メメントオアレリック
―――帝国の勝利と繁栄に!
マンスフィールド将軍の祝杯と共に始まったパーティーはすぐに喧噪に包まれた。濃紺の制服を揃って身に付けた軍人たちの間に、非軍人である正装姿の貴族男性が少数混ざる。面白味に欠ける集団に色を付けるのは鮮やかなドレスを纏った貴婦人たちだ。冬の闇も寒さも入り込む隙のない煌々と照らされた大広間で、誰もが晴れやかな表情で口々に帝国の勝利を祝っていた。
広間の中央から外れた所にアギーとルキウスは立っていたが、数の少ない女性軍人と、帝国人には見られない浅黒い肌の大柄な男性という組み合わせは嫌でも目立っていた。軍帽とコートは屋敷の玄関で預けたため、胸元で第四聯隊の所属を示す徽章が階級章と一緒に並んでいるのが誰の目にも明らかになっている。第四聯隊から招かれたのはアギーとルキウスだけであり、つまりこの徽章と階級章は自ら名乗っているのと同義だった。そのせいか、人々は二人が誰だか分かると知人同士であれが噂の、などと囁き合っている。直接話しかけてこないのは糸口が掴めないからだろう。
アギーが周囲の様子にいっそ堂々と苦笑しているのとは反対に、ルキウスは視線を落として居心地が悪そうにしている。そのたくましい背をアギーは軽く叩いた。
「副官。君はただでさえ立派な体躯をしているのだ。そんなに背を縮めていると逆に目立つぞ」
「し、失礼しました」
慌てて背を伸ばす右腕の様子にアギーはけらけらと笑った。ぱっと明かりが灯るような笑顔は男女問わずさらに視線を集めたのだが、当の本人はさして気にした態ではない。場慣れした雰囲気にルキウスは舌を巻いた。
「上官殿は慣れておいでのようで羨ましい次第です」
「慣れているように見えるのなら、私のよそいきの面は堂に入ってきたということだな。面を外せば私も君と同様、背を縮めて緊張しているのだが」
「要は外面を鍛えればよいと?」
「そういうことだ」
小声で言葉を交わし、それから顔を合わせて笑う。偽りのない二人の親密さは、周囲の人々に帝国軍が地方部族を組み込むのに成功したのは嘘ではないと納得させることになった。
余裕が出てきたのか、ルキウスは広間に視線を巡らせて感嘆の息を吐いた。
「しかし華やかなものです」
「本当に。こんな世界、子どもの頃は想像したこともなかったが」
「ええ。私にとっては数年前までは、ですが」
人々を眩しげに見ていた彫りの深いその顔が、不意に強張った。彼の視線をたどったアギーは、そこに数週間前に会って以来である未来の婚約者がいるのを見つけた。将軍という地位に就くには比較的若い司令官、改めブレンダン=アッカーソン将軍は、未婚の貴族女性の熱心な視線を浴びているようだ。どうにも大変そうなことだと、アギーは他人事な感想を抱いた。
「中尉、閣下がどうかしたのか」
聞けばルキウスは大きく首を振った。
「いえ、お気になさらないで下さい」
「そうか?」
ふと、隣の人物と会話をしていた将軍の目がこちらを向く。それはまるで最初からアギーがそこにいることを知っていたかのような、アギーに見られていることを知っていたかのような滑らかさだった。
目と目が合い、射抜かれた瞬間。アギーは背筋に氷水を流し込まれた。冷たく刺すような視線はいつものことだ。けれどそこに、いつもにはない感情が混ざっている。アギーは凍りつきながらも分析した。怒りとまではいかないまでもはっきりと不快を表わしたその感情は、そう、苛立ちだ。
―――私の行動が何か癇に障ったのか・・・・・・?
考えてみるが浮かばない。事後処理は期日までに片付けたし、直近の手紙の文面にも何も問題はなかったはずだ。焦りつつも軽く目礼をすれば、鷹揚な頷きが返ってきた。すぐに視線も外れて、同時に憑き物が落ちたような気持ちになる。アギーはほっと息を吐いた。閣下のそれが何に対する苛立ちかは分からない。つまりアギーに対するものとは限らないではないか。もう一度意識して息を吸って吐いて、気を取り直す。
「さて、中尉。まずは主催者のマンスフィールド将軍へ挨拶だ」
「はい」
人混みを縫って器用に歩き始めたアギーの右後ろに付きながら、ルキウスは人知れず身震いした。彼に対してだけ意図的に殺意を乗せた視線にルキウスは気付いていた。戦場であったなら防衛本能に任せて別命なく即座に小銃を発砲していただろう。
―――まさか、あれほどはっきりと牽制されるとは。
いつからどこまで見ていたのか。少なくとも二人で笑い合っていた姿は見られたに違いない。分かるのは閣下のお気持ちは推して知るべしということだ。ルキウスよりも小さいながら頼もしい上官の背を、この時ばかりは同情の目で見てしまった。
そんな副官の心情など知る由もなく、アギーはルキウスを肩越しに振り返る。
「中尉、このパーティーを主催しているマンスフィールド家が帝国三大将軍家の一つだということは知っているな?」
「はい。アッカーソン家、サールウェル家に並ぶ軍人貴族の家柄だと」
「そうだ。私も幾度かお目にかかっているが、マンスフィールド将軍はマダムCと同年代の方なのだ。それはつまりマダムが行った改革の立会人ということで、ついでに言うと改革案がまだ俎上にあった際にはよく意見を戦わせていたらしい」
―――あの猪が。
屋敷で彼の悪口を言う時には、必ずマダムの口から飛び出した言葉だとは誰にも言えない。けれどいらないとマダムが判断したのなら、とうにその地位から蹴落とされていただろうし、何だかんだマダムは彼の力量を認めていた。分かるかと視線で問えば、同じ結論に達したのだろう、ルキウスはしっかりと頷いた。彼の物分かりの良さは緊張していても変わらない。
「我が四聯の編成に尽力して下さった方でもあるからな。その辺りは把握しておいてくれ」
「はい」
「それから・・・・・・ああそうだ、将軍は筋金入りの遺物愛好家なのだった」
「遺物?昔の道具などですか?」
「道具は道具でも軍事品だな。帝国史の勉強にもなるだろうし、見せていただけるように頼んでみよう」
「ありがたいことです」
声量を落としてアギーは付け加えた。
「ここまで言うということはつまり、将軍は信頼できるということだ」
言い換えれば、この場には信頼できない者もいる、になる。
どちらからともなく頷きあって、二人は人だかりの中心人物の元へと向かった。
後方で軍隊の指揮を執るよりも、馬を駆っていの一番に敵陣に突撃するのが似合うマンスフィールド将軍は、第四聯隊の隊長と副官を見るとその傷だらけの顔をしわくちゃにした。笑っているのか唸っているのか分からない声を発しながら二人の肩やら背中やらを叩き、どうやら褒められているらしいと気付いた時には、ルキウスの卸したての上着には見事に皺ができていた。
始めがそんなだったから出鼻をくじかれた態はあったが、どうにか挨拶をこなして収集品見学の許可を取る。アギーが下がろうとしたところで、将軍は上げていた口角をそのままに、すっと目を細めた。端から見たら和やかに談笑しているように見えつつ、真面目な話をしたい時に将軍が取るいつもの動作だった。
「中佐、陛下から話は聞いているよ」
陛下。その言葉だけで何を指しているかは明白だ。三本指に入るマンスフィールド家の当主が帝国軍内のことに関して把握していないはずがない。それが軍事に直接関係のない貴族の婚約などということであったとしても。アギーは将軍と同じように笑みを浮かべつつ肯定した。
「ええ。寝耳に水でしたが、光栄なことです」
「光栄、ね。君からしたらそれ以外は言えないだろうなあ」
将軍はやれやれと肩をすくめた。猪がごそごそと動いているように見えて、緊張感が霧散する。
「坊主本人は別として、私たちの中では賛否両論といったところだよ」
「閣下はどちらなのです」
「私か?私は賛成でもあり反対でもある。あの坊主は気を急きすぎているからな」
アギーは将軍の言う「坊主」を皇帝陛下のことと受け取った。壮年期に入って久しい将軍にとっては、三十代の皇帝など若造に等しいに違いない。
ごつごつとした岩のような手が伸びてきて、アギーの頭にそっと触れた。
「ここだけの話、ボートンが遺した形見である君を、私は他人とは思っていないのだよ。だから当事者である君を置き去りにして坊主が無理矢理話を進めた点は、どうにも賛成しかねるのだ」
しかしまあ、と将軍は言葉を続けた。黒々とした目が今度は悪戯っぽく細められた。
「私もいい歳だからな。坊主のような若い者が頑張っていると、つい応援したくなるものでね」
「は・・・・・・?」
皇帝陛下はこの婚約にそれほど尽力されたのだろうかと、アギーは首を傾げた。
アッカーソンもボートンも同じ貴族であり、さらに二人は同じ軍人である。特別大きな障害はないように思われるが、実は計り知れない艱難があったのだろうか。いや、もしかしたら当人であるアッカーソン将軍が大反対をした可能性もある。考え込んでいるアギーを見て、将軍はまた唸るように笑った。
「いやはや何ともおもしろい。中佐、私が直接口を挟むことはしないが、困ったことがあったなら遠慮なく話しなさい。妻と一緒に相談に乗ろう」
「感謝いたします」
釈然としないながらアギーは頭を下げた。話は終わったのだろう、もう一度将軍は二人の肩を叩いた。
「中佐、中尉、パーティーを楽しんでくれ。もちろん私の遺物たちも含めてだよ」
今度は二人で揃って頭を下げ、ようやく将軍への挨拶は済んだのだった。
「ボートンが亡くなってからどうにも物足りなかったが、こんな楽しみができるとはなあ」
後ろから届いたそんな声は聞かなかったふりをした。
将軍への挨拶を皮切りに、様々な軍人や貴族と言葉を交わすことになり、しばらくは息のつけない時間が続いた。中にはかなりの高位貴族も含まれたのだが、彼らが口にするのは先の戦いと第四聯隊のことばかりで、どうやらアッカーソン閣下との婚約は衆人の知れるところではないようだと、アギーは当たりを付けた。その証拠に、遠回しに身内との婚姻を促してくる貴族もいた。マンスフィールド将軍の言っていた、状況を知る人物はどうやら軍関係者、しかも上層部のみに限られているようだった。
つらつらとそんなことに頭を回しつつ、話しかけてくる者たちに言葉を返していたアギーは、ふと人混みの向こうに見慣れた女性を見つけた。話を切り上げてそっとルキウスの袖を引く。
「中尉、私の身内を紹介しよう」
垂れた目尻が優しげな男性と、彼に寄り添う艶やかな女性へと歩み寄る。
「義兄さん、姉さん、ご無沙汰しております」
隣のルキウスがぎょっと目を剥いたのが分かった。けれどそんな大男に気付いた様子もなく、女性はかっとヒールで床を叩き、勢いよく振り返った。ドレスの裾が遅れてひらりと優雅に舞う。女性は眉間に皺を寄せてアギーの手を取った。
「何がご無沙汰しておりますよアギー。帰ってから姿を見せてもくれないんですもの!」
「後処理がまだ残っていたのです。それに、手紙はお送りしていたでしょう」
「無事な姿を見せてくれるまでは安心できないわよ!」
ほっそりとした手がアギーの手を包み込んだ。叱られていても絹の手袋越しに伝わる姉の温もりにほっとする。
「・・・・・・申し訳ありませんでした」
「分かったなら次はすぐに来なさいよね。まったくあなたときたら昔から」
終わらない小言が始まりそうだと思ったのか、隣の男性が宥めるように彼女の肩を抱いた。
「ユージェニー、よしなさい。せっかくの再会なのだから、お二人を困らせてはいけないだろう」
しぶしぶとアギーから離れた彼女は、そこで初めてルキウスの存在に気付いたようだった。体格がいいために威圧感のあるこの男に気付かないとは、さすが姉だと感心する。
「義兄さん、姉さん、紹介させて下さい。私の副官のルキウス=エフェソス中尉です」
「あら、あなたが。ご活躍は聞いているわ」
「義妹がいつも世話になっている。僕はライオネル=チェスター、こっちは妻のユージェニーだ。一応貴族の末席に連なっている」
それぞれが握手を交わす。ルキウスの大きな手とその力にライオネルはわお、と声を上げた。
「立派な手だなあ。僕の手が小さく見えてしまう」
「あなたは繊細すぎるのよ。今度中尉に鍛えてもらったらいかが?」
「うん、確かに腕を鍛えるのもいいかもしれない」
「馬鹿ね、腕だけじゃないわ。全部に決まっているでしょう」
いつもの夫婦の会話にこの二人は変わらないなと安心した。マダムCに夫はいなかったし、アギーにとって身近な夫婦とはこのチェスター夫婦なのだ。夫婦と聞いて真っ先に思い描く二人である。穏やかな心持ちで見ていたのだが、案の定火の粉が降りかかってきた。
「エフェソス中尉、アギーの下で動くのは色々と大変でしょう?姉としてお礼を言わせてちょうだい」
突如話題を振られたルキウスは眼に見えて恐縮している。
「いえ、そんな」
「大体、アギーは昔から一度考え込むと抜け出さなくなってしまうし、しっかりしているようでうっかりしているのよ。中尉、言いたいけど言いにくいことがあったら私におっしゃいね。私からアギーに言い含めておくから」
「と、特に思いつきませんが」
「あら、そう?遠慮はしなくていいのよ?」
「上官殿には自分が世話になるばかりですから」
ユージェニーは子どものように唇をとがらせた。童顔に妙に似合っていて愛嬌がある。
「つまらないわねぇ。それなら、色々な人が聞きたがるボートン家の話を特別に聞かせてあげましょうか」
「い、いえそんな」
勢いに押されがちなルキウスがアギーに助けを求めてきたので、アギーは軽く頷いた。
「姉さん、勘弁して下さい」
「何よ、話のネタはいっぱいあるのよ。例えばアギーが孤児院の子と屋敷の塀越しに釣り竿で文通していた話とかどう?」
「ええ?ちょっと姉さん、マダムの話ならともかく私の話はよして下さいよ!」
「あら、困るものでもないでしょう」
「困りますよ!」
困る、困らない、そんな内実のない会話が繰り返され、見たことのないアギーの様子に目を白黒させるルキウスと、いつものことさと肩をすくめるライオネルという状態がしばらく続く。一段落したところでライオネルが口を開いた。
「そういえばユージェニー、アギーが帰ってきたら行きたい所があると言っていなかったか」
「ああ、そうだったわね」
ユージェニーを見てアギーはおや、と思った。どこか緊張した空気。直感的に何かあると分かった。
「アギー、しばらくは休暇がもらえるのでしょう?近いうちに一度マダムの所に行かない?・・・・・・アッカーソン将軍のこともあるし」
「ええ、そうですね」
マンスフィールド将軍に続いてまたもやその話が飛び出したが、今度は驚かなかった。姉には将軍から話を聞いてすぐに手紙で伝えてあった。
「軍上層部以外ではまだ話が広まっていないようですね」
「私の見立てでは、その話を三将軍家以外で知っている貴族はほとんどいないわ。それに今のところ反対する家も無いように見えるわね。まあ、発表になったらそんなことも言っていられないでしょうけれど」
「ということはサールウェル将軍家も賛成しているのですか」
「・・・・・・そうねえ」
アッカーソン家、マンスフィールド家に続き、サールウェル家は歴史ある三大将軍家に含まれる。チェスター家はサールウェル家の遠縁に辺り、アギーはユージェニーを通してサールウェル家に関する情報を知ることが度々あった。
しかしサールウェル家も賛成しているのだとしたら、マンスフィールド将軍の言った賛否両論の否を唱えたのはどこの家なのだろう。
これ以上その話を続ける気はないらしく、ユージェニーは声を大きくした。
「それでどうなの?あなたもしばらくマダムに会いに行っていないのでしょう?無事に帰ってきたことを知らせないと」
「死に損なったかと笑われそうな気もしますが。でもそうですね、ご一緒させて下さい」
マダムは郊外の墓地に眠っている。姉妹で話をしたい時はそこを訪れることが多かった。ライオネルもそれを分かっていて話を振ったのだろう。
「積もる話もあるだろうからね。二人でゆっくり行っておいで」
「すみません義兄さん。姉さんをおかりします」
「ああ気にしないでくれ。代わりと行っては何だが、近い内に二人一緒に我が家の晩餐に招待したい。その時には第四聯隊の話を聞かせてくれると嬉しいな」
「ええ、ぜひ」
「出かける日についてはすぐに手紙を送るわね、アギー」
「はい。待っています」
もう一度ルキウスとライオネルが握手を交わす。言われてみれば確かにルキウスの手がライオネルの手より一回り大きかった。
裏表のない笑みを交わしあってチェスター夫婦とは別れた。再び挨拶やらちょっとした会話を挟みつつ、アギーとルキウスは大広間の外へと連れ立つ。向かう先はマンスフィールド将軍自慢の収集品部屋だ。
アギーはルキウスと歩調を合わせつつ情報をまとめていた。これから関わらなければいけなくなる帝国貴族たちのことを、少しでもルキウスに伝えるためだ。
「聞いていたと思うが、ユージェニー姉さんの嫁いだチェスター家はサールウェル家の縁戚なのだ。正しくはライオネル義兄さんの母の姉の夫がサールウェル将軍だ」
「母の姉の夫・・・・・・」
「まあ縁続きだということだけは覚えておいて欲しい」
「わ、分かりました」
「姉さんはもちろんだがチェスター家は信頼していい。もし君が貴族位を賜う時が来たら、後ろ盾になってくれる候補の一つだな」
返事をしたルキウスだったが、次には言葉に詰まったようで、正解が不安な子どものようにおずおずと口を開いた。軍事用語は自在に操れるようになっても、貴族社会の言葉にはまだ不安が残るのだろう。
「それで、ミ、ミス・・・・・・ミセス、チェスター?は上官殿と同じくマダムCに引き取られた方なのですか?」
「自信を持て、中尉。ミセスチェスターで正解だ。そうだな、マダムCが引き取った子どもは全部で四人。私が最後で、ユージェニー姉さんは私の前に引き取られた三番目の姉だ」
「上官殿が“姉さん”とおっしゃったのには驚きました」
「子どもの頃からそれが当たり前だったからな。血は繋がらないが共にマダムのしばきに耐えた、正真正銘の姉妹なのだ」
引き取られた時から姉妹仲は良かった。姉たちは全員嫁いでしまってボートン家に残っているのはアギーだけだが、それでも欠かさず生存確認と近況報告、情報交換を兼ねて文通をしている。幼い頃の記憶はマダムCが亡くなっても強く四人を結んでいた。
「ああ、しかしユージェニー姉さんはマダムのしばきに耐えきったとは言えないか」
他の二人の姉は短期間でも一度は軍の機関に所属しているが、ユージェニーは誰より早く嫁いでしまった。彼女の忘れられない逸話を思い出して、アギーは口元に当てた拳の下でそっと笑いをこぼして肩を震わせた。
ユージェニーは苛烈ではあるが、血なまぐさいことは受け付けない性格だった。知識があっても実践したくない。彼女自身が公言していたことだ。
「ある日突然、”もうこりごりよマダム!!さっさと私を嫁がせてちょうだい!!”そう叫びながら部屋に飛び込んできた」
「それはまた・・・・・・マダムCはどう反応されたのですか」
「盛大に顔をしかめてまずは舌打ちだ。苦虫を噛み潰したような、というのはああいう顔を言うのだろう」
「さぞ驚かれたのでしょうね」
「いや、その日が来るとは皆分かっていたのだ。そのいつかが一体いつなのか分からなかっただけで。ついに来たかと私たちが見守る中、マダムは姉さんにうるさいと一喝すると、”さっさとその紙束をこっちに寄越せ”、そう言った」
一度話を区切ると、ルキウスは目を瞬かせた。
「紙束ですか。一体何の」
「姉さんはマダムCの娘として嫁ぐに相応しい家を、色々な情報を集めて目録にしていた。その紙束だ」
感心のへぇなのか、信じられないのはぁなのか曖昧な返答が返ってきた。
「つまりマダムへの計画的な反抗だったということだ。その後しばらく二人で書斎にこもったと思ったら、出てきた時には姉さんの嫁ぎ先は候補の一つだったチェスター家に決まっていた」
ルキウスは感心しつつも自分には真似できないと思ったのだろう。すごいと言いながら首を横に振っている。
「何と言いますか、ミセスチェスターは軍部との関わりは薄くとも、確実にマダムCのご令嬢なのだと実感しました」
「そうだろう。いつだったか、サールウェル将軍に私たち四人姉妹はマダムCの遺物だと言われたことがある。最近では本当にそうかもしれないと思うようになってきた」
ルキウスは聞いた単語を数度呟いてから首を傾げた。
「先ほどマンスフィールド将軍が上官殿のことをマダムCの形見と仰いましたが、遺物とどう違うのですか?」
「そうだな・・・・・・過去の人間が遺したもの、という点では”遺物”も”形見”も等しい。だが、”形見”にはそれを遺した人間をしのぶ意味合いがあるが、”遺物”にはない。それに、”形見”と比べて”遺物”が人間を指して使うことはあまりないのではないかな」
「・・・・・・サールウェル将軍は上官殿とご姉妹を物に等しいとおっしゃったということですか」
「いや、”マダムCの遺物”というのは、どちらかというと”過去の遺物”に近い意味で使われたのではないか。古くさい、今では使えない、時代遅れ、そんな意味だ。まあ褒めていないことに変わりはないが」
サールウェル家がマダムCを、ひいてはボートン家を毛嫌いしているのは今に始まったことではない。アギーが肩をすくめた時、ちょうど私兵が入り口を守るマンスフィールド将軍の骨董品部屋にたどり着いた。
遺された収集品たちは過去をしのぶための形見か。それとも、今となっては使いようのない過去の遺物なのか。どちらも過去に縛られている点では同じだと、そんなとりとめもないことを思った。