幕末の聖女はおにぎりを差し出すだけじゃなく、麟太郎を呼びつける
これは「なろうラジオ大賞2」応募作品です。参加規定上、1000文字以下になっています。
持久走中、心臓破りの丘頂上手前で、美弥は倒れた。
「ここ、苦の坂って名前、不吉〜」と思いながら。
「おみや、握り飯を皆に配れ」
気が付くと目の前で、こどもの日コスプレ男が見下ろしていた。
兜に甲冑、緋縅、刀、本格的。
隣の古いかまどでおばさんが飯炊き、自分は無数のおにぎりを作っている。
武将の立ち姿の向こうには、境内らしい平地に足軽たちが座り込んでいた。
「炊き出しってやつ?」
美弥は手の中のおにぎりを足元のおかもちに詰めて、
「よいしょ」と外に出た。
元気な者が美弥の前に行列し、負傷兵にも配ってくれる。
後ろではおばさんが次から次へと満杯のおかもちを運び出した。
「さすが彦根さま、白まんまがたんまり」
「ひこね?」
「変なモンペの嬢ちゃんは知らんか? お殿様は京の向こうから来ておられて」
「ま、待ったあーー!」
美弥は自分の服を見た。
「ジャージ、うん、ヘンなモンペ。で、も、もしかして今、慶応二年水無月?」
おにぎりに人心地ついた兵たちは爆笑しながら頷く。
「ヤバい……私の町が教科書に載る唯一の、長州戦争だよぉぉぉ!」
美弥は坂を駆け上り、西を眺めた。
眼下に蛇行する小瀬川は既に血の色。
山寺に転がり戻って偉いさんに尋ねた。
「竹原さんは? 竹原七郎平さんはもう殺された?」
「ああ、あれは酷い。幕府の書状を掲げて馬で川渡ってるとこ、ずどーんと」
「西洋銃いきなりぶっ放して」
「朝敵長州も必死だな」
朝敵が官軍に変わる前夜なんだよ!
敵はもう渡河して潜んでる。
この坂を利用して、銃撃ち下ろしの奇襲が来る。刀では相手にならない。
撤退、ひとりでも生き延びること。
「逃げて! お願いだから!」
美弥の声が寺に響いた。
「そうはいかん」
美弥はせめてもと、寺の文机上に目についた写経用の紙をむんずと掴んだ。
「芸州口特産手漉き和紙! これを鎧の下、心の臓に当てて」
皆に配り終わらないうちに、銃声がした。
「来た!」
「おみや、早く逃げなさい」
そう言われて頷くわけにはいかない。
「殿様こそ江戸城に飛脚、麟太郎を召喚して!」
「麟太郎? もしかして、勝軍艦奉行殿か?」
「長州も勝さんは無視しない!」
「だが敵はこちらの伝令も撃ち殺す」
「そこは私が話を通すから!」
美弥は苦の坂の、自分が倒れた辺りにふらりと立った。
坂の頂点から、髪を、耳を銃弾が掠める。
だが、この世のものでないとみたのか、次第に銃撃が収まった。
「私は既に死んでる筈」
美弥は銃撃が起こした砂埃の中で不敵に笑った。