[宮城寿]その5
「彼女がカナミーちゃんよ・・・仲良くしてね」
「カナミー・グリーンです・・・昨日はどうもありがとう」
「・・・・・・」
翌朝、ホテルのロビーを訪れた僕は、そこで昨日の女の子と再会していた。
これは一体どういうことだろう? 僕がそんなことを考えていると、クリスさんが車の鍵を指で回しながら言った。
「さ・・・それじゃ早速、出かけましょうか」
「わたし、リゾートの外に出るの初めてなんです・・・楽しみだな」
「・・・・・・」
昨夜、僕は電話でクリスさんと今日の打ち合わせをしていたが、その時にはこの女の子の話題は一切出てこなかった。
僕が状況を飲み込めずにその場に立っていると、ロビーを出ていこうとしていたクリスさんが言った。
「コトブキ君? ぼーっとしてるとホテルに置いていくわよ」
「今日は駐車場まで歩くらしいわよ?」
「・・・・・・」
僕はなんともいえない疎外感を味わいながらも、それでも二人の後を追ってホテルの外に出たのだった。
そして僕らが駐車場に向かって歩いていると、
「さ・・・ここでコトブキ君の出番よ」
と、クリスさんが僕を振り返って言った。
「これがカナミーちゃんの買い物デビューなのよ・・・あとは任せたわ」
「・・・え?」
僕はクリスさんの言葉にとまどったものの、すぐにその場の状況を理解した。
「あ・・・なるほど」
見ると駐車場の入口のところに小さな露店が開かれていて、そこで猫人のおじいさんが団扇を仰ぎながら店番をしていた。
カナミーさんが申し訳なさそうに言った。
「ホテルの部屋からここが見えて、それでずっと気になっていたんだけど・・・一人で買い物に来る勇気がなくて・・・」
まだカナミーさんは異世界に慣れていないらしく、言葉の通じない猫人と交流するのは不安なようだった。
「ん・・・まかせて」
僕はそう言って二人の前に出ると、露店商のおじいさんに猫人語で話しかけた。
「後ろの女の子が買い物したいって言ってるんだけど・・・おじいさんは英語を話せるよね?」
「ワタシ、英語、できます」
「お?」
「あら?」
おじいさんの英語はカタコトだったものの、それでもクリスさんとカナミーさんは顔を見合わせて驚いていた。
続いて僕はおじいさんに英語で話しかけた。
「この店って電子マネーで支払いはできる?」
「電子マネー、大丈夫」
おじいさんはそう言いながら、座っている椅子の下にある電子マネーリーダーを指差した。
僕はカナミーさんに頷いてみせた。
「ということだから・・心配しなくても大丈夫」
ここは人類が開発したリゾートなので、利用客も人間が多かったし、商売人が人間の言葉を話せるのも自然なことだった。
カナミーさんが感心したように言った。
「本当に海外のリゾートと変わらないのね・・・なんか心配して損したかも」
「くそ~・・・あたしまで騙されたぜ」
なぜかクリスさんが悔しそうに言った。
「ここを通る時、おじいさんと目が合わないようにずっと気をつけていたのに・・・ったく・・・余計な神経を使わせてくれるわ~」
「・・・お嬢さん? ワタシ、危険、違うよ? ボッタクリ、しないよ?」
「はいはい・・・きっとそうなんでしょうね」
クリスさんは投げやりにそう言いながらも『おっちゃん、そこのミネラルウォーターを三本ちょうだい』と、おじいさんに注文した。
★
「ホテルのレストランでカナミーちゃんが一人だったのよね・・・それで声をかけてみたの」
運転席のクリスさんが昨夜のことを説明していた。
「あたしも一人で食事するのは退屈だったしね・・・それにカナミーちゃんとコトブキ君が面識あるのも知ってたし、いいネタになるかなーって思ったのよ」
「・・・へえ」
僕は助手席で二人の馴れ初めを聞きながら、クリスさんが良からぬ企みをしないか不安になっていた。クリスさんには昨日も『なんのために男をやっているんだ』なんて言われていたし、その原因となったカナミーさんが後部座席に座っているのだから、完全に針の筵の状態だったのだ。
しかし今のところクリスさんが僕を弄る様子はなく、普通に昨夜の出来事を説明していた。
「それでカナミーちゃんと相席することになったんだけど、そこで色々な話をしているうちに意気投合しちゃったわけよ」
どうやらその流れでカナミーさんが取材に同行することになったらしいが、それを事前に僕に報告しないのが実にクリスさんらしかった。とはいえそれで僕の仕事内容が変わるわけではないので、 必要ない報告といえば確かにその通りなのかもしれない。
「・・・あれ?」
と、クリスさんが思い出したように言った。
「コトブキ君と電話したのって夕飯前だったかしら? ・・・もしかしてカナミーちゃんのこと、コトブキ君に伝えてなかった?」
「あ、大丈夫です・・・問題ありません」
僕は昨日一日でクリスさんに対する免疫ができていたし、精神的にもだいぶ鍛えられた気がする。
クリスさんが納得したように言った。
「ま、そうよね・・・コトブキ君って細かいことを気にしない人だもんね」
「・・・・・・」
誰が誰に言っとるんじゃいっ、という心のツッコミが表情に出なかったのも、僕の精神力が鍛えられた証拠だろう。
クリスさんがカナミーさんのことに話を戻した。
「で、話してるうちに二人とも同じ東海岸の出身だってわかったし、異世界初心者だっていうのも一緒だったし・・・なんか親近感を覚えちゃったのよねえ」
おそらく人間界から遠く離れた異世界で出会ったことで、その非日常の空気が二人の距離を急速に縮めたのだろう。僕もこの手の話は男女関係の例ならいくつか知っているし、一種のリゾート旅行者あるあるとでも呼べるケースなのだが、無粋になるので僕もわざわざ口にはしなかった。
「それと、ニ人とも周りが放っておかない美女のはずなのに、エスコートしてくれる相手がいなかったのも大きな共通点よね」
そう言ってクリスさんが笑った。
「だから同じ共通点を持つお姉さんとしては、こっちに引っ越してきたばかりのカナミーちゃんのことが心配になるわけよ」
「・・・え?」
クリスさんの言葉を聞いて、僕は慌ててナミーさんを振り返っていた。
「・・・観光客じゃなかったの?」
「うん。まだ住むところが決まってないから、今のところはホテル住まいなの」
「そうだったんだ・・・」
確かに言われてみれば、昨日のカナミーさんは観光客にしては熱のこもった質問をしてきた。
「だから猫人領の治安を気にしてたんだ?」
「あ・・・昨日はごめんね・・・なんか一方的に絡んじゃったみたいで」
「コトブキ君はもう慣れたかもしれないけどさ、あたしもカナミーちゃんも異世界に怯えるか弱き乙女なわけよ?」
クリスさんがおどけた調子で言った。
「そんなあたし達が異世界に慣れるためには、早めにこっちの知り合いを作った方がいいのよね」
「あ・・・」
と、僕はそこでクリスさんの意図に気づいた。
「そうか・・・僕らは同じ学校に通うことになるんだ」
猫人領には人間の学校が一つしかないので、夏休みが終われば僕とカナミーさんは学校で顔を合わせるはずだった。
僕はクリスさんが親切なお姉さんの役割ができることに感心しつつ、自分がカナミーさんに正式に名乗っていないことを思い出していた。
「そういえば・・・僕の自己紹介が・・・」
「あ、それは先にあたしがやっといたわ」
クリスさんが横から僕の言葉を遮った。
「そもそも昨日はコトブキ君のおかげで・・・くっ・・・あはははは」
なぜかクリスさんが急に思い出し笑いをした。
「いやいや失礼・・・昨日はコトブキ君のおかげでだいぶ楽させてもらったんだけどさ、まさかあたしのせいで最後にあんな目に遭うとは・・・なんて話を含めて、昨夜はカナミーちゃんと盛り上がったわけよ」
クリスさんの言葉を受けてカナミーさんが言った。
「熱帯雨林で遭難しかけた話には驚いたけれど・・・でも・・・なんだか映画みたいな話で凄く面白かったわ」
「・・・・・・」
僕らが死にかけた話で盛り上がられても困るのだが、確かに今さら僕の自己紹介は必要ないようだった。
それと今までの話を聞いた感じだと、僕がクリスさんからカナミーさんのネタで弄られることは、少なくともカナミーさんの前ではないだろうと思われた。