[宮城寿]その3
猫人族はおおらかだ。
それが世間一般で言われている猫人族のイメージであり、僕もその意見に異論はない。
猫人族は成人しても身長が一四〇センチほどにしかならず、見た目も猫々しくて可愛らしかったので、人聞界でもファンが多かった。人類が猫人領でリゾート開発を行ったのも、気候が温暖だったことの他に、猫人族に魅了されたからだという説もあるくらいだった。猫人族は人類の猫好きやゆるキャラ好きにとって、会いにいけるアイドル的存在として異世界でのほほんと暮らしていたのだった。
しかし僕のように普段から猫人族と接している人間にしてみれば、猫人族が単に可愛いだけの獣人でないことはわかっていたし、それないりに困った短所があるのも知っていた。たとえば猫人族のおおらかさというのも、裏を返せば大雑把でものぐさな性格の一面だったし、意外と気分屋で飽きっぽい一面も持っていた。猫人族の知的レベルは獣人でもトップクラスのはずなのに、その本質が怠惰で楽天的な性格だったせいで、猫人族は長いこと辺境の地で発展途上の生活を続けてきたともいわれている。
そんな猫人族の性質が生まれついてのものなのか、それとも一年中温暖な気候のせいなのかは不明だったが、それでも猫人族が平和的な獣人であることに間違いはなかったし、人類に対しても非常に友好的だったのである。
「思わぬ幸運だったわ」
僕と一緒に猫人領の役所から出てきたクリスさんが、駐車場に向かって歩きながら言った。
「まさか、猫人領のトップに取材ができるなんて思わなかった」
予想外の収穫にクリスさんも手応えを感じているようだった。
「まさに棚ぼたよね・・・これは仲介してくれたコトブキ君のお手柄かしら?」
「僕は電話をかけただけですけどね・・・」
実際、僕は役所に取材の申し込みをしただけであり、その後はクリスさんの横で普通に通訳をしただけだ。
「だけど、もしあたしが突撃取材をしていたら、こういう展開にはならなかった気がするわ」
「それは・・・まあ」
正直なことを言えば、たとえ飛びこみ取材であっても僕らが門前払いされることはなかったと思うし、取材開始まで待たされる可能性はあっても、よほどのことをしでかさない限り取材拒否はなかっただろう。観光業を重要な収入源としている猫人領にしてみれば、人間界から来たマスコミ関係者を丁重に扱うのは、ある意味では当然のことだといえた
「その・・・突撃取材は・・・よくないですね」
事実を伝えるとクリスさんの今後の行動がエスカレートしそうだったし、何よりそれで人類の良識や品位が貶められても困るので、僕は真実を闇に葬ることに決めたのだった。
「ま、なんにせよ良い仕事をしたわね」
クリスさんがキーホルダーを指で回しながら言った。
「あたしのような若手記者が、一国の大統領と話をするなんて向こうじゃ考えられないもんね」
「・・・猫人領の首領と大統領を比較するのは、さすがに大げさじゃないですか?」
「それなら州知事? それでもたいしたもんよ。しかもアポを取った直後に面会が叶うなんて、普通だったらまず無理だもの」
どうやらクリスさんは猫人領の首領を誤解しているようだったので、僕も今回はクリスさんに正し情報を伝えた。
「この猫人領では、首領の役職は単なる名誉職なんですよ・・・人間界でいえば町内会の名誉会長くらいのもんです」
「え・・・そうなの?」
「他の領域の首領だったら大物扱いでも構わないんですけど、猫人領はそういうのも含めてゆるい地域なので・・・」
ちなみに僕らは首領への取材は申請しておらず、これは完全にイレギュラーな出来事だった。僕らが役所で取材の準備をしているところに、向こうからふらふらと近づいてきたのが猫人領首領その人だったのである。僕はその時にクリスさんに通訳しなかったが、老齢の猫人の首領は『儂も取材してくれんかね? ちょうど退屈しとったんだよ』と言ってきたのだった。猫人族の性質に好奇心が強いというのもあるので、僕は首領がニコニコしているのを見ながら、なんとも猫人領らしい光景だと思い苦笑してしまったのである。
「まあ・・・いいわ」
クリスさんが気持ちを切り替えるようにキーホルダーを握りしめた。
「あたしが異世界の首領に取材をしたのは事実なんだし、これが記者としての実績になることに変わりないわ」
とにかくクリスさんはめげない人だった。
そういう意味では今までの言動からしても、実に猫人領にマッチした人材といえた。
「それにさあ・・・細かい事情を知らない読者なんて、勝手に誤解させておけばいいと思わない?」
と、クリスさんが記者にあるまじき発言をした。
「ろくに情報を調べもせず、誰かの書いた記事をそのまま鵜呑みにする読者なんて、別にどうなろうとあたしの知ったことじゃないしね」
「・・・・・・」
あ・・・やっぱりこの人は駄目な大人だ。
僕の疑念が確信に変わった瞬間だった。
★
「そういえば・・・コトブキ君は魔法を見たことあるの?」
次の目的地を目指して車を運転していたクリスさんが、思い出したように僕に質問してきた。クリスさんは先ほどの取材でも首領に魔法の話を聞いていたので、おそらく今回の取材には魔法のことも含まれているのだと思った。
「ありますよ」
と、僕は自分の身の回りで起きたことを率直に答えた。
「隣の家のおじいさんが使えるようになったので、魔法で物を動かすところを見せてもらいました」
「なるほど。猫人族の魔法は念動力系だもんね」
「そうですね・・・で、それを見た孫たちが、急におじいさんをヒーロー扱いするようになりました」
「・・・孫? ・・・ヒーロー?」
クリスさんが拍子抜けしたように言った。
「・・・なんともアットホームな話ねえ」
「これは猫人領ならではの光景ですよね・・・他の領域には他の領域の特色がありますし」
「他の領域かあ・・・あたしはアラスカから直行便で猫人領に入ったから、よその領域は行ったことないのよね・・・コトブキ君は他の領域の情報に詳しいの?」
「ニュースやネットからの情報であれば・・・まあ、大体は」
「さすがは現代っ子ねえ・・・こういうのは若い子の方が耳が早いもんね」
クリスさんが感心したように言った。
「あたしはこんな仕事をしてる割に、実は情報に疎い人なのよね・・・って、なんか意外でしょ?」
「そ・・・そうですね」
クリスさんが情報難民なことは僕も身をもって経験していたので、今さらその話を疑うことはないのだった。
「・・・クリスさんが異世界に来たのって、やっぱり魔法が出現したからですか?」
僕は依頼人に個人的な質問をあまりしないようにしていたのだが、クリスさんの人柄もあってか、今回はつい質問をしたくなっていた。
クリスさんは少し考えてから言った。
「そうねえ・・・元を辿れば、そういうことになるわね」
やれやれといった感じでクリスさんが言った。
「急に決まった仕事なもんで、準備不足のままこっちに来ちゃったのよねえ・・・まったく、こんなんじゃ異世界で戦えないわ」
「・・・戦うんですか?」
「あくまで気持ちの問題よ。良い記事を書くための取材が、記者にとっての戦いってこと・・・あたしが丸腰で魔法と戦えるわけないじゃない」
「その魔法なんですけど・・・人間界ではどういう風に伝えられているんですか?」
僕はこの一年ほど人間界に帰ってないので、魔法に関する情報はこちらで伝えられていることしか知らなかった。
「やっぱり、あれですか? 大げさに誇張されて『獣人が魔法を使って人間界に攻めてくるぞお』みたいなノリなんですか?」
「まあ・・・そういうネタで盛り上がってる人もいるけど、一般の人は意外と冷静よね」
ちなみに現在のところ、異世界で魔法を使える獣人であっても、人間界では魔法を使えないことが判明している。
クリスさんが話を続けた。
「・・・というか、一般の人にしてみれば異世界は遠い外国みたいなもんだから、魔法が出現しようが星が降ってこようがどうでもいいのよね」
「まあ・・・魔法が人間界に直接影響することはありませんしね」
と、ひとまず僕もそう答えたものの、実はクリスさんの話を予想外に思っていた。
「実を言うと・・・僕はもっと人間界が魔法を危険視していて、それで大騒ぎになっているんだと思ってました」
そしてそれが風評被害になって、異世界を訪れる人が減少するだろうと考えていたのだ。こちらで暮らしていればなんでもないことでも、遠い人間界では情報不足から誤解や偏見が生じるだろうと想像していた。
しかしクリスさんは僕の言葉を軽く笑い飛ばした。
「まさか・・・その程度のことが危険だっていうなら、とてもアメリカじゃ暮らしていけないわよ? なんせ銃がショッピングモールで買える環境なんだからね・・・それで『銃が危険だから家から出ないで下さい』なんて言われたら生きていけないわ」
結局、銃も魔法もそれ自体が危険というよりも、それを取り巻く環境や使う側のモラルが問題ということだろう。
「それにね、コトブキ君の言ってることは完全に逆なのよ」
「逆?」
「そう。もともと異世界に興味がある人にとって、魔法の出現は最高のサプライズなのよ?」
「・・・どういうことですか?」
「だって考えてもみてよ? 異世界に行けば自分も魔法使いになれるかもしれないのよ?」
「いや・・・・さすがにそれは・・・無理ですよ」
「別に本当のことなんかどうだっていいのよ。要はそう考える人が、ファンタジーを求めて異世界に引き寄せられるって話なわけ・・・これから異世界は忙しくなるわよ?」
「そう・・・なんですか?」
「間違いないわ。だって異世界航路に関連する株価が、この一カ月で馬鹿みたいに急騰してるんだから」
と、クリスさんが人間界の世知辛い話を口にした。
「それにね・・・人類が魔法を使える可能性だって、根拠がないわけじゃないのよ? 遺伝子レベルでいえば、獣人と人間は九十九パーセント以上が一致してるわけだし、そう考えると何かの拍子で人間が魔法を使えてもおかしくないわ」
「・・・・・・」
そんなことを言い出したら、猫人と九十九・九パーセント以上の遺伝子が一致する猫などは、今すぐにでも魔法使いになってしまう。
クリスさんがしたり顔で言った。
「人間は自分の信じたい情報だけを信じて行動するものなのよ」
それからクリスさんが悪戯っぽく笑った。
「たとえばパワースポットに行く人の全てが、本気で幸せになれるなんて思ってないでしょ? ロマンスに憧れてリゾートを訪れる人だって、全員がハッピーになれるなんて思ってないわけよ・・・こういうのは旅行先で『ごっこ遊び』をどう楽しむかがポイントなのよね」
「それで・・・異世界で『魔法ごっこ』をする人が増える・・・と?」
「その通り」
クリスさんが満足そうに大きく頷いた。
「・・・人間界には疲れた大人がたくさんいるのよ? どうにもならない現実にもがき苦しんで、どこかで現実逃避をしたいと願っているの・・・そんな大人たちが、非日常を求めて異世界に流れつき、そこで自分だけのファンタジーを演出するわけよ・・・わかる?」
そしてクリスさんは冗談っぽく『さあ冒険者よ、異世界へ旅立とう!』と言って笑ったのだった。