謎の相手と謎のドロップ
坑道内に爆発音が響く。他のハンターもこの音を聞いたことだろう。それは大型トラックの通過するよりは小さい音だが、例えば田舎道を夜中に歩いていて、いきなり耳元でカエルが鳴いたら驚くのと同じことで、低階層とは言えそれなりの経験を積んだ者しか立ち入らないフロアで、その音は異常であった。
これだけの音を立てたのだから、もう話しても同じだと思い、佐山は周囲を警戒しつつ向井に声をかけようとした、が、土煙の奥から何かが途轍もない速度で射出されたのを認識するや、唇の形を「む」のままにハルバートを構えた。おそらくはボーリングの玉サイズの物体である。ハルバートを短く持ち刃先をちょうど岩肌に向けていたため、咄嗟に飛び出してきたそれを鈍い刃先で受け止めた。力の入れ具合を怠れば右か左にそれてしまう、それは何故だか恐ろしい。位階を5まで上げた佐山の動体視力はパチスロが止まって見えるほどである、以前の佐山には動体視力も運動神経もなかった、それが今ではこれである。実際に一般人であれば目にも止まらぬ速度で、突然飛び出してきたボーリングサイズの超高速で回転する何かを、暑さ5mmにも満たない刃先で受け止め、御している。ハルバートの刃先から火花が飛び散り続ける。バチバチと回転するそれの勢いが緩やかなものになってくる。「いまだ!」と佐山は思い、渾身の力を込めてそれを地面にハルバートごと振り落とした。恐らく街中にある郵便ポストでさえ、切断することができるであろうその動きは、アメフトの防具に隠された背中側の盛り上がった筋肉からも想像することができる。振り下ろす一瞬前に息を短く吸い込み、止める。奥歯を食いしばり、右足を一歩踏み出す。得体のしれないその何かを破壊しようとしたのは、ダンジョン内で遭遇したものはとにかく破壊すべしという経験則からきたものだ。一瞬の躊躇いが命取りになる。ハルバートの斧部分には断末魔をあげる目隠しをされた女達が彫刻されており、まるでその女達が声を上げているのではないかと思われるほどの、黒板を爪で掻いたような音がハルバートと床に挟まれたそれから絞り出された。
向井はその様子を見つつ、周囲を警戒している。片方が何かに集中している時、もう片方は絶対に周囲を警戒しなくてはならない。目だけでなく耳でも辺りを警戒していた向井には、その何かからあげられた悲鳴はとんでもなく不快なものだった。思わず佐山の方を見る向井。
「・・・!!」
向井は周囲への警戒も忘れて絶句した。
「ぐううう!!」
顔面を何本もの棘で貫かれた佐山が、それでもなお殺意を放ちながらそれを床に押し込んでいるのだ。周囲の警戒どころではない、一刻も早くトドメを刺さなくて・・・!向井がそう考えた瞬間、向井は床を蹴り、岩肌を蹴り、あっという間に2mはあるフロアの天井に駆け登り、しかし落下してくる気配はなかった。向井がその足の裏からオークの接近を感じ取ったのである。まるで獲物を狙う蜘蛛のように、向井は天井と岩肌の角に張り付いた。何匹来るか、一匹二匹の話ではない。四匹は確実にきている。魔力はもちろん温存している、とは言え四匹はギリギリだ。やるか?今使うしかない・・・その奥の手は向井と佐山、それぞれが取り出しやすいようにポケットに入れていた。姿が見えてからでは絶対に遅い。この通路のどちらから来るのか、両方から来るのか、それはわからない。何となく岩肌を背にした場合の右奥から来そうな気はしている。
このダンジョンに生息するオークは初期ドラクエに出てくるような二足歩行のでかい猪と言った風貌で、その習性も猪に近いのかもしれない。向井はポケットから取り出した拳におさまる黒い塊を二つ、通路の両側に思い切り投げた。怪しげな香りを撒き散らすそれは、黒トリュフである。黒トリュフの滋養強壮効果は地元ではよく知られており、トリュフハンターは常にそのポケットに新鮮なトリュフを入れて齧っているという。今朝空輸されたばかりのそれが、新生した歌舞伎町では当たり前に売られており、向井と佐山も厳重に封をして持ち歩いている。それはオークを誘導する効果があるからだし、その日使用せずとも家に帰ってオリーブオイルにつけるなり、そのまま食って精をつけるなり、買って損をしないのだから当然だ。しかしこの奥の手を使用すると、どうしても投げた手に匂いが付着してしまい、その後の移動のリスクが高まるが、今はそんなことを言っている場合ではない。明確な危機が迫っているのだ。時間にすれば1分にも満たないが、こうして向井は黒トリュフに釣られずにこっちに来るオークがいないかを見張った。下では佐山が渾身の力を込め、顔から血を流しつつ岩肌から飛び出してきたそれを押し付けている。中層でドロップされたという、ダンジョンフリマアプリで購入したハルバート。性能だけで見れば、大差ないものが作れるのだろうが、その装飾の細かさ、迫力を気に入って佐山は購入した。これ一本で実はとんでもないです金額、ストラディ何ちゃらというバイオリンには敵わないが、ただの鉄塊としては異常な金額で、売れるなよ、売れるなよという気持ちでダンジョンに連日挑み手に入れた彼にとっては最高の相棒だ。中層でドロップされたというだけで、命を預けてもだいじょうぶなんじゃないか!とは浅はかな考えではあるし、今日までこれほどの出血を避けて来れたのは、間違いなくこのハルバートのお陰だ。通常の武器ではオークが不快に思うほどのダメージすら与えられていなかっただろう。そのハルバートが、今日初めてダンジョン内で主人の血を大量に吸い込んでいるのだ。額からの出血というのは思った以上に多量だ。佐山はもう目を開けていない、額は棘で抉られ白い骨が見えている。頰も何本か棘が貫通していて、口の中は鉄の味でいっぱいだ。こんなところで鉄分を感じるなんてごめんこうむりたい、と余裕があれば思ったことだろう。その顔面から滴った血液がハルバートにボトボトと落ちている。佐山も向井もダンジョンドロップの武器には特殊な恩恵が宿っているものがあると知っていた。佐山も、このハルバートには秘められた力があり、向井のように魔力操作をできるようになったら使えるのではないか?と、向井に渡して魔力を注いでもらったこともある。結果としては何となく重さが変化する程度のもので、魔力が質量に変換されているというのも凄い話なのだがその程度のものは珍しくないし記憶の片隅に追いやられていた。斧に彫刻された目隠しをされた女達の口に血が流れていく。まるで女達の方から主人の血を求めているようにも見える、佐山は気づいていない、向井にも気付けるわけがない、その流れた血が女達の口元に達するとまるで飲み込まれたかのように消えていくことを。
佐山にはもう何が起こっているか分かっていない。視界は遮られ、ハルバートから感じられるそれの手応えはそれが健在であることを教えている。いつまで抑え込んでいれば良いんだ、また攻撃を受けるんじゃないか、怖い、死にたくない。アドレナリンを大量に放出しながら、痛みを感じる余裕さえない佐山の耳に、ハルバートのある位置から突然、ありえないような音が聞こえてきた。それは女達の甘い溜息、うっとりするような、色を帯びているとすれば紫陽花のような紫ではない、もっとしっとりとした、熟れた那須のような艶のある紫色の溜息だ。途端、床とハルバートに挟まれているそれが弛緩した。刃先がズブと入っていく。
「・・・っ!!」
ズブリ、ズブリと確実に少しずつ入っていく。分かる、この溜息がそれから防御力とでも言うべきもの、物理耐性とでも言うべきものを奪っているのだ。
「ギャギャギャギャガヤガ!」
絶叫のあと、ハルバートが床に触れた。手応えが違う。
「やったぞ・・・!」
佐山の体を経験値とでも言うべき謎のエネルギーが駆け巡る。最後に位階が上がったのは1年前で、そこから頭打ちになっていた。このフロアではそれ以上上げられない、フロアの数が位階の上限であるとネット上では実しやかに語られているのである。予想していなかった突然の恍惚、油断はできない。射精するのではないかと思えるほど大量のドーパミンを脳が放出している、先ほどの傷は見る間に修復され、佐山は手早く肉体の修復の為に棘を引き抜いた。疲労が消えていく、肉体が作り変えられていく。そして一体何を殺したのかもわからないそれが存在した後には、初めてステータスカードを手に入れた時と同じように、自ら発光する透明なステータスカード状のドロップアイテムが浮遊していた。
続く