ハルバートタンクとスティレット使い
新宿四井住友ビルで働く男のスマホに一通のショートメッセージが届いた。
「向井くん、メール見た?」
Tシャツにチノパン、スニーカーという一昔前では考えられないラフな服装で外資系巨大企業の正社員として働く彼の元に。
「見ましたよ、今日はモンパレらしいですね」
向井くんと呼ばれている彼は昼に頼んだQBEReatsで頼んだタピオカを飲んでいる。毎日のように頼んでいる彼をQBER配達員はタピオカとアダ名しているかもしれないことは置いておいて、そこにはダンジョンが完全に日常の一部になった世界があった。新生した歌舞伎町の主要産業は風俗である事に違いはないが、その景色は多少変化していた。チケットを売り買いしていた店の多くが看板に「ドロップアイテム高価買取」の文字を掲げ、黒人達はその肉体の厚みを倍ほどにしていたり、様々な服装の人間が行き交い、ダンジョンがあった頃の二倍と思えるほど賑わいである。
西武新宿駅に降り立った一人の冴えない中年男性。一見ギターケースのようなものを肩に掛け、更に左手でキャリーカートを引いている。服装は上下スウェットという出で立ちで、この梅雨の時期にも関わらず長袖長ズボンであるから汗をびっしょりとかいている。彼の名は佐山。向井にメールを送ったダンジョン潜りしかしていない半フリーターである。
「向井くんお待たせー」
「お、今日は遅刻してないじゃん」
向井もまた大きめのキャリーカートを引いている。二人のキャリーカートには「武器携行許可済み」のステッカーがでかでかと目立つ。彼らが向かうのは歌舞伎町から少し外れた、かつて巨大ゲーム会社が入っていた新宿区新宿六丁目にそびえ立つ、四菱地所が設計した巨大ビルの跡地である。今は暗黒物質とでもいうべき謎の靄に包まれており、その靄を大勢の人々が出入りしている。2.6ヘクタールにも及ぶその外周は全て高い柵で囲まれており、各所に設けられたゲートで出入りを管理されている。ダンジョンは免許制であり、最寄りの警察署で講習を受け、暴行や障害などの前科のないものしか出入りできない事になっている。
佐山と向井の二人は適当なゲートの前で入場手続きを行なっていた。平日のアフターファイブともなると、仕事帰りのサラリーマンやキャバ嬢と同伴でモンスターを狩るホスト、学校帰りの高校生などもおり、ストレス解消目的やナンパスポット、佐山のように生計を立てる為、向井のように割の良い副業として行うものも多い。ゲートは通常ゴールドラインとノーマルラインで区別されており、3年の間にダンジョンの内外で問題を起こさなかった者はゴールド免許を与えられ出入りの検査も緩くなっている。一般人にダンジョンの出入りを自由にさせるのには様々な理由があるが、既に力を持った大衆を制圧できるほどの武力を国家が維持できなくなってきているというのも理由の一つである。それが彼らがダンジョンでの狩猟許可証と共に提示しているステータスカードによるものであるのは一般的な常識となっている。
「佐山通さん、向井治さん、二人での入場ですね」
「はい、そうです」
「中で合流の予定はありますか?」
「いえ、ありません」
「今日の体調に問題は感じませんか?」
「はい、感じません」
「それでは本籍地と現住所をお願いします」
「***********です」
「はい、問題ありませんね。今日は二人での入場ですね?」
「はい、そうです」
と、薬物を使用していないか、受け答えに問題がないかを確認される程度なのがゴールドラインである。ノーマルラインでは更にその場で犯罪歴が追加されていないかの確認が行われ、尿を採取しての薬物検査が行われる。これはダンジョンで得られた収入が反社会勢力に流れるのを阻止するための取り組みである。
ゲートを通過した二人は黒い靄の前でキャリーカートを横にし防具と武器を装備し始めた。視線をずらせばそこかしこに同じような行動を取っている者たちがいる。
「アイテムボックスがあればいいんですけどね〜」
「とはいえ向井くんさ、アイテムボックスなんて所持したら自由がなくなっちゃうよ?」
現在、正規の手段でゲートを通過する際に、自分が持っているスキルを秘匿する手段は存在しない。ステータスカードには全てのスキルが記録されており、そのスキルの表示非表示を選択する方法は確認されていないのだ。
「俺たちみたいに低階層をうろうろしてお小遣い稼ぎしているうちは無理だって」
「でも佐山さん、最初にアイテムボックスを手に入れたハンターは低階層で手に入れたらしいじゃないですか。僕たちにもチャンスはあるんじゃないですか?」
「チャンスかー。3年ここに潜ってるけど、位階が5上がっただけだしなー」
「まあ位階が5って昔で言ったら東大卒業者レベルですからね。だいたいどこでも雇ってくれますよ」
「そうそう。だから現状で満足だよ。いきなり現れたダンジョンが、いきなり消えて食っていけなくなるかもしれないけどさ」
「それはありますね。稼げるうちに稼いでおきましょう」
アメフトの装備に身を包み、佐山はダンジョンフリマアプリで手に入れた中階層ドロップされたという禍々しい装飾の施された長さ160cm、重量4kgのハルバートを。向井は歌舞伎町の質屋で売られていた由来不明のスティレットを装備した。通常主武器としては使われない刺突向き武器であるスティレットのみでの戦闘スタイルは、自身が所属する外資系企業が運営しているアプリでも#慈悲の一撃で根強い人気を誇っている。
二人の戦闘スタイルは単純だ。佐山がリーチのあるハルバートで敵の注意を引きつけ、ダンジョンの壁を蹴る立体機動で向井が致命傷を与える。目的の階層をイメージしながら黒い靄を抜けると、二人の狩場である坑道のような世界が出現した。ここに出現するモンスターはオークである。分厚く垂れ下がった皮膚は殴打、銃弾のダメージを緩和させ、びっしりと生えた硬い体毛がソード系武器の威力も殺してしまう。これに対抗できるのは魔法を習得した者であり、魔法を習得した者は低階層をうろついたりはしない。事実、アメリカのダンジョンで魔法のスキルを得た少年は大統領のSPとなるべくエリート教育を受けているそうだ。スキルを得るメカニズムも条件も謎に包まれており、その法則を見つけた者はこの世の支配者になれるのではないだろうかと言われている。
坑道の壁を背にしつつ、カニ歩きになって二人は奥へ奥へと進んでいる。これは二人で狩猟をする関係上、背後からの攻撃に弱いからだ。3年の経験が二人に取らせた最適な移動法である。ダンジョンにいる間、二人はほとんど会話をしない。おならもしない。一度おならをしたことがあるが、オークの敏感な嗅覚がそれを鍵つけ、数体のオークが殺到したのだ。その時は奥の手を使いなんとか乗り切ったが、1対1ならともかく、複数のオークを相手にするには未だに経験が足りない。低階層とは言え、オークが出現するフロアを二人で攻略するなど一般的なことではない。オークの強さと言えば、位階が0の武装警官10人で相手どって勝てるかどうかといったところだ。それだけの知能と肉体の暴力を持っている。それと互角に戦えるというのだから、位階5というのは武装警官10人分に匹敵する暴力なのだ。
オークの荒い息を聞きつけた二人は息を殺した。目を合わせずとも空気でわかる、お互いが何をすべきか、わかりきっているのだ。佐山が音を立てず、そろりそろりとオークに近付き始めた。ポケットに入れておいた小石をオークの死角を横切るように自分たちとは反対側の壁に当たるように投げる。ダンジョン内はうっすらと発光しており、低音ビートが響いていたらまるでクラブを思わせるような間接照明具合だ。オークが小石の当たった壁に気を取られた瞬間、音も立てずに佐山がハルバートをオークのアキレス腱を狙うように突き出す。もちろんそんなことでオークのアキレス腱が断てるわけがない。何が起こったかわからないといった混乱状態のオークに対して容赦無くハルバートを突き出す佐山、向井が立体機動を取りやすいように、また移動する向井に視線が行かぬように執拗に相手のアキレス腱を攻めるのは、注意を足元に向けるためである。こうすると面白いことにオークはその背を丸め、両の手でハルバートを掴もうとレスリングのタックルを行うような構えを取り始める。それが狙いである。ちょうどオークの真上の天井を蹴った向井は、2mほどの自由落下の速度と自身の体重、そして狙いすましたそのスティレットの切っ先を、毛だらけの背中に突き入れる。その切っ先をは迷うことなくオークの心臓に突き刺さり、向井が魔力を込めるとスティレットの先端で小規模ながら爆発が起こった。これが3年の間に向井が手に入れたスキル、魔力操作と、ダンジョン産の武器の性能である。アメフト装備に身を包んだ二人はサラサラとした汗をかきながら小休止をとった。一戦ごとに獲物を倒した高揚感は、3年たっても変わることはないし、スポーツドリンクを小まめに取らないとダンジョン内を歩き回ることは難しいのだ。佐山が夏でも長袖を着て汗を流すのは、極力汗の臭いを抑えるためである。常にかき続ければ臭いがなくなるとネットで読んだのだ。2kgの鉄塊を振り回す関係で、どうしても汗をかく。その解決策が大量の汗をかき続けることだったのだ。
このあと小休止を挟みながら、2時間かけて3体のオークを倒した。ダンジョン内のモンスターは倒されると黒い靄となって、経験値とドロップアイテムに変化する。オークからドロップするのは強力な制欲剤となるオークの睾丸である。金的を狙うと不思議とオーク肉というアイテムがドロップしてしまい、これは運ぶのも大変だ。オークの睾丸は500gはあるが、それをジップロックに入れて小さなバックパックに入れて佐山が持ち歩く。3体分、1.5kgの睾丸であるが、ドロップアイテム買取の商店に行けばg1500円〜1800円で売れる。クリスマス前ともなると、彼氏彼女をその気にさせたい層の需要が増えるらしく倍になるが、その時まで取っておく訳にも行かない。日銭が必要なのだ。睾丸は常温でも一ヶ月は保存できるが、今は7月である。ジューンブライドもとっくに過ぎている。とは言えダンジョンフリマアプリで売り出せば、g2000円は固いのだ。もちろん1.5kgも一気に買える人間はそうそういないが、フリマアプリならg単位で売れる。10gもあれば三日三晩は不眠で戦えるのだ。すでに225万、二人で等分しても一人100万を超えるように思われるが、残念なことに殆どが税金で持っていかれる。この納税を怠るとゴールド免許はノーマル免許になるし、社会的な恩恵も得られなくなってしまう。それでも毎日20万は遊び金として使えるのだ。月に600万も遊び金として使えるのだ。最高だ。しかし、こんなことで皮算用をし油断をする二人ではない。ダンジョンのゲートには前日の死傷者数が掲載されているが、死者の出ない日などこれまで1日たりともなかった。3年生き残ってきたからといって、今日死なないとは限らない。死なないまでも、大怪我をするかもしれない。油断こそが最大の敵なのである。二人は坑道の壁を背にして、カニのように横歩きをする。その時、佐山は壁の奥からかすかな振動を感じ取った。すぐに向井に視線を飛ばし、手で制止した後に足を止める。突然止まると当然だがぶつかってしまうからだ。
壁の中に何かいる。間違いない。坑道のようなこのフロアの壁は、むき出しの岩肌だ。その奥に何がいるというのだ?放っておいても良いが、死と隣り合わせの状況が、好奇心のタガを外す。むかいも振動に気づいたようだ。二人はそっと壁から距離をとる。薄明るい坑道の中で、佐山がスマホを取り出しメモアプリでを起動する。
「あの壁を爆破できる?」
スマホのメモを見た向井は首肯した。振動のありそうな方向に向けてスティレットを構える。岩肌の硬さなど分からない。しかし、やってみる価値はある。佐山はハルバートを構えあたりを警戒する。向井が壁に気を向けている間にオークに襲われてはたまったものではない。何より今から爆破するのは岩肌。オークの体内であればその爆破音は微々たるものだが、おそらく音につられてオークが集まってくるだろう。そのリスクを犯すだけの何かが、壁の内側にあれば良いのだが・・・
向井は岩肌にスティレットを突き刺した。魔力を僅かに通されたスティレットを、ダンジョンの岩肌は驚くほど簡単に飲み込んだ。スティレット越しに振動を感じた向井に緊張が走る、躊躇いはない。オークの心臓を爆破するよりは多めに魔力を通し岩肌を爆破させた、坑道に音が響く、土煙が上がる、その先に一体何が・・・
続く。