26. 愚痴をこぼす相手は選ぼう
ただ聞いてほしいだけなんだ。アドバイスが欲しいわけじゃない。そもそも後からなら、なんとでも言える。黙って聞け。
俺はぶらぶらと神殿にやってきた。歩きながら先ほどの出来事について、ナーシル先生に愚痴を聞いてもらおうと考えた。少女の言葉や態度を思い起こすたびに、ぐらぐらと腹の底が沸き立つ。久方ぶりに対人コミュニケーションで怒りをあらわにするところだった。それほど業腹極まりない事案だった。近頃は家族とナーシル先生以外とは付き合いが無かったので、なあなあのコミュニケーションでやってこられた。そんなところに急にニューフェイスが現れて、しかも随分と高いところから言葉を発せられてしまった。肩を暖める前から豪速球を投げ込んでくるかの様な、ストロングスタイルのコミュニケーション方法に俺はついていけなかった。気が付いたらマウントポジションをとられて、一方的に要求を飲まされていた。こんな理不尽が許されるものか。弱いものに圧をかけて言うことを聞かせるなど、畜生も同然だ。万物の霊長としてあるまじき行為だ。絶対に許されない。許されてなるものか。俺はかの邪知暴虐、狡猾怜悧、悪逆非道な少女の狼藉を許さない。仮に天が許しても俺は許さない。月に変わって仕置きをくれてやろう。
まぁそんなわけで、わたくしめは大変ご立腹でございますよ。と言う事をナーシル先生に聞いてもらいたいのだ。
ナーシル先生はいつもの様に落ち着き払った様子で俺を出迎えてくれた。
「やぁガズ君、今日も自由かい。」
「はぁ、まぁ、今日も自由ですね。」
いつものアナーキースト御用達の挨拶を済ませると、俺は先ほどの少女との邂逅についてナーシル先生に愚痴をこぼした。やれ、ゴブリン等と言う珍奇な渾名を着けられて不快だの、妙に馴れ馴れしい態度が癪に障るだの、遠回しに断ってるのに相手の思惑を勘案できない愚図だの、勝手に予定を決める独善的で横暴なならず者だの、と言ったことを長々と語った。
語り終えた時点で、既に俺の怒りの半分くらいは消え去っていた。残りの半分は優しさでできているので。俺はいま優しさ100%だ。いや、これは論理的ではない。俺としたことが早とちりをしてしまった。優しい人間であることをアピールをしたいがあまりに、なんて過ちをおかしてしまったんだ。反省だ。
ともかく、愚痴をこぼすだけで、何となく怒りが収まるのは何故なんだろうか。何か心理学的な根拠があるのだろうか。よくわからないが、俺の怒りを鎮めるためにナーシル先生には犠牲になってもらった。愚痴を聞かされる先生はたまったものではないだろうが、先生に愚痴らずして誰に愚痴ると言うのか。聖職者たるもの迷える少年の愚痴の一つや二つは聞いて当然だろう。
婆さんに愚痴をこぼすと、”なぜやり返さないのか”と言われてしまうのが目に見えている。俺は話を聞いてほしいだけで、アドバイスが欲しいわけでは無いのだ。だいたい、暴力に訴えるのは最終手段だと、元日本人の道徳心が強く主張してくる。婆さんとはこういう所で価値観の相違がある。いわゆる性格の不一致だ。分かり合える気がしない。離婚原因No1は伊達じゃない。あまり波風立てないようにしたいので、婆さんには愚痴をこぼさない。俺は賢い。
「そうかそうか、ゴブリンか。酷い渾名を着けられたものだね。このあたりには生息していないから君は知らないと思うけれど、ゴブリンなんて幼児程度の知性しか持ち合わせていないんだよ。こんな思慮深い、いや思慮深くはないかもしれないけど、知性ある少年に対して失礼だよ。」
からからと笑いながら、ナーシル先生がゴブリンについて解説してくれる。少なくとも俺はゴブリン以上の知性を持ち合わせていると認識されているらしい。そしてこのあたりにはゴブリンは居ないらしい。ゴブリンよ、序盤の村で出てこないで、一体どこで出てくる気なんだ。お前が活躍できるのは序盤だけだぞ。もったいぶるんじゃない。分をわきまえろよ。
「なんですかナーシル先生まで、人を短絡的な人間みたいに言わないで下さいよ。」
ナーシル先生とは軽口や冗句を言い合えるくらいの仲になっている。年単位で付き合っているのだから流石の俺でも打ち解ける。精神年齢も近いし、何となく馬が合う。
「いやいや、私も君の魔物に対する姿勢には若干だけど、狂気を感じていたから、そんな渾名がつけられてもおかしくはないよ。特に狼と対した時の君の様子は、正直に言ってしまえば私も怖いよ。」
確かに俺は先生の前では感情をあまり隠さない。酷く情緒不安定なところを何度か見せている。ただ、これは全て狼が悪い。あいつらが俺から平常心を奪っていくのが悪い。あいつらのツラを見ていると、アルの死にざまが浮かんでくることがある。あいつらのツラを見ているとアルが、俺に何で止めてくれなかったのかと責めてくるような気がすることがある。全て狼が悪い。俺はいつも冷静であろうとしているのに、あいつらのせいで俺は冷静ではいられなくなってしまう。もうアルの顔も薄っすらとしか思い出せないけれど、狼への憎さは消えない。
「そういえば、あれは半年前だったかな――。」
先生が思い出すかのように話し出す。その話はいけない。思い出すだけで自己嫌悪に陥る。
「いや、その話はやめましょう。先生、やめましょう。」
「サンジョーガワラとか何とか叫んで――。」
「それ以上いけない。」
俺は先生の口を無理やり塞ぎ、話を中断させた。あの狂気の沙汰については、あまり語られたくない。忘れて欲しい。ただ先生にもショッキングな出来事だったらしく、忘れてくれない。
あれは半年ほど前だっただろうか、サンジョーガワラ事件と呼ばれる狂気のショーが行われたのだ。俺の手で。
山田にも、お友達ができました。
次回、サンジョーガワラ事件
皆さん、インフルエンザにお気をつけください。




