偶像崇拝
いつからだろうか、神と崇められたのは。
別に崇められたいわけではない。人間が自己の満足のために勝手に私を神にしたのだ。
己の「不安」や「夢」それを神と言う作り上げた存在に願う事により満足しているのだ。これだけ聞けば有意義だと思うであろう。ただ、その願いが叶えばだが。
もし、その願いが叶わず、何か悪しき事が起きれば、それも神のせいなのだ。本当に嫌気がさす...
しかし、私はこの地が好きなのだ、かれこれ100年以上この地に住んでいる、しかし、残念な事に私の本当の姿を見れるものはいないだろう。それが普通なのだ。しかし、稀に私の存在が見えるものがいる。今までに3人見た、しかし3人とも見え方が異なるのだ。理由はわかる、私を見たものの欲の違いだ。一人は「金」に飢え、又一人は「性」に飢えていた。しかし一人だけ私本来の姿を見ていた。この者は「無欲」だったのだ。人間は欲があると思っていたが全てがそうではないらしい。あれから数10年あの様な人間を久しく見ていない。今では人間は欲に塗れている。
「信仰心」など無いのかもしれない、今までもあったのかは知らない。
ただ、わかる事がひとつだけある。
人間は私を神にしてくれる、なんの力もない人間が揃えばなんの変哲もないものを神にする。
私の様なこの木を。
私はこの地で数100年この地を見守っている、これからも見守る、私の命が尽きるまで。