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フリントロック







 戦役は第四聯隊の活躍華々しく、つつがなく終結した。

 決死の覚悟、という言葉がある。「どうせ死ぬのなら」という、追い詰められた人間たちに蔓延する凶暴化の病だ。そうなると分かっていて完全に追い詰めるわけがない。意図的に包囲網は一部薄くされた。人間逃げ道に一度気付いてしまえばそれしか見えなくなる。結果、我先にと逃げ出した連合軍は一網打尽に。まさに烏合の衆を踏みつぶすだけの仕事だった。

 骸となった人間たちはほとんどが背を撃たれていた。髪を掴んで持ち上げてみれば、顔は恐怖に染まり、そのまま固まっている。

「美しくない死、だな」

 マダムCが生きていたらそう言うだろうか。いや、彼女だったら虫けらのように死体を蹴飛ばし、臆病者、虫けら、汚らしいと吐き捨てそうだ。生々しくその光景を脳裏に思い描きつつ、アギーは戦場に背を向けた。






 数日後には部下たちと共に帝国東部を管轄する東方司令部へと帰還することができた。さらに数日後には帝都への帰還が決定している。どことなく急かされている印象を受けたが、実際のところ聯隊長など戦場でしか用のない立場ではあった。

 与えられた部屋で手入れのために解体(バラ)した銃を組み立てていたアギーは、ノックの音に顔を上げた。扉の向こうの男が階と名を告げる。

「入れ」

「失礼いたします」

 姿を見せたのは、帝国の人間にはあまり見られない浅黒い肌をした、がたいのいい男だ。第四聯隊副官、ルキウス=エフェソスだった。六年前にカテルディアの乱で蜂起した部族の一つ、エフェソス族の元族長である。

 手を止めてアギーは机の前に立った男を見上げた。少しばかり年上のこの男は黙って立っていると実年齢以上の威厳がある。しかし目が合えば、いつも相対する時と同じくどことなく幼い神妙な顔でアギーを見つめ返してきた。

「送れ」

「異常なあし!」

 ルキウスはぴしりと直立し腹に力を込めて言った。文句なしの気を付けの姿勢だ。楽に休め、とアギーが頷くと心持ち身体の力を抜く。隊に何か問題が起こっていないかを確認する、陸軍での上官と部下の恒例の流れだった。「送れ」とはつまり「異常の有無を送れ」、という意味だ。基本は人員と武器の異常を確認している。それが異常なしということは、隊員にも武器にも特に目立った問題はないということだ。

「急に呼び立ててすまないな。皆の様子はどうだ」

「少しばかり浮き足だっておりましたが、今は兵舎で落ち着いております」

「そうか、ならいいんだ。いや、慌ててこちらに戻ってきたからな、あまり皆に声を懸けられず気になっていた」

「いえ、後処理があることは皆知っておりますから」

 いくら戦場でしか用がないとはいえ、少しばかりの書類作業はある。中央に戻る日が決まっているのだからそれまでにやらねばならず、なおさら忙殺されていた。ようやく一段落して、というより心が落ち着かず、気分転換も兼ねて銃の手入れをしていた所だったのだ。

 再び新聞紙の上に広げた部品に目を戻しつつ、アギーは部屋の隅を指さした。そこには木箱がいくつかの山に分けられて積まれている。

「少し遅くなったが、慰労として皆にやって欲しい。中隊ごとに分けてある。皆に行き渡る程度にはあるはずだ。ちなみに中身はカテルディアの酒だが?」

 顔を上げて唇の端をきゅっと上げてみせると、ルキウスも悪戯めいた笑みを返してきた。

「カテルディアの酒、ということは」

「ああ。帝国人を存分に潰してやれと君の同郷人に伝えろ」

「はっ、承りました」

 アギーが隊長を務める第四聯隊は、カテルディアの乱で帝国に降った地方部族を組み入れた隊である。もともと反抗心の少ない人間を引き抜いたのだったが、六年経った今では生粋の帝国人も部族出身の者も互いを同士と認め始めている。今回の戦役でさらに結束が増したのは言うまでもない。彼らはアギーの指揮下でよく動いた。共に酒を飲んで軽く羽目を外すくらいはさせてやりたい。用意した酒にはそんな慰労を込めていた。

 飲んだことのない強さの酒に帝国人が目を回す様子が目に見えて、二人して笑い合った。

「上官殿はお飲みにならないのですか?」

「ああ、それも言おうとしていたのだった」

 アギーは棚からボトルを取り出してラベルを見せた。

「独りで飲むのも悲しいと思っていたのだ。故に君を誘おうと思う。上級幹部にもなると支給される酒もすばらしいぞ。どうだ、今夜一杯」

 くいとグラスを傾けるジェスチャーをすると、ぱっとルキウスの顔が明るくなった。

「よろしいのですか?」

「よろしいから誘っている。その反応ならば異存はないと受け取るぞ」

「ええ、ぜひ」

「じゃあ決まりだ」

 嬉しそうなルキウスを見ていると、アギーより年上のはずなのだがどうにも弟のような感覚に陥ってしまう。隊内で繋がりが強くなったのは何も一兵卒ばかりではないのだ。アギーとルキウスもまた然りだった。似たようなことを思ったのか、ルキウスがぽつりと言った。

「初めてお目にかかった時は、まさか上官殿と当たり前のように酒を酌み交わすようになるとは思ってもいませんでした」

「私もそうだよ。まさか、あの時隊長を狙撃した君と、とはね。だが少尉、過去の思い出話は酒の席に取っておこうじゃないか。何より私の今日の戦いはまだ終わっていないのだ」

「書類はもう見当たりませんが」

 確かに、机の上に広がっているのは銃の部品だけである。アギーは露骨に顔をしかめた。

「この後、閣下に呼ばれている」

「なぜです?」

 ルキウスは吹き出しそうになっている。それを睨め付けてアギーは言った。

「見当もつかない。まさか例のあれを今更持ち出してくるとは思えないが」

 ルキウスは遠慮なく吹き出した。

 「例のあれ」とは数日前の「イエス、マム」である。アギーが司令官の発する極寒の冷気に曝されている中、この副官は笑いを必死で耐えていた。

「君、笑うけれどね?懲罰を覚悟していたのだよ、私は」

 司令官はあの場では何とか冷気を発するだけで抑えてくれたようだった。しかし実は根に持っていて何かしらの報復を考えている恐れはある。

 もっとも、今回の戦いで「期待を越える」働きはしたと自負している。部族民を帝国軍の一員として使えるようにする役目は全うしたと、上層部に証明できた。これは大きな保身になるだろう。マダムCの養い子としてアギーを値踏みしていたお偉方の鼻を明かしてやれたし、どうやら昇級も決まったようだ。司令官とはいえそう簡単にアギーを引きずり落とすことはしないはずだ。

 しかし、今の地位を奪う以外の報復とは何があるかと考えると怖い。何しろマダムCにそっくりなあの司令官なのだ。背中から撃たれる可能性は十分にある。

 戦場では顔色一つ変えないアギーが色をなくしているのを見て、ルキウスはしんみりと言った。

「骨は拾いますよ、上官殿」

「骨も残らなかったら?」

「灰を拾います」

「・・・・・・灰も残らなかったら」

「冥福を祈ります」

「ああ、死地へと送り出される気分だ!」

 そわそわとアギーは放り出したままになっていた銃の部品へと手を伸ばした。実は、書類作業は何とかこなしたもののどうにも気が立って始めた作業だった。集中が必要な手先を使う作業は気を落ち着かせるのに有効なのだ。

 黙々と指を動かし、手際よく組み立てていくアギーの指先をルキウスはじっと見つめている。

「ずいぶんと手慣れていらっしゃるのですね」

「ん?ああ、持っている銃くらいはな。特にこれは古い銃だからこまめな手入れをしなければならず、必要にせまられて、ね。―――ああ、そうだ」

 思い立って、アギーは正面のいすを指差してルキウスに座れと促した。

「少し待っていろ。君の座学の成果を見てやろうじゃないか」

 仕返しとばかりに笑うと、今度はルキウスの方が顔色を悪くした。

「一体何をされるおつもりで?」

「そんなに難しいことを聞こうというわけじゃない。・・・・・・よし、これで終わりだ」

 組み上がった銃を、正面に座ったルキウスにグリップを向けて置く。

「少尉。この銃について分かることを説明しろ」

「触れてもよろしいのですか?」

「・・・・・・ああ、構わない」

 そう言いつつ、アギーはルキウスの手が置かれた銃に伸びるのを注視していた。

 無骨な指が意外にも繊細な動きで銃を持ち上げる。銃身(バレル)の刻印をなぞる。興味深げに銃口をのぞき込んだと思ったら、機関部を上から横から眺める。銃工(ガンスミス)が他工の手によって造られた銃を品評する、そんな淡々とした、けれど熱を潜めた目つきと指先だった。

 アギーは知らず詰めていた息を吐き出した。この銃がアギーの手に渡ってから誰かに触らせるのは初めてだったが、なんてことはない。心は凪いでいた。相手がルキウスだからかと分析して、少しばかりこそばゆくなる。

「珍しいだろうからな、存分に触れ」

「ありがとうございます」

 興味津々に再び銃口をのぞき込みながら、彼は上の空で返事をした。

 しばらくして、答えが出たのだろう、ルキウスは満足げに息をついてから銃を元の通りに置いた。

「答えを聞こうか。主席君のお手並み拝見だ」

「基礎的なことしか言えませんが」

「構わない」

「当たり前のことですが、これは近距離の的を狙う拳銃(ピストル)です。また、銘が”ラッセル”とありますが帝国御用の工場ではありませんから、個人工房で造られた個人発注の物かと思われます。施されている華美な装飾もまたそれを表しているかと」

 うかがうようにアギーを見つめてきたので、頷いて見せた。

「続けろ」

「はい。弾込めの方法も点火方法も、現在の拳銃の主流とは異なります」

 一度言葉を切って、先ほどと同じく丁寧な手つきで持ち上げた。

「これは五十年ほど前まで主流だったフリントロック銃です。この銃は百年ほど使われていましたが、銃身内部に旋条(ライフリング)がないことを見ると初期の物、作られたのは百三十年くらい前ではないかと。弾込めの方法は、銃口から発射薬と弾丸を入れ、突き棒(ラムロッド)で奥まで押し込む先込め式(マズルローダー)です」

「うん、大体正解だ。銃の歴史についてはちゃんと理解している。勉めているようだな」

 心から褒めたのだが、ルキウスは不服そうだ。

「何が間違っていたんです」

「作られた時期だ。君は旋条がないから初期だと言ったが、先込め式では作られた時期が新しくとも旋条が彫られていない場合がある」

「ああ、そうでした」

「思い出したか」

 現在の銃は銃身の内部に幾筋もの溝が曲線状に彫られており、銃口から覗くと凹凸ができていることが分かる。この溝、いわゆる旋条があることで凸の部分が銃弾に食い込んで回転が加わり、弾道が安定し威力が増すのだ。

 しかしこれが主流になったのは、弾を入れる位置が銃口から銃身の後ろへと変化してからだ。弾の大きさは当然、凹凸の凹に合わせた物になるから、銃口から弾を入れる場合、押し込むのに非常に手間取る。敢えて旋条を彫らない理由の一つはそれだ。的に当てにくくなるのだが、その分弾を込める時間は短縮できる。要は、的に当たる確率を取るか、撃つまでの速さを取るかという問題なのだ。

「これは君の想像通り個人工房で作られた物でね、今のラッセル社主人は曾祖父が手がけた物だと言っていた。八十年ほど前だからこの型の中では比較的新しい。新しいと言ってもフリントロック自体が既に廃れていて、今では骨董品(アンティーク)の部類だがな」

 グリップから銃身後部の側面にかけて施された銀の装飾は、貴族の邸宅に飾られていてもおかしくない緻密さだ。そっと指でなぞっていると、思わず言葉がこぼれた。

「まるで美術品だ。実際に見ていなければ、これが本当に人間を殺したようには思えない」

「上官殿が撃ったのですか」

「いや、マダムCだ」

 答えてから反応がないことに顔を上げると、ルキウスは本人を前にしているかのようにまじまじと机の上のフリントロックを見つめ直していた。

「マダムのことは知っているようだな」

「当然です」

 今度は間髪入れずに答えが返ってきた。

「講義でも軍事書でも必ず触れられますから」

「まあそうだろうな。これから先の歴史にも残るだろう、間違いなく。あの人が行った軍制改革の結果が今の帝国陸軍だから」

「・・・・・・上官殿の養い親だと聞いております」

 少しのためらいをにじませた声音だったが特に痛いところでもなく、アギーは鷹揚に頷いた。

「その通りだ」

「幼い頃に孤児院から引き取られたと」

「ああ」

 話した覚えがないのに知っているということは、アギーの身上はそれだけ隊内の知れるところなのだろう。何となく、新しい情報を与えてやろうかと思った。

「見た目で引き取られたらしいぞ、私は」

 見上げた先、ぱかんと男の口が開いた。

「え?・・・・・・マダムCが、上官殿を見た目で?」

 驚いた顔が愉快だった。

「そうだ。私に隠れた才能を見出した、とかならまだ劇的だったのだがなあ。初対面でマダムCは私に、“小汚い上に阿呆面だが、見目はなかなか悪くない”そう言った」

 転がり回って遊び、おなかをすかせて戻ってきた時だった。見たこともない豪壮な馬車、沈みかけの太陽の光に輝く金髪。魂を奪われたのを覚えている。

 副官が反応に困っているのが手に取るように分かって、アギーはすぐに助け船を出した。

「マダムCに興味があるか?」

「はい。マダムC の偉業は学べども、彼女のお人柄は存じ上げませんから」

「うん、君が来た時には既に亡くなっていたからな。せっかくだ。まだ司令官との時間には余裕があるし、この銃にまつわる彼女の話をしてやろう。実はこの銃は、双子の片割れなのだ」

「もう一挺同じ型の物があると?」

「そうだ」

 脇にどかしてあった、胡桃の木で作られた箱を引き寄せる。銃本体に施された銀の装飾と同じ紋様が四隅に施された、目にも艶やかな箱だ。しかし、銃一挺を保管するには明らかに大きすぎる。

「もとはこの箱に二挺収められていたらしい。つまり、二挺が対となった決闘用の拳銃だったということだ」

決闘(デュエッルム)・・・・・・」

「ああ、そうだ。帝国での決闘も、本来はエフェソス族が名誉と命を懸けて戦うものと同じだ。フリントロックの拳銃は元々貴族が持つ物で、紳士たちの命を懸けた決闘に用いられていたらしい」

 貴族が持つからこそ、華美な装飾なのだ。

 アギーは銃を手にとった。ずっしりとした重みは白皙の貴族男子が持つにはいささか不釣り合いなようにも思われる。

「実際のところ、決闘で用いたところでそう簡単には死ななかったようだがな。撃つ度に弾を込め直さなければならないから、行われたのは文字通りの一発勝負。しかも弾道が安定しないから確実に相手を撃つには相当の腕前が求められる。そう簡単には殺せないし、死ねなかった。けれど決闘を行ったという事実は手に入る。昇った血を冷ますのにちょうど良かったらしいぞ、決闘は」

 命を懸けた戦いを知らない坊ちゃんたちのお遊戯、と心の中で言い換える。

「そのような話、講義では習っていません」

「軍隊には関係ないからな」

 グリップを握る。引き金に指をかけてみる。脳裏でマダムCが笑う。

 マダムはあの日、どんな気持ちでこの銃を抜いたのだろう。

「・・・・・・普通ならばそう簡単に殺せないはずの銃で、あの人はやってみせた」

「何をです」

「分からないか?マダムCは最期にやってみせたのだ、本物の決闘を」

 混迷極まる戦場で、開始の合図など聞こえなかった。あるいは無かったのかもしれない。

 アギーが突如馬に鞭を当てたマダムCを見たのは偶然だった。駆け出す馬。ホルスターに手を伸ばすマダム。抜かれたフリントロックの銃口は一度天に向けられた。滑らかに前方に伸ばされる腕と、聞こえた二発の銃声。マダムの背を追っていたアギーは、彼女の身体が揺らぎ、ふらりと傾いて馬から落ちるまでの一連を見せつけられることになった。

 遠い目をしていたのかもしれない。ルキウスはためらいがちに口を開いた。

「マダムCは、八年前の戦争で敵国の将軍と相撃ちになったと聞いています」

「その通りだ。つまりこれがその将軍、――ミズリー将軍だな――を撃った銃ということだ。マダムCは見事に将軍の眉間を撃ち抜き、そして対の銃を持った将軍に撃ち抜かれた」

 アギーの視線とルキウスの視線が華美な拳銃の上で重なる。

 ―――それは、「美しい死」だったのだろうか。

 マダムCがアギーの手に遺したフリントロックは、何も答えない。








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