9. ババアレベリング
メインヒロインの婆さんが大活躍
婆さんの家事を手伝って、雑草刈って、アルと遊んで、魔法の練習をする。そんな、ぬるま湯に浸かりきった日々が続いていた。それなりに恵まれない家庭と言っても、飯に困ることも無いし、差し当たって命の危機もない。家事は面倒だが魔法でだいたい何とかなる。そんな甘くて優しい素敵な剣と魔法のファンタジー。それがイーガルンド。そんな日々がいつまでも続けば良いのに。と自分に甘えていたある日、婆さんが言った。
「ガズ、そろそろ森に入っても良い頃だね。明日からは森で婆ちゃんの手伝いをしてもらうよ。」
婆さんは急に何を言っているのだ。森とはあの森のことを言っているのか?つまり村に張られた結界の外に出ろと?7歳児の俺に?魑魅魍魎や悪鬼羅刹が跋扈する結界の外に出ろとおっしゃっているのか?死ぬじゃないか。命の危機じゃないか。去年、村の子供がこっそり森に入ったら1人帰ってこなかったじゃないか。そんな危ないところに孫を行かせるというのか?殺す気なのか?そろそろ大きくなったから殺して食う気なのか?それとも生贄か?魔族はやはり悪魔と契約した奴らの子孫と言う事か。なんてこった、俺の英雄譚はここで終わってしまった。くっ……殺すならひと思いに殺せ!
「くっ殺……あ、ちがう。お、お婆ちゃん、こ、こ、子供は森に行っちゃいけないって、森は魔物がいっぱい居て、あ、危ないってみんな言ってる。こ、子供が森に入ったら魔物に食べられて二度と出てこれないんだよ。」
「そんなことは婆ちゃんもわかってるよ。だから婆ちゃんの手伝いだって言ってるじゃないか。婆ちゃんと一緒に森に入って木の実や薬草、薪なんかを拾ってくるのさ。雑草刈ってるよりもずっと強くなれるよ。」
婆さんが私を信じろという目で見てくる。純粋な目をしている。50を超えているとは思えない純粋な目だ。濁りきった俺の心に突き刺さる。ここで婆さんの期待に応えないと、ついに家の中に居場所が無くなるのではないか。奴隷として売り払われてしまうのではないか。そんな不安がよぎる。ついに戦場に立つ時がきたか。俺の英雄譚が始まってしまうのか。始まらなくてもよかったのになぁ。
「わ、わかったよ、お婆ちゃん。明日から一緒に森に行くよ……」
「良い子だねガズ。臆病者は英雄にはなれないからね。」
臆病者で何が悪いのか。死んだら終わりなんだぞ。豚になるか謎の世界に島送りにされるんだぞ。命は大切なんだ。自分から捨てに行くようなことをしてはいけないのだ。それに英雄たる俺はまだこんなところで死ぬわけにはいかない。ちゃんと護衛するのだぞ。婆さん頼むぞ。俺の命は婆さんにかかっている。やはり婆さんに生殺与奪を握られていると言う事か。悔しい、でも逆らえない。
翌日、俺は婆さんに連れられて村に張られた結界の外に出て南の森に入っていった。丈夫なブーツに長袖長ズボンと、いつもの革手袋にナイフで完全武装である。素肌を晒すなどあってはならない。スヌオル村近郊は、そこらの草ですら葉っぱを振り回して攻撃してくる謎環境なのだ。所詮は草なので当たったところでちょっとした切り傷になるだけなのだが。まれに毒を持っているので油断はできない。命は大事である。
ところで、魔物化する植物と魔物化しない植物の差がわからない。そもそも最初から植物系の魔物として生を受けているのか、植物が後から魔物化するのかすら俺は知らない。高等な教育を受ければそういった疑問も解決するのかもしれないが、そんなものが望める環境ではない。
そんなことを考えるのは無駄だと言わんばかりに、危なそうな草は婆さんが片っ端から鉈で刈っていく。俺は後ろからおっかなびっくりついていくだけだ。流石は俺の婆さん頼りになる。鬱蒼とした森をしばらく分け入ったところで、婆さんが立ち止まった。そして、青紫色で手のひら大のハート型の葉がついた草を指さした。
「これはカジャミ草って言うんだ。こいつは高く売れるんだよ。気を着けて根っこごと引っこ抜くんだよ。傷物にしちまうと高く売れないからねぇ。お婆ちゃんは、もうちょっと周りを見てくるよ。」
そう言うと、婆さんは俺を残して森の奥に行ってしまった。高く売れるとか、傷物にするなとか婆さんのことを親分と呼びたくなる気分だ。テンションが上がる。
「うひひ、大人しくしな。大人しくしてたら乱暴には扱わねぇぜ。親分、ちょっと味見してもいいですかね。俺はもう我慢できねぇや。ひひひ……」
舌なめずりしながらカジャミ草をゆっくりねっちょりと引き抜いていく。
「恥ずかしいところが丸見えだぜ。うひひ……。なにぃ?娘だけは勘弁してくれ?そんなことを心配しているのか。安心しな。ここにいる奴らは全員ひん剥いてアジトに連れて帰って売っ払ってやるよ。もちろんお前の娘もな。ひゃはははは!」
なるほど、なかなかどうして楽しい。新しい何かに目覚めそうだ。これが圧倒的強者の愉悦なのだろうか。きゃーやめてー(裏声)、うるせぇ静かにしろ、等と一人でぶつぶつ良いながらカジャミ草を籠に入れていく。楽しい。とても楽しい。
夢中になって薬草を集めていると、カサリと何かが動く気配がした。何事かと振り向くと少し離れたところに50cmほどのリスが目に入った。婆さんにさっきの姿を見られていたらと驚いて損をした。
「ピャウ!ピャウ!ピャウ!……」
かわいい鳴き声だが目が血走っているし牙も爪も長い。もしかしてこれはヤバい奴なのではないだろうか。早速、命の危機なのではないだろうか。取り乱すんじゃないぞ、俺。落ち着いて護衛を呼ぼう。
「お、お婆ちゃーん!助けてー!」
「ピャー!」
俺の情けない叫び声が開戦の合図になったかのようにリスがこちらに駆け出してきた。リスのくせに捕食者の目をしていやがる。鼓動が高鳴る。ヤバいヤバいヤバいヤバい――
「ガズ!ちょっと待ってな!」
「助けて!待てない!」
俺は叫びながら婆さんの声がする方に向かって駆け出した。なにが圧倒的強者の愉悦か。今も昔も俺は弱者だ。リスの鳴き声が近づいてくる。婆さんの姿はまだ見えない。後ろを振り返るとすぐ後ろまでリスが来ていた。勢いそのままにリスが飛び掛かってくる。とっさにナイフを振りぬくとナイフの柄が運良くリスの側頭部にクリーンヒットした。勢いでリスの軌道がずれて、何とか噛みつかれることは避けられた。だが、特にダメージはなさそうだ。
「誰か誰か誰か誰か!ああああああああああーーーーー!」
俺は奇声を上げながら無茶苦茶にナイフを振り回した。リスもさっきの一撃から警戒しているのか飛び掛かってこない。婆さん早く来てくれ。頼む婆さん。お願いしますよ。
どれほどの間かわからないが、ナイフを振り回していると婆さんが俺の前に飛び込んできた。そして一瞬でリスの右前脚と後ろ脚が切断された。とんでもなく機敏な動きだ。50代の女性とは思えない。農家lv50は伊達ではない。この世界はバグっている。
「もう大丈夫だよ。悪い魔物はお婆ちゃんが倒してあげたよ。」
「ピャー!」
リスは倒れたが死んでいない。血まみれで鳴きわめきもがいている。グロイ。早くそいつを何とかしてくれ婆さん。
「あ、ありがとうお婆ちゃん。怖かった。死ぬかと思った。やっぱり森は危ないんだよ。魔物に食べられちゃうよ。」
「ピャー!」
「なに言ってるんだい。あんな魔物の十頭や二十頭は倒せるようにならないと英雄にはなれないよ。まずこいつを殺してみな。あんたならやれるよ。」
「ピャー!」
「えっと、いやちょっと僕には……」
「ピャー!」
マジでかわいそうだから。こいつを早く殺してやってくれ婆さん。
「怖がらなくても大丈夫だよ。もうこいつは動けなくしてあるからねぇ。胴体を何度も刺してりゃそのうち死ぬさ。さぁガズやってみな。」
「ピャー!」
怖がるとかそういう話ではないのだが根本的に価値観が違う感じがする。とにかくこいつにとどめをささないと、この場は収まらないらしい。
「ピャー!」
やってやろうじゃないか。こいつは俺がここで殺す。殺してやる。
「ピャー!」
殺るぞ。俺は殺ればできる子なんだ。逆に言えば、殺られれば死ぬ子なのだ。
「ピャー!」
殺らねば殺られる。これが魔物と人間との関係なのだ。中間はありえない。
「ピャー!」
殺伐とした世界。それがイーガルンド。作ったやつは頭がおかしい。
「ピャー!」
じりじりとリスに、にじり寄る。リスが牙で威嚇してくる。足が2本もがれているとは言え、万が一噛まれれば大けがは必至だ。
「お婆ちゃん!い、いくよ!」
「ピャー!」
俺は覚悟を決めてナイフを胴体に向けて振り下ろす。グサリと10cmほどナイフが刺さる。毛皮と筋肉に阻まれたのか致命傷には至らない。
「ピャー!」
リスからのノイズがうるさい。俺はナイフを引き抜いてはリスにナイフを突き立てた。何度も何度も突き立てた。ノイズが消えるまで何度も突き立てた。何度突き立てたかもよくわからない。
「もう死んだよガズ。よくやったねぇ。初めて魔物を退治できたよ。」
婆さんは俺の頭を撫でまわして喜んでいる。高揚感と不快感で吐き気がする。こらえきれず胃からこみ上げる酸っぱいものを吐き出した。
この世界で動物の死骸を見ることは多々あったが自分で殺したことは無かった。もっと精神年齢が低ければ虫を殺すように平気だったかもしれない。だが、37歳児にはコオロギですら殺すのは躊躇われる。そんな豆腐メンタルの俺には大型哺乳類を殺すのはきつかった。心が折れそうだ。リスですらこれなのだから、人型の魔物なんかコロコロしてしまった日にはトラウマになってしまうんじゃ無いかと不安で仕方がない。
「刺し傷が多いから毛皮は使えそうにないね。血抜きだけして猟師に持っていこうかね。」
そういうと、婆さんは鉈でリスの太い首をぶった切って木に逆さで吊るし、腹をさばいて内蔵を引きずり出した。婆さんが返り血で染まる。俺は胃から酸っぱいものをまた吐き出す。それにしても鉈を持った血まみれの婆さん。しかも非常にに素早いし力強いときた。これは山姥かターボババアだな。この世界には魔物だけではなく妖怪までいるのか。恐ろしい世界だ。
俺の胃から何も出なくなったころ、婆さんが急にニヤリとした。
「おやおや、血の匂いに釣られて来たようだねぇ。1匹だけなら丁度良い。今日は運が良いねぇ。ガズがいるからかねぇ。」
婆さんが急に中二病になってしまった。優しいお婆ちゃんキャラであってほしかった。
婆さんとの今後の接し方について悩みそうになっていると、婆さんの目線の先から大型のヤマネコ?が姿を現した。本当に血の匂いに誘われてやってきたようだ。ヤマネコが婆さんに飛び掛かってくるが、案の定一瞬で婆さんに切り伏せられる。またもや、前脚と後ろ足を一本ずつ切り取られている。グロイ。勘弁してほしい。
俺は学習する男なので黙って死に体のヤマネコにナイフを突き刺す。死ぬまで何度も突き刺す。一度言われたことはちゃんと覚える男なのだ。本日、二頭目である。
「今日はこんなところかねぇ。初日に2頭もやれるなんてガズは運が良いねぇ。これからは、どんどん強くなれるよ。お婆ちゃんが居なくてもこんなのは独りで倒せるように頑張ろうねぇ。」
「そ、そうだね。英雄になるために強くならないと生けないもんね。」
「あとは、もっと綺麗に殺せると毛皮も高く売れるんだよ。綺麗に殺せるように頑張ろうねぇ。」
「うん、き、綺麗に殺せるように頑張るよ。」
綺麗に殺す。そんな言葉を吐く日が来るとは思わなかった。英雄への道は血塗られていた。言葉だけ聞くと完全にサイコ野郎だが、お金は大事なのだ。お金がないと生活が成り立たない。お金に生殺与奪を握られていると言っても過言ではない。悔しい、でも逆らえない。
その日は、2頭の死骸とカジャミ草をもって村に帰った。死骸は猟師に、カジャミ草は薬草屋に売り払った。割と良いお金になるらしい。婆さんの森活が我が家が食うに困っていない理由のようだ。流石、俺の婆さんである。ここで前から気にしていた職業について聞いてみた。
「お婆ちゃんは何で猟師さんや薬草屋さんに職業を変えないの?」
「職業を変えようと思ったら、神官さんにお金を払って、職業を変える儀式をしないといけないんだよ。そのためにはお金が必要になるからねぇ。それにお仕事を変えるとレベルが0からやり直しになるのよ。そうしたら能力が下がって返って危ない事になる事もあるしねぇ。何より今でも十分やっていけてるから良いのよ。」
「お金がかかっちゃうんだね。で、でもお仕事を変える人が時々いるけど、それは何でなの?」
「お仕事を変えると、レベルが上がった時の能力の伸び方が変わるのよ。それに、お仕事によって上手になりやすいスキルがかわるのよ。猟師さんだったら弓や鉄砲の扱いなんかが上手になりやすいねぇ。それにレベル0に戻っても能力が全部もとに戻っちゃうわけじゃないからねぇ。頑張って色んなお仕事のレベルを上げればより強くなれるのよ。ガズも英雄になるために、頑張って色んなお仕事につくと良いわ。お金はお婆ちゃんが残して上げられれば良いんだけどねぇ。」
「そうなんだ。ありがとうお婆ちゃん。が、頑張って色んな職業のレベルを上げるよ。」
なるほど。イーガルンドは転職無双だったんだなぁ。とにかく、色んな職業のレベル上げまくれば強くなれると、そういうわけですな。
その夜、転職したいとお祈りしてみたら、転職可能な職業一覧が頭の中に浮かんできたと思ったら。浮かんでこなかった。現状では転職できる職業は無いらしい。どういうこった。ただ、もし浮かんでいたら転職できるという確信が得られた。なぜと言われてもよくわからないが、そういう考えが頭の中に入りこんできたのだった。
まぁなんやかんやで、婆さんによるパワーレベリングの初日は無事に終わった。
婆さんがヒロインからチュートリアルキャラに変わってしまっている