22. 決意の日
自由研究ってなにしたらいいかわかりません。
「そうなのか! 君もシーウォ様に逢ったんだね!」
珍しくナーシル先生の声が木琴のように弾んでいる。いつもの穏やかなナーシル先生はどこへ行ってしまったのか。
「そうかそうか、君を導くのが私の天命か、君は私の天命の人ということか。実に興味深いね!」
両手を広げ天を仰ぎ見るナーシル先生に、窓から差し込む光が降り注ぐ。紅潮した頬がナーシル先生の興奮を如実に現している。波打った髪は光を乱反射させ、あたりにちらちらと神聖な灯りをまき散らしていた。まさに今、ナーシル先生は天からの宿命を受け入れているのだと思わせた。
とは言え、頭上には煤で薄汚れたドーム型の天井しかない。この田舎の神殿には天命を授かるに足る煌びやかさも荘厳さもない。日々の生活の一部に組み込まれた身近な建物でしかないのだ。
興奮しているナーシル先生には大変申し訳ないが、俺には先生がバグってしまったようにしか見えない。神官と言う職業柄、精霊や天命などという言葉で舞い上がっているのだろうか。いつもの穏やかに微笑み、感情を表に出さないナーシル先生の面影が見当たらない。感情を露わにしている人を傍から見ると、なぜか自分は冷静になってしまう。それに、この天命は俺にとって、ただのお荷物なのでナーシル先生が望むなら喜んで差し上げたいくらいだ。
しばらくすると、ナーシル先生は手を下ろして、いつもの穏やかな微笑みを湛えた顔を俺に向けてきた。この微笑みを張り付けた仮面のような、何を考えているのかよくわからない顔が俺の良く知るナーシル先生だ。どうやら向こうから帰ってきてくれたらしい。天に召されなくて良かった。
「だけれど、私は天命なんて言葉は好きじゃないんだ。人は自由でなくてはいけない。誰かに決められた生き方をするなんて死んでいるのと同じだよ。」
再起動したと思ったら随分とアナーキーなことを言い始めた。その理論で行くと、俺は産まれながらにして死んでいることになる。勝手に殺すのはやめて欲しい。
「他人から与えられた道には、どこかで不平不満の感情が生じてしまう。上手くいっているときは良いさ。だけど壁にぶつかったときに使命を与えた人に対する不満を抱かないのは難しいことだよ。ともすればその人の責任にして、使命を放り出してしまう。つまり自分の人生なのに自分で責任を持てなくなってしまう。そんなのつまらないじゃないか。自分の人生には自分で責任を持つべきだよ。だけど自由と言う希望の平野から自ら道を選べば、それは自分だけのものさ。壁にぶつかっても自分で選んだ道なのだから奮起することができる。もちろん諦めて他の道を探すこともできる。諦めてしまうのも自分の責任で自由にできる。そこに他人の意思は介在しない。常に自分で選択し、自分で責任を持って、自分で蹴りを着けるのさ。私はそう言う生き方をしたいと思っている。ガズ君も自由に生きて行きたいと思わないかい?」
自由と言う希望の平野か、俺とは見えている世界が違うらしい。俺にとって自由とは茫漠たる荒野だ。誰かに道を引いてもらえなければ、立ちすくんでしまうだけだ。仮に、えいやと踏み出しても、あっちに進めばよかったと後悔する。どれを選んでも、何をしても後悔する。俺はそういう人間なのだ。誰かに指示されたことを不平不満を言いながら他人のせいにして生きて行くのが楽なのだ。誰かに責任をなすりつけて諦める人生を送ってきたし、これからも送るだろう。俺にはそれしか生き方がわからない。俺は俺の決断に責任を持てない情けない人間なのだ。
「えっと、その、そうですね。自由に生きたいですね。」
内心とは裏腹に肯定する。こういう抽象的な質問に対する俺の回答はイエスしかない。否定するだけの論拠も無いし、議論できるほど人生に対する哲学なども持っていない。ならばイエスしかない。それに拘束されて奴隷のように生きて行きたいと言う訳でもない。
「そうかそうか、では君は自分の意思で英雄になりたいと思っているのかな。それともシーウォ様に言われたから英雄になりたいのかな。君が自分の意思で英雄になりたいと言うなら、私は喜んで君を導こう。不承不承ながら英雄を目指さなければならないと思っているのであれば、私は君のために天にも精霊にも背こう。ガズ君の意思を、君の自由意思を聞かせて欲しいんだ。」
俺に意思なんかない。何となくで生きているのだ。流されているだけなのだ。何となく雰囲気でイーガルンド行きを決めて、流れで英雄になることが決まったのだ。だが、英雄になる以外に何かしたいかと言われると何もない。俺には目的も目標も夢も希望も何もない。あったら自殺なんかしない。強いて言えば、彼女が欲しい。だけど、それに向けて努力する気もない。白馬に乗ったお姫様に迎えに来て欲しい。そんなお姫様が世界に居なければ居ないで、それはそれで構わない。改めて考えると、俺は何でもう一度人間になりたかったのかわからなくなるな。豚でも鯖でも何でも良かったんじゃないかと思えてくる。飯食って糞して寝るだけの毎日なら、ミジンコでもできる。そう考えると、人間に戻してもらっただけの仕事は果たさないといけないと思わされるな。やはり俺には英雄を目指す以外に道は無い。自由だなんだと言われて、少し混乱したが俺は英雄になるために生まれてきたのだ。それが俺の宿命なのだ。ナーシル先生に言わせれば、俺は産まれながらにして死んでいることになるが、実際一度は死んでいるのだから構わない。俺は生ける屍として英雄を目指そう。それに俺にだって欲はある。英雄になって皆にチヤホヤされたい。俺は承認欲求が強い方だと思う。自己肯定感が低いからだろうか。まぁ何でも良い。とにかく、俺は英雄になる。英雄になってチヤホヤされて、結婚して嫁とスローライフを送るのだ。そのためにナーシル先生には踏み台になってもらおう。
「あの、ナーシル先生。僕は英雄に成りたいです! 僕の意思で英雄に成りたいと思っています! みんなを守りたいんです! 誰も僕の前で死なせたくなんかないんです!」
「君の決意はよくわかったよ。私も私の自由意思のもと君が英雄になれるよう全力を尽くそうじゃないか! 今日はなんて面白い日なんだ!」
ナーシル先生は俺の手を強く握りしめ、そう言った。珍しく見開いた目の中に映えるサファイアのような瞳からは、吸い込まれそうなほどの力を感じる。それは固い決意を主張していた。
それにしても今日のナーシル先生は自己主張が激しい。人には意外な一面があるものだ。表面だけの薄っぺらな付き合いではわからない。一歩踏み込んだ人にだけ見せる感情なのだろうか。俺は先生の内面に踏み込むことができたのだろうか。他人との距離間を測るのは苦手だが、何となく先生との距離が縮まったような気がした。
山田がちょっとだけ思い切った、褒めてやりたい。




