[宮城寿]その2
僕の住んでいる猫人領域は、異世界・新大陸の南東端に位置する熱帯地方だ。
その名の通り猫人族が住んでいる地域で、もちろん使われている言語は猫人語だ。僕の話す猫人語は標準的な猫人語であり、主に沿岸部や領域内の交易地で使われる言葉だった。猫人領は面積も広いので地域によって方言に差があり、特に猫人領の大半を占める熱帯雨林の奥では、同じ猫人同士でも会話が通じないことがあるといわれている。
しかしこれから僕がクリスさんに同行するのは猫人領の沿岸部なので、おそらく僕が通訳の仕事で困ることはないと思われた。
「コトブキ君って女に手が早いタイプだったのね」
クリスさんのジープに乗り込んでまもなく、僕は助手席でクリスさんに弄られていた。
「まさか仕事中にナンパするような奴とは思わなかったわ」
「・・・・・・」
僕は早くもクリスさんに困っていた。
運転席でニヤニヤしているクリスさんが僕を咎める気がないのはわかっているのだが、それでも僕はこういう状況に慣れていなかったので、クリスさんを相手に上手く切り返すことは難しそうだった。
「あの女の子ってホテルの宿泊客だよね? もしかしてコトブキ君って、そういうリゾート客を相手にアバンチュールを楽しんでるわけ?」
クリスさんは明らかにこの状況を楽しんでいる様子だ。
「虫も殺さないような可愛い顔をしてるくせに、意外とやることがえげつない男なのねえ」
「あの・・・」
さすがにそろそろ言い返さないとまずいと思い、僕は先ほどの状況をクリスさんに説明した。
「僕はただ、困っている人を助け・・・」
「男は言い訳をする生き物なのよね」
「・・・・・・」
「あたしはそういう男を腐るほど見てきたんだよねえ・・・そんな下衆野郎の言うことなんか、真面目に聞くだけ無駄ってもんよね」
いつのまにか下衆野郎にされてしまった僕だったが、このやりとりがこのまま続くのは正直しんどかった。
「・・・もう勘弁して下さいよ。本当にただの人助けだったんですから・・・」
「なによ? もう音を上げるの?」
まだ遊び足りないらしいクリスさんが言った。
「あたしはコトブキ君のことを見直したって言ってるのよ? 見どころのある男だからこそ称賛してあげてるんじゃないの」
僕にはクリスさんの評価基準はよくわからなかったが、なんとなくクリスさんがドSな性格であることはわかった。
クリスさんは相変わらずニヤニヤしながら言った。
「それで? あの子の電話番号くらいは聞いたんでしょ?」
僕はげんなりしながら言った。
「聞いてませんよ・・・そもそも名前だって知りませんし」
「え~っ? ・・・そうなの?」
と、クリスさんが驚いたように言った。
「ちょっとちょっと・・・なに勿体ないことしてんのよ・・・君はなんのために男をやってるの?」
「・・・・・・」
僕がなんのために男をやってるかは知らないが、けしてクリスさんに罵倒されるために男に生まれたわけではないと思う。
「あーあ・・・せっかく面白いネタだと思ったのに」
クリスさんが残念そうに言った。
「それならロビーで見かけた時に、もっと徹底的に弄っておけばよかったわ」
「・・・・・・」
僕はあまり依頼人のことをどうこう言いたくはなかったが、それでもクリスさんが面倒臭い人聞であることは肝に銘じておかなければならない。
「そっか・・・」
クリスさん少し考えてから言った。
「・・・今からホテルに戻ろうか? 電話番号だけでもゲットした方がいいよね?」
「もう・・・本当にもう・・・勘弁して下さい」
僕は本気でクリスさんに懇願した。
その後もクリスさんはなにかと僕を突っついてきたのだが、僕が死んだ魚の眼で正面だけを見つめていたことで、ようやくクリスさんもハラスメント的な言葉責めをやめた。
そんなこんなの道中を経て、僕らは最初の目的地である猫人領の町に辿りついたのである。
「あれ? ・・・働いてる人がいないじゃない」
猫人の漁港にやってきた僕らだったが、クリスさんが人気のない港を見て不思議そうに言った。
「まだ昼前なのに閑散としてるのね・・・今日は漁が休みなのかしら? それともお昼を食べに出かけてるとか?」
「漁師さんは朝が早いですからね・・・もう帰ったんじゃないですか?」
今の時期は加工用の魚を水揚げしてないはずなので、朝に獲った魚を市場に送った時点で仕事はお終いだと思われた。
「へえ・・・そうなんだ」
クリスさんが釈然としない顔で言った。
「じゃあ・・・地元の漁師に取材をすることはできないわね」
「まあ・・・そうですね」
「・・・・・・」
クリスさんはしばらく無言で何かを考えでいたが、やがてゆっくり僕に向き直った。
「どういうこと? ・・それじゃ、あたしの取材プランが狂っちゃうじゃない?」
「はあ・・・」
僕はクリスさんの態度にとまどいながらも、率直に現状を報告をした。
「港の建物に行けば、たぶん事務の人がいると思いますけど・・・」
「ちょっとちょっと・・・あたしは猫人の船乗りに話を聞きたかったのよ? なんでこういうことになってるわけ?」
「えーと・・・」
僕はそんなクリスさんを見ながら『これは僕が謝るべきことなのか?』と考えていた。今回の僕の仕事は単なる通訳であり、観光ガイドやコーディネーターではないはずだ。
僕は自分に落ち度はないと思ったので、謝罪する代わりにクリスさんにおそるおそる訊ねた。
「あの・・・クリスさんは、取材の下調べはしたんですよね・・・?」
僕はクリスさんがフリージャーナリストだと聞いていたので、そういう段取りは事前に済ませていると思っていた。だからホテルでスケジュールを聞いた時も素直にそれを受け入れたし、今日一日の行動になんの疑問も持たなかった。
僕はこの状況に一抹の不安を覚えていた。
「それと・・・予定では猫人領の役人を取材することになってましたけど・・・事前に連絡はしてあるんですよね・・・?」
「するわけないじゃん」
「えっ・・・」
「あたし英語しか話せないもん」
「・・・・・・」
「あたしにアポを取る語学力があるなら、最初から通訳なんて雇わないでしょ?」
至極当然、といった感じでクリスさんが言った。しかしクリスさんの言っていることはなんとなく筋が通っているようで、実は社会人としての常識が根本から抜け落ちている。
「一応、あたしだって翻訳機を使って試してみたのよ? だけどあんまり結果が芳しくなかったのよね・・・も、機械を相手にするのも面倒臭くなってきたし、なんか色々と馬鹿らしくなっちゃったのよ」
なぜかクリスさんは自分の怠慢さを自信満々に語っていた。
僕はそんなクリスさんを見て半ば呆れると同時に、少し感心もしていた。見ず知らずの土地で行き当たりばったりの行動をとれるのも一種の才能だし、そういう神経の図太さや適当さもジャーナリストには必要なことかもしれなかった。
「あの」
僕はクリスさんに雇われている立場なので、そのクライアントに対して代替案を提案した。
「もし必要なら、僕が取材先と交渉しますけど?」
「あたしのモットーは体当たり取材なのよね」
「あ・・・そうなんですね」
クリスさんにはクリスさんのやり方があるようなので、僕はこれ以上余計なことを口出ししない方がよさそうだった。やはり僕のような子供はおとなしく通訳だけに専念すべきなのだろう。
「だけどね」
クリスさんが『ふっ』と気取った笑みを浮かべた。
「あたしのポリシーは他力本願なのよね」
「・・・・・・」
「というわけで、あとの取材交渉はコトブキ君に任せるわ」
「・・・はい」
僕は首を縦に振りながら『あ、この人はダメな大人かもしれない』と思っていた。
気づくとクリスさんは機嫌よさそうに鼻歌を歌っていた。
「それじゃ、改めて今日の予定を確認しますかねえ」
それからクリスさんは僕を諭すように言った。
「疑問に思ったことはすぐに質問しないと駄目だからね? あたしがなんでも出来ると思ったら大間違いなのよ? わかった?」
「・・・はい」
今回の仕事は思っていた以上に大変かもしれない、と僕は覚悟したのだった。