なんて言葉が出てくるとは思いませんでした。驚きました」
「いえ、丁寧に教えてくださったおかげです。ヤギは見分けられると思います」
「ヤギ……執事ではないんですね……。ではやってみてください」
「はい」
僕はじっくりと三匹の生き物を観察した。
ふれあいタイムのおかげで、僕はヤギの特徴を見つけていたのだ。
ヤギは草をもりもり食べる。
観察して、草をもりもり食べる生き物がいれば、それはヤギなのだ。
まず、しゃべる生き物を見つめる。
しゃべる生き物は「がんばってください」と僕にうなずきかけた。
草は食べていない。
次に、毛並みがふさふさしている生き物を見つめた。
ときどき口を動かしている。
草を食べているのかなと思ったが、食べていない。
ただ何となく口を動かしているだけだ。
最後に、無表情で遠くを見つめる生き物を観察した。
先ほどから遠くを見つめたまま動かない。
しばらく待ったが、草を食べる様子はなかった。
もう一度、観察する。
三匹とも草を食べていないし、しゃべらない。
まったく区別がつかなかった。
パニックになりそうだった。
「大丈夫だから」と自分に言い聞かせる。
僕はこんなときのためにヤギを区別する方法まで考えていたのだ。
地面に手をつき、草をむしり取る。
それを繰り返して、右手いっぱいに、草を握りしめた。
この草をもりもり食べれば、それがヤギだ。
握りしめた草を、一番左の生き物の口元に運んだ。
一番左の生き物は、慌てて僕の手を遮ろうとする。
「ちょっとしまうまさん! なにをしようとしているんですか」
「あっ、これはしゃべる生き物だ」と僕は思った。
だが、草をもりもり食べれば、それはヤギだ。
「やめてください。しまうまさん。私の口に草を押し込もうとしないでください」
「草をもりもり食べれば、ヤギなんです」
「私は草を食べませんから。私はヤギじゃありませんから」
そう言われて、僕の手は止まった。
「草を食べない」と言われたときにどうすればいいのかは考えていなかった。
こういうときは、実際に草を食べさせてみればいいんじゃないだろうか。
「やめてください。どうしてなんでしょう。しまうまさん、一度止まったのに、また私の口に草を押し込もうとしていますよね? 私の声は聞こえていますよね? どうしたらわかってくれるのかなあ!」
***
僕は落ち込んでいた。
結局ヤギの見分けはつかなかったのだ。
「この方法なら絶対にいけると思ったんですけど……」
「考え方はわかりますよ? やり方が乱暴だっただけです。でもそのやり方だとひつじの見分けがつきませんよねえ? 草をもりもり食べるひつじもいるでしょうし」
「えっ!」と僕はしゃべる生き物の顔を見つめた。
しゃべる生き物も「えっ?」と返して、それからうなずいた。
「すいません。ややこしいことを言ってしまいましたね。いま言ったことは忘れてください」
「えっと、いま言ったこと……」
「はい。『草をもりもり食べるひつじ』のことです。こういうイレギュラーなことを言うと、混乱してしまいますよね。私の配慮不足でした。忘れてください。取り乱して、余計なことを言ってしまいました」
僕はしばらく考えて、切り出した。
「ちょっと気づいたことがあるかもしれないと思うんです……」
「はい、何でしょう」
「僕はひつじとヤギとしつじの区別をつけようとしていると思っていたんです」
「はい、そうですね。残念なことに執事も含まれていますね」
「でも、いままで気づいていなかったんですが、もしかしたら、もう一匹……ひつぎもいますか?」
「ひつぎ……?」
「ひつぎです」
「ひつぎって、棺桶のことですか?」
「ああ、これがかんおけなんですか」
と僕は目の前の生き物を見つめた。
「ちょっと待ってください、しまうまさん! 棺桶はここにはないです。どうして話をややこしくしようとするんですか? 棺桶のことは忘れてください」
「かんおけのことは忘れるんですか? ひつぎのことはどうしますか?」
「棺のことも忘れてください!」
「ひつぎとは永遠にサヨナラですか?」
「そうです。棺とも棺桶とも永遠にサヨナラしてください」
「そうですか……。サヨナラするときに、かんおけにひつじは入れますか?」
「かわいそうだから入れないでください。棺桶は空っぽのままサヨナラです」
「そうですかわかりました」
僕はひつぎと永遠にサヨナラした。
「しまうまさん、大分混乱しているようですね。少し休みましょう。ここで無理をするのは良くないです。非常に良くないことだと思います」
「そうかもしれませんね……。自分でもそう思います……」
また僕は草をもりもり食べる生き物を追いかけたり、毛並みがふさふさした生き物を抱きかかえたりして、時間を過ごすのだった。
***
「ちょっとあいまいなんですけど……気づいたことがあって……」
僕は言った。
「毛皮がふさふさしている生き物は、抱きかかえても、おとなしい気がします。草をもりもり食べる生き物は、嫌がっているような……」
「なるほど。それは区別するのに役立ちそうですか?」
「うーん、どうだろう……。しゃべる生き物も、抱きかかえようとしたら嫌がっていたんですよね」
「はい。抱きかかえられるのは嫌ですね……」
***
生き物たちと触れ合うことにも飽きて、僕は地面に座っていた。
隣にはしゃべる生き物が座っていた。
付き合いのいい生き物だ。
「実は、ヤギとひつじが別の生き物かもしれないと思ったことは、以前にもあったんです」
ぽつりと僕は言うと、「へえ、そうですか」とうなずいてくれた。
気持ちよく話を聞いてくれる生き物だ。
「星座ってあるじゃないですか」
「はい、ありますね。星座」
「星座のなかに、ヤギ座があるんです。そして、おひつじ座もある」
「ああ、そうですね。ヤギもひつじも星座の中にある」
「それで、どうしてなのかなあとは思っていたんです。同じ動物だったら、両方星座に入るのはおかしくないかなあって」
「そうですね。普通に考えればそういう疑問を持ちますね」
「でも、『おひつじ』じゃないですか。星座って。ひつじじゃなくて」
「たしかに。星座はおひつじです」
「だから、オスとメスで別々にカウントしてるのかなって思ったんですよね」
「ああ……惜しかったですね。でもそういう考え方もありそうですね」
「いまは別の可能性も考えています」
「別の可能性?」
しゃべる生き物は不思議そうに聞き返した。
「ええ。もしかしたら、『おひつじ』はひつじとは別の生き物かもしれないなあと思っています」
しゃべる生き物はぎょっとした顔をするのだった。
***
「ちょっと違うことを考えましょうか」
聞き上手な生き物が言った。
「しまうまさんがここまで生き物の区別ができないのが、私には不思議なことに思えるんですね」
「はい、なるほど。実は僕も不思議に思っています」
「それで、何か区別できない理由に心当たりはあるでしょうか?」
「心当たり……」
考えてみるが、何も思い浮かばない。
具体的な理由はないんじゃないかと思う。
「でも、僕なりに、こういう仕組みで区別がつかないんだろうな、ということは考えてはいるんです」
「ほお、聞かせてください」
「耳ってあるじゃないですか」
「耳。はい、ありますね」
「動物はそれぞれ耳の形が違う。同じ人間同士でも耳の形は違うと思うんです」
「そうですね。まったく同じ耳のひとはいないでしょうね」
「でも、耳を見て、『あっ、このひとは○○さんだ』とはわからないわけです」
「そうですね。そうなります」
「それは普段耳に注目していないからなんですね。耳を区別のために使っていないから、耳と名前が一致しない」
「うーん、わかります。そういうことなんでしょうね」
「で、この『耳』を『概念』と置き換えてみてください」
「概念」
「それで、えっと、『名前』を『認識』と置き換えます」
「置き換える……。耳と概念を……。名前……?」
「ここで、僕は概念がごっちゃになっているんです。あ、いや、違う。ごっちゃになっているのは認識のほうで、だから、えーっと、どうしたらいいかな……」
「私のほうもどうしたらいいのかちょっとわからなくなっています……」
「だから……そうだ! いったん、さっき『耳』と『概念』を置き換えましたよね」
「置き換える……えー、概念を……はい……」
「その置き換えたやつをひっくり返してください」
「ひっくり返す?」
「そうです。概念と認識が、逆なので、そのまま、こう……ひっくり返すんです。名前と概念を」
「いや、もう完全にわからなくなりました……」
***
そろそろ決着をつけなければならない、と僕は思った。
聞き上手な生き物がこんなに協力してくれているのだ。
まったく区別がつかないままでは終われない。
ほんの少しでも、前進しなければ申し訳ない。
どんな手を使ってでも、正解するのだ。
「しまうまさん、顔つきが変わりましたね」
「ええ、いままでとは違うというところを見てもらおうと思います」
「しまうまさんがそんなことを言うなんて……わかりました。期待させてもらいます」
僕の目の前に三匹の生き物が並んだ。
「では、こちらの生き物は何でしょう?」
聞き上手な生き物が、毛並みのふさふさした生き物を指し示した。
「ヤギです!」
聞き上手な生き物は唇をかんだ。
「……では、こちらの生き物は?」
「ヤギです!」
「……? では、私は?」
「ヤギです!」
聞き上手な生き物はしばらく考えて、うなずいた。
「なるほど、そういうことですね。区別はつかないが、すべてヤギと答えればひとつは正解できる。しまうまさんは、そう考えたのですね」
「そうです。このままじゃあ終われない。どんな手を使っても正解をもぎ取ると、そう覚悟を決めたんです!」
「はい……。それが何の解決になるのかはともかく、しまうまさんの覚悟は伝わりました」
聞き上手な生き物が、草をもりもり食べる生き物を連れて行く。
「この子がヤギでした。正解です。残りは二ひ……二匹。もう一度行きましょう。この子は何ですか?」
「ひつじです!」
「……では、私は?」
「ひつじです!」
聞き上手な生き物は無言で、うんうんとうなずいていた。
そして、毛並みのふさふさした生き物を連れて行った。
「いまのがひつじでした。正解です。さあ、残ったひと……一匹は何ですか?」
「ヤギです!」
と僕は答えたのだった。
***
結局ネームプレートをつけることになった。
毛並みのふさふさした生き物の首には「ひつじ」のネームプレート。
草をもりもり食べる生き物の首には「ヤギ」のネームプレートがかけられている。
これでもう迷うことはない。
名前さえわかれば、接し方に悩むこともない。
「ふう……なんとか解決してよかったです」
聞き上手な生き物はそう言ってやりとげた顔をしていた。
首には「執事」というネームプレートがかけられている。
「お世話になりました。こんなに親切に、時間をかけて、ヤギとひつじとしつじの見分け方を教えてくれて、本当に助かりました」
「いえ、私は何もしていませんし……しまうまさんに悪気がないのもわかっていますから……」
「はい。お話できて楽しかったです。またぜひ、遊びに来てくださいね」
と言うとちょっとびっくりした顔になって、
「そうですね、私も楽しかったです。また遊びに来ますね。あっ、でも、遊びに来たときに私がどの生き物だかわからないと困りますね。ちゃんと顔を覚えていてくださいね」
と笑うのだった。
僕は、
「いえ、遊びに来るときはネームプレートを忘れずにつけてきてください」
と答えるのだった。