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ワンショット・ワンキル






 私に、どう死ねとおっしゃるのですか。

 もう一度マダムCに会えたのならそう聞きたい。有無を言わさぬ口調で命じられたその言葉の意味が、アギーにはずっと分からないままだ。戦場で死ねばいいのか。敵の大将と相撃ちになればいいのか。はたまたフリントロックで鉛を頭に撃ち込めばいいのか。

 八年という月日が故人の姿を霞ませることなどなかった。マダムの最期の言葉は常に記憶の彼方からアギーに向かって枝葉を伸ばし、絡みついている。そして、まるで獲物をじわじわと絞め殺していく呪いのように、身を心を縛っていくのだ。

 「美しく死ね」。ただ「死ね」と命じられ、それを実行するよりもよほど難しい。

 ぐるぐると考えながら、アギーはある部屋の前に立った。そもそも今は司令官との決戦の前なのだから、他のことを考えている余裕はないはずだった。しかし、いつもならば敵の行動予測のために脳みそを振り絞るはずのところが、今回に限ってはどうにも思考が逃げに走る。それもこれも司令官とマダムCが似ているからだ。飛び出したため息は致し方ない。

 制服の襟を正し軍帽の向きを確認して、アギーは扉を叩いた。階級と名を告げれば、すぐに入室を許可する声が聞こえた。戦闘開始の合図だ。

「失礼いたします、閣下」

 部屋に足を踏み入れ、かかとを鳴らして直立。背筋を伸ばして敬礼。出だしは悪くない。そう思ったアギーだったが、司令官の姿を見て顔には出さずとも少なからず驚くことになった。

 東部戦線における帝国軍を統括するアッカーソン司令官の前である。もちろんアギーは制服を正式に着用していた。軍帽しかり、胸の徽章しかり。しかし対する司令官は、上着なしのシャツ一枚だったのだ。しかも両袖がまくり上げられて筋肉質な腕がむき出しになっている上、襟元のボタンが外されて鎖骨が覗いている。

 確かにアギーもルキウスの前では軽装になることがある。彼が他ならない右腕だからだ。しかしそれ以外では、部下の前で軽装になることはない。戦場で怪我を負ったとしても人目のない場所へ退いてから手当をする。正装を解くとはそれほどのことなのだ。

 故に、司令官の姿は違和感以外の何物でもなかった。初戦に痛い一撃を食らった気分だった。そんなアギーを知ってか知らずか、司令官は足を組んだままいつもの冷たい視線を寄越してきた。向こうは座りこちらは立っているのにも関わらず、間違いなく見下ろされている。しかし今回ばかりはそれに安堵した。人間、常と違う状況に遭遇した時に常と同じ物を見るとほっとする、その心境だ。

「座りたまえ」

「はっ」

 冷たい声音にまた少し安堵して、アギーは一礼してから机を挟んで司令官の前に座った。入れ替わるように立ち上がった司令官を目で追って、アギーはまたもや目を見張る。たくましい腕が伸び、骨張った手が掴んだのは曲線の美しい二つのグラスだった。普通ならば副官がやるべき動作のはずだ。ここまできてようやく気付く。副官がいないということは部屋には司令官とアギーの二人きりだ。呆然とするアギーの前に軽やかな音を立ててグラスが置かれる。

「君はいける口だと把握しているが」

 何が、などと聞くのは愚問だろう。しかし認めたくない。認めることで受け入れなければならない状況が恐ろしい。

 まさか、司令官と二人で酒杯を挙げる、など。

 何とか回避しようと頭を捻るも有効な言い訳は浮かばなかった。このあと副官と飲むのですとは言えるはずがない。ルキウスを誘った際に彼が綻ばせた顔を思い出した。司令官に誘われても、アギーはあんな顔はできそうになかった。

「違うのか」

「い、いえ。ある程度はそうであります、閣下」

 せめてもの反抗と「ある程度」と付け加えたものの、司令官は信じていないようだった。手ずからなみなみと満たしたグラスをアギーに寄越して、持てと視線で促してくる。ぴしりと背筋を伸ばしたまま、アギーは仕方なくグラスを手に取った。憎たらしいほど芳醇な香りが鼻腔をつく。

「まずは少佐、今度の戦いにおける君の働きに。四聯はよくやった」

「・・・・・・恐れ多いお言葉です、閣下」

 音を立てて合わさるグラスを別の世界の出来事のように眺める。

 どくりどくりと耳の後ろで脈打つ心臓と重なるように、得体の知れない恐怖が次から次へと打ち寄せていた。司令官が純粋に褒めるところなど見たことがない。口元まで運んだグラスを止めてちらりと司令官を見やれば、思い切り視線がぶつかった。マダムCと似た冷たい目がアギーをじっと見ていた。

 毒でも入っているのかもしれない。本気でそう思った。ここでアギーを亡き者にしようとしているのか。だとしたら、褒め言葉は死出の旅路を行く者へのはなむけか。

 そうだったとしても、断ることなどできはしない。

 ―――すまない少尉。私の命はここまでかもしれない。

 ままよ、とグラスを傾けて中身を喉に流し込んだ。途端に広がる、熱と香り。喉を通り胃の腑へ落ちてしまうのを引き留めたくなるほどのそれ。不純物が入っていては到底なしえない味だとすぐに分かった。恐怖は引き、代わりに余韻を求めて舌がさまよう。

 薄く頬を染めて思わず口元を押さえたアギーを、やはり司令官は見ていた。

「・・・・・・なんと、おいしい」

「当然だろう。私の酒だ」

「恐れ入ります」

 軽く下げた頭を再び上げた時には、既に司令官はアギーから視線を外していた。目に映ったのはためらいなく酒を喉に流し込む姿だ。

 もったいない。アギーは心の中で毒づいた。マダムCもそうだった。アギーやルキウスならば一晩かけて味わい尽くすだろう高級な酒を、水でも飲むように嚥下するのだ。生粋の帝国貴族様と庶民出の埋められない差なのかもしれなかった。

 アギーはため息の代わりに再びグラスを傾けた。酒は飲む相手に因る。気の置けない者と共に飲みたい酒だった。

 しかし、これほど上等な酒を振る舞う理由とは何だろう。自問してみれば、酒のおいしさに一度は飛んだ恐怖がまた舞い戻ってくる。毒殺のつもりでないならば一体何だ。ただの慰労でないことは最初からはっきりしている。

 司令官の様子をうかがいながら酒を嚥下すること数分。

「―――少佐」

「はっ」

 きた、とアギーは既に伸びていた背筋をさらに伸ばした。

「君に渡さなければならない物がある」

 グラスを持ったまま無造作に立ち上がった司令官の指が、机の引き出しから白い物を引っ張り出す。投げ捨てるように置かれたそれ。真っ赤な封蝋を施された封筒を見て、アギーはすぐにそれが投げるなどと乱雑な扱いをしてよい物ではないと分かった。

 勇壮な羽根を広げた鷹の姿は、帝国を、ひいては皇室を表わす見慣れた紋章だ。

「単刀直入に言おう。私と君との婚約が決まった。・・・・・・皇帝陛下のご命令だ」

「は」

 返事なのか疑問なのか区別できない声が漏れた。

 冗談ではない。しかし信じたくないと叫ぶ自分がいる反面、冷静に解析する自分もいた。

 くるくると巡る思考はいくつかの事柄を結び付けていく。

 どおりで帝都への帰還を急かされていたわけだ。恐らく今回の戦役で第四聯隊を花形にしたのもこの婚約が噛んでいたからだろう。アギーが第四聯隊を統括し軍功を上げたことで、図らずも自身が正しくマダムCの後継者であり、アッカーソン司令官の隣に立っても遜色ない軍人であることを国内外に示してしまったということだ。

 導き出した結論に血が燃えた。肌の色も骨格も物の考え方も違う部下たちが肩を組んで笑い合っていた光景が浮かぶ。

 ―――つまり、四聯(彼ら)は都合よく使われたということか。

 怒りがわき上がるが、仮にも上官にぶつけられるわけがない。心の中だけで暴言を連ねるアギーをよそに、司令官はグラスを片手にマダムCそのものの例の笑みを浮かべた。

「つまりこの婚約で、私は君の奥様(マム)ではなく旦那様(サー)になるという訳だ。・・・・・・もう誤るなよ」

 怒りが全て吹き飛んだ。しかし表情一つ変えず、うめき声一つ漏らさずに済んだのは、ひとえにマダムCの教育のたまものだった。思い返せば、対司令官戦でアギーを助けるのも窮地に陥らせるのも全てマダムCではないか。歯を食いしばって、アギーは言った。

はい、閣下(イエス、サー)

「ふむ」

 司令官は底意地の悪い目でわざとらしく顎に手をやり、横目でアギーを見やった。

「間違えたな。正しくは”あなた(ダーリン)”だったか」

「!!」

 正面から至近距離で弾を食らった。

 この戦いは司令官の勝利と言ってよさそうだった。






 日が沈んでアギーの元を再訪したルキウスは、話を聞いてこう叫んだ。

嘘でしょう(メンダークス)!!」

 思わずアギーは吹き出した。

嘘ではない(ノーンメンダークス)。なんだ、帝国語を忘れるほど驚いたのか?まあ私も君のことを言えないが」

 けらけらとアギーは笑った。少女のような、と第四聯隊の兵たちからよく揶揄される笑い方だ。そんなアギーをルキウスは何とも言えない表情でしばらく見つめていたが、ついに耐えきれないとばかりに再び叫ぶ。

「なぜ笑っていられるのですか、上官殿!」

 笑うのをやめつつもまだ余韻の残る表情で、アギーは副官を見やった。

「それは君、皇帝陛下のご命令だ。是も非もない、受け入れて笑うしかないだろう」

「っそんな無理矢理」

「無理矢理ではない。そういうものなのだ」

 肩を下げて我がことのように落ち込むルキウスを見て、さすがに笑いも綺麗に引っ込んだ。

 そういえば、と思い出した。エフェソス族はカテルディア地方でひっそりと暮らしていた部族である。他部族との交易や婚姻は行われていたようだが、部族長が一子相伝ではなく実力で選ばれるため、血筋を重視するという考えを持たない。一応帝国貴族の端くれであるアギーとは異なる思想。だからこそ「無理矢理」などという言葉が出るのだろう。

 アギーはルキウスのグラスにワインを追加した。柔らかな音だと思った。音でさえ司令官の部屋とは違って聞こえるのだから、くつろげる場がいかに貴重か分かるというものだ。あの部屋の張り詰めた空気を思い出して、アギーは顔をしかめた。

「まあ確かに司令官と婚約、いずれは結婚、というのはあまり現実味がないがな」

 結婚し、共に暮らしていても「あなた(ダーリン)」はおろか名前すら呼ばない姿が想像できる。今と同じく「おい少佐」、「はい閣下」と呼び合っているに違いない。

 アギーはマダムCから貴族の作法を最低限は仕込まれたが、やはり軍人として育てられたと言った方が正しい。結婚など考えてもいなかった。軍人として戦場に生き、いずれは自分がマダムに拾われたように後継者を探して育て、そしていつか戦場で果てるのだとばかり思っていた。それが「美しい死」に繋がっていると、無意識にでも思っていたのかもしれない。

 今回の婚約は、アギーがマダムCと同じ生き方を選ぶのを阻止することも目的の一つだろう。要するに皇帝陛下は、ボートン家を下級貴族のままでいさせたくないのだ。

「・・・・・・私のようになるのが嫌ならば、君も早々に相手を見つけた方がいいかもしれないな。いずれは君も爵位を賜るかもしれない。そうなってからでは遅いぞ」

 依然としてうなだれているルキウスを励まそうと、アギーは話題を変えた。

「ちなみに今はいないのか?」

「いません!!いませんとも!!」

 剣幕に驚いた。見れば、今しがた注いだはずの酒が既に空になっている。いい酒は大切に飲むルキウスにしては珍しい。顔を上げればルキウスは泣きそうになっていた。それを見て、ははあ、とアギーは納得した。

「さては振られたか」

「っええ、そうですよ!!」

「まあ、軍人はややこしいからな。しかし、だからと言って君を振るような女性は見る目がないな。安心しろ、少尉。君はいい男だ。またすぐに見つかるよ。女の私が言っているのだから間違いはない」

 激励を込めて注ぎ直したグラスを押しやる。ルキウスは律儀に礼を言うと、またもやぐいぐいと勢いよく喉に流し込んだ。そうしてふうと長く息を吐く。次に顔を上げた時には、悲壮な空気は消えていた。

「・・・・・・上官殿は」

「ん?」

「上官殿はこれから先どうされるおつもりですか。四聯はどうなるのです」

 ルキウスの目は真剣だった。すぐに聯隊の話が出てくるあたり、彼の思い入れが見えるようで嬉しかった。

「安心しろ、このまま変わらない。帝国軍は聯隊ごとの色が強いからなあ。司令官と婚約したとて、すぐに隊長をすげ替える訳にもいかないだろう。私以外に四聯の指揮を執れる将校も思いつかない。ああ、もちろん隊長だけではない、副官もだ。故にこれから先も長い付き合いになると思うがよろしく頼むぞ、エフェソス少尉」

「ええ、もちろんです」

 しばらくは、このまま一緒に。

 ルキウスが口の中で呟いた声はアギーには届かなかった。

 手持ちぶさたにグラスの中のワインを揺らしながら、アギーはぽつりと呟いた。

「陛下の勅書によると、年内に婚約発表、来夏には結婚だ。ちなみに、結婚してもしばらくの間は私がボートン家代理当主となるらしい。つまりあれだ、いずれ閣下との間に子どもを授かったならば、長子にはアッカーソンを次子にはボートンの家名を継がせろということだ」

「やはり、ボートンの姓は消さずにおきたいということですか」

「ああ。それだけマダムCの名は大きい。国にとっても軍にとっても、・・・・・・貴族にとっても」

 マダムCが拾い育てた子どもは四人いる。その中で後継者として家名を継がせたのは最後に引き取ったアギーだ。

「今のボートンは下位貴族だ。何せ二代続けて女が当主だからな。しかし高位貴族のアッカーソン家と縁続きになることで、いずれはボートンも階級が引き上げられるだろう。陛下はいずれ、ボートン家も帝国軍の柱として自身の足下に置くおつもりなのかもしれない」

 代々将軍を輩出してきた由緒正しいアッカーソン家と、帝国陸軍を大成させたマダムCのボートン家。軍の支柱としてはこれ以上ないほどの選択だ。

「しかし腑に落ちない点もある。こんなことができるのなら、例えば君と私が結婚してエフェソス家を興すこともできたということだ」

「上官殿と私が、ですか」

「例えばの話だからな。気を悪くしたのならすまない」

「いえ、とんでもない!」

 やたらと力強く否定したルキウスを疑問に思うこともなく、アギーは続きを口にした。

「むしろそちらの方が利益は大きいと思うのだ。下位とはいえ、エフェソスが帝国貴族に組み入れられることで地方部族の顔が立つ。反対に帝国からすれば、地方部族を帝国の貴族制に融合させる第一歩になる。どうせ結婚という手札を切るのなら、最上の利益をもたらす組み合わせを選ぶのが当然だろうに、なぜそうしなかったのだ。ボートンとアッカーソンを結ぶことで他にも何か利があるのか?もしかしたら、私には思いつかないような上層部の事情が・・・・・・」

 思考の渦にはまりそうになったところで、ルキウスがアギーのグラスに酒を注いだ。はっと我に返って、苦笑する。考えに没頭して周りが見えなくなりそうな時は、いつもルキウスにさりげなく引っ張り出されていた。アギーはありがとうと礼を言ってグラスに口を付ける。

「受け入れるしかないと言っておきながら、つい考え込んでしまった。この場に合う話ではなかったな。分かりもしないことに考えを巡らすのはもうよそう」

 ただ、それだけ青天の霹靂だったということだ。だからこそ具体的に思い描けない。司令官との夫婦関係というものを。

「そもそも両家を残すなどと、子どもを授かること前提の結婚ではないか・・・・・・」

 婚約。結婚。夫婦。子ども。司令官。

 単語を脳内で羅列して、その生々しさに青くなった。

「司令官との間の子ども、だなどと・・・・・・しかも複数」

 二人で想像して沈黙が落ちた。

「なんだか兵器が誕生しそうですね」

「言うな、少尉」

 強制的に想像を中断してまたグラスを傾けた。血管を巡る酒精に暑くなって、シャツの袖を二の腕まで押しやる。自分のむき出しになった腕を見て司令官のそれを思い出した。良くも悪くも軍人らしい腕だった。

はたと気付いた。結婚すれば、司令官の軽装を毎日のように見ることになるのだろうか。だとすれば、その姿に今日のような違和感を覚えなくなる日は来るのだろうか。自問してみても分からない。頭を抱えた。

「・・・・・・まさか、こんなことになるとはな」

「昼には上官殿と私が共に杯を交わす時がくるとは、という話をしておりましたが」

「そうだな、今度は司令官と私が結婚する時がくるとは、だな。まったく、死地へ送られるよりも困ったことになった!」

 大体、司令官とマダムCはそっくりなのだ、とぼやく。ルキウスの顔を見て、いやと手を振った。

「姿形ではないぞ。表情だとか性格の話だ。嗤った顔なんてそっくりだし、無能と判断したら幹部であろうと即座に排除にかかるところとか、特にな」

 ルキウスと初めて邂逅した時のことを思い出した。

「そういえば昼にも話していたな。六年前、君が中佐を狙撃した時の話だ」

「覚えています。帝国軍の幹部を潰そうと提案したのは私ですから」

「君たちは道から外れた丘の上の茂みに潜んでいたのだったな」

「そうです」

 頷いて、アギーは当時の記憶をたどった。季節は春、快晴で少し汗ばむくらいの陽気だった。

「私も後から知ったのだが、あの道を通ることはアッカーソン司令官、当時は師団長だったが、あの方の命令だったそうだ。私たちは他の聯隊と挟撃すると聞かされ、あの道を通らされた。馬の通りやすい、ある程度平坦な道。馬を与えられている上官連中は皆騎乗していた」

「ええ、非常に狙いが付けやすかったのを覚えています」

「つまり司令官殿のもくろみ通り、というわけだ。当時私は今の君と同じ少尉だったが、聯隊付将校だった。たかが聯隊付に馬は与えられない。私は司令官殿の死の名簿には載っていなかったということだ。今思えば配属から司令官殿の采配だったのだろう。最初から予定されていたのだな、彼らの死は」

 司令官の掌の上だったことに対してだろう、ルキウスは苦虫を噛み潰した顔をしている。

「ちなみに私は前日の偵察部隊に同行していて、あの道は通らない方がいいと中佐に進言した。道の周辺に障害物が多くて隠掩蔽良好、伏兵が潜んでいたらいけないと」

 しかし当時の聯隊長であった中佐は歯牙にもかけなかった。マダムCを嫌っていた彼は舐めきった顔でアギーを見下ろし、軍隊にいらない臆病者、くだらない進言はするな、時間の無駄だと吐き捨てた。顔に飛んできた唾の感触は思い出したくない。

「上官殿には受け入れられなかったが、注意はしていたのだ」

「あの時すぐに撃ち返されたのはそのせいでしたか」

「そうだな。私が伏兵を置くならばあそこに置く、と思ったところから弾丸が飛んできたから」

 目を合わせて笑みを交わす。

 放たれた弾丸の内、(人間)中央(急所)に当たったのは三発。ルキウスが撃った一発は中佐の側頭部を見事に撃ち抜いた。今も狙撃の腕では一目置かれているルキウスだが、六年前には既に物にしていた。

「あの遠さで一撃必殺。何度思い出しても見事だ、少尉」

「上官殿こそ。私が撃って五秒もしない内に顔の横を弾丸が掠めた驚きと言ったら」

 ルキウスは頬にまだ薄らと残る擦過傷を指でさすった。

「しかも、恐る恐る単眼鏡を覗いたらこちらを見て笑っておられたのですから。心臓が止まるかと思いました」

「確かに手応えがあったと思ったのだ」

 少しの悔しさは今もある。あの距離で当てられるだけの射撃能力はあると自負していたからこその悔しさだ。

「しかしまあ、撃ち損じていて良かったよ。結果的に君とこうして、過去の話を肴に酒が飲めるのだからね」

 改めてグラスを合わせ、ゆっくりと酒を味わう。いい味だった。司令官の部屋で飲んだものより味も香りも劣るけれど、ずっとおいしい酒だった。

「―――そういえば」

 しばらく居心地のいい沈黙を楽しんでいたが、その沈黙にそっと織り込むようにルキウスの声が響いた。

「マダムCも、その、一発で将軍を・・・・・・?」

 言いたいことは分かった。

「ああ、たった一発だ。マダムは最初からそのつもりだったのだろう」

 今でこそ連射できる拳銃を一挺携帯する騎兵が多い。しかしそんな高性能な銃が発明されていない数十年前は、弾込め済みのフリントロック銃を数挺持ち込んだ騎兵がいたくらいに、一発撃つ度に銃口から弾込めをしなければいけない手間は計り知れなかった。そもそも騎乗したまま弾込めなどできるはずがない。

 マダムCも戦場に赴く時はいつも六発連射が可能な拳銃を愛用していた。しかし八年前、彼女が戦場に持ち込んだ銃はあのフリントロック銃だけ。彼女は事前に弾を込めておいて戦場に持ち込んだ。

「君の狙撃とどちらの方が難しいのだろうな?揺れる馬の上、弾道の安定しないフリントロック銃、撃てるのは一発だけ。・・・・・・撃ちたい相手も、一人だけ」

 つくづく敵わない。

 一撃(ワンショット)必殺(ワンキル)。マダムCがフリントロックの銃身の奥に詰めた一発の鉛は、間違いなくたった一人のための物だった。









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