16. 手のひらのともしび
山田は情弱
「勉強を始める前に聞いておきたいんだけれど。ガズ君は、どうして勉強がしたいと思ったのかな?」
ナーシルが穏やかな微笑みを浮かべながら質問をしてきた。もっともな疑問だ。この村で自分から勉強がしたいと言い出す子供には今まで会ったことが無い。うちの村でも最低限の読み書きは習うが、それ以上のことは強制しない。そんなことよりも家の手伝いや遊びに明け暮れるのが普通なのだ。スヌオル村の気候は亜熱帯と言っても良いくらいなので、冬でも家に籠る必要はなく手持ち無沙汰になることがないのだ。
「えっと、あの僕は英雄になりたいんです。みんなを守る英雄になりたいんです。それで、この村を出て世界中を巡りたいんです。それで、そのために、この国のこと、この世界のこと、魔法のことを勉強しないといけないと思いました。」
「なるほど。英雄になりたいんだね。でも英雄になるんだったら格闘技や剣術なんかを勉強した方が良いと思わなかったのかな? それにみんなを守る英雄なのに、この村を出て行っちゃうの?」
ナーシルは微笑みを絶やさず矛盾を指摘してきた。インテリ様は頭の回転も早いようだ。ぶわりと嫌な汗が背中に滲む。確かにみんなを守ると言いつつ、国を出ていくというのはおかしな話だ。適当なことを言うものではないな。だが、悪神が世界を支配するなんて話をしたところで信じてもらえないに違いない。場合によっては神を穢したとか言って糾弾されるかもしれない。相手は神官なのだから、神様の話には敏感に違いない。
「えっと、その、世界中を旅して強くなって帰ってくるんです。そ、そうです。あの元傭兵のおじさんみたいに村に帰ってくるんです。」
しどろもどろになりながら理由をこじつける。武者修行して故郷に錦を飾るということにしよう。本当は将来のことなんてノープランだけどな。
「自分から勉強がしたいって言いだす子は、あまり居ないからね。ちょっと気になったんだ。意地悪なことを言って悪かったね。この国を飛び出して世界を巡りたいという大きな志があるんだね。それは素晴らしいことだよ。」
さっきの質問は、きっと軽くからかっただけなのだろう。まだ彼の事を詳しく知っているわけでは無いが、7歳児を論破して楽しむような人ではないと思う。と言うか、そうでないと困る。これから長い付き合いになるのだ。嫌味な上司がシーウォとナーシルの二人体制になったら俺のメンタルが持たない。心が砕け散ってしまう。と言っても、俺のメンタルは壊れないらしいが。今の俺は、鋼のメンタル、金剛石の心臓、強靭無比の精神、形状記憶前頭葉の持ち主なのだ。自分でも信じられない。今でも俺のメンタルは比類なき脆弱さを誇る取り扱い要注意の精密機器だと信じている。腫れ物を扱うぐらいの優しい態度で接してもらうぐらいで丁度いいぐらいだ。
「これからの方針だけど、魔法は実際に使いながら学んでいこう。あとは本を書き写して読み書きを覚えつつ内容を理解してもらうよ。分からないことがあれば質問してね。それに、この辞書の使い方を教えてあげようね。辞書には、言葉の意味が載っているんだ。本の中で、わからない言葉は辞書で調べながら読むんだ。」
そう言って、ナーシルは数冊の本と分厚い辞書を机に並べた。待望の辞書のお出ましに、37歳児は内心で大喜びである。こいつが有るのと無いのとでは学習効率に大きな差が出てくる。知らない単語が出てくる度にナーシルに聞いていては時間がかかりすぎる。ナーシルは俺の専属家庭教師では無いのだ。神官の仕事の合間に時間を割いてくれているだけなのだ。実際、分からないことが有ったら聞けとのことなので、基本は自学自習しろということだろう。昔の人が論語の書き写しをしていたのと同じような感じで学習することになるのだろう。
「あ、はい、わかりました。えっと、これらは何の本ですか?」
今の俺には本の表紙すら読めない。前途多難だ。食べ物などの日常的に使う言葉と、名前ぐらいしか読み書きできないのだ。文盲のボーダーラインを超えるか超えないかのレベルだ。ところで、俺はこの世界の識字率がどうなっているのかは知らない。庶民はだいたいこんなものなのか、うちの村の学習意欲が低いだけなのかすらわからない。さらに言えば、カサラヒ王国の学習レベルが他国と比べてどうなのかもわからない。本当に何もかも分からないことだらけだ。今の俺は完全なる情報弱者だ。”光ケーブルがあればどこへでも行ける”、そんなことを言える時代が早く着て欲しい。俺の知識のほとんどはインターネットに依っていたのだ。そんな俺には知識チートなんてできようはずもない。これからは本と辞書と、そして俺の頭脳が頼りだ。頼り無いこと、この上ないな!
「これは、この国の地理や歴史の本、こっちは世界の国について書かれた本、そしてこれは魔法の基礎の本だね。」
「な、なるほど。いろんな本がありますね。読むのは大変そうだなぁ。」
「勉強していくうちに、本を読むスピードもどんどん早くなっていくよ。世界を旅するなら、これぐらいの知識は知っておいて損は無いはずだよ。ガズくんは、まだ子供だから何でもすぐに覚えられるはずさ。」
ナーシルの言う通り子供のころは、何でも覚えられた気がする。大人になってからは新しいことを覚えるのは苦労するし、すぐに忘れてしまっていた。たかが30歳でも、子供のころと比べると明らかに記憶力が落ちていたと思う。特に人の名前が出てこないときの気まずさと言ったらない。だが今の俺は天下の7歳児なのだ、スポンジのごとく何でも吸収できるだろう。
「でも最初から本と、にらめっこするだけじゃ楽しくないだろうから、今日は魔法の練習をしよう。ガズくんも簡単な魔法は使えるよね?」
「はい、水を出したり火を出したりできます。えっと、だけど手から直接出すことしかできません。」
この世界では魔法は誰でも使える。使えるのだが、ただ感覚的に使うだけでは体表面でしか発現しないのだ。水を出せば、体から滴り落ちるだけだし、火や光も体の表面で燃えたり光ったりするだけなのだ。あとは地面なんかに直接触れば、それをいじることもできる。だが、結界のように触れずに長時間維持するような魔法や、火の玉を飛ばすようなことはできない。何かしら理論的なものを学ばねばならないのだろう。
「それは、体から魔力を使う時に魔法として出しているからだよ。魔力を魔力のまま、体の外にだしてやらないといけないんだ。これは練習するしかないね。まず、なにも考えずに魔力を体の外に出してみて。」
「はい。やってみます。」
魔力を魔力のまま出すのか。今まで何かを願いながら魔力を出していたから体の表面でしか発現しなかったのか。気づけば簡単なことだった。コロンブスの卵、コペルニクス的転回だな。まぁ俺が何も考えていなかっただけとも言える。とにかくやってみよう。
言われたとおり、何も考えず魔力をくみ上げて手のひらに流し込んだ。何となく、魔力の一部が外に出て行ったような気がする。そして雲散霧消したような気がする。そんな気がする程度にしか出て行かない。言ってみるのとやってみるのでは大きな違いだ。気のせい程度にしか出せないし、出した瞬間に消えていくのだ。これもまた前途多難だ。
「ちょっと魔力が手から漏れたかな。それを手のひらの上に留めておけるようになれば、より高度な魔法が使えるんだけどね。まずは魔力を魔力のまま出せるように練習しよう。私もやってみるから、見ててね。」
そういうとナーシルが手のひらを上に向けて目を閉じた。数秒後、手のひらの10cmぐらい上に光球が発生した。体表面ではない! 光球が浮かんでいるのだ! 眩い光を放つそれは、極小の太陽のようだった。薄暗い神殿の中に、始原の灯が現れたのだ。神殿中がにわかに明るくなり、ナーシルのウェーブがかった髪に遮られた光は揺らめくオーロラの様な影を壁に映していた。その幻想的な光景に俺は心をうたれた。これが、これこそが魔法なのだ。水をちょろちょろと滴らせたり、畑を耕す地味なものとは違う。
「まぁこんなところかな。最初はこれぐらいを目標にしようか。と言っても、まずは魔力を魔力のまま体から出す練習からだね。」
「わかりました!僕もナーシル先生みたいにできるように頑張ります!」
俺は久しぶりに熱くなっていた。俺もあの揺らめく太陽を手の上で踊らせるのだ。俺の太陽で村を世界を宇宙を照らすのだ。
こうして、俺の修行の日々が始まった。
山田がやる気をだした
次回、ぼくのかんがえたさいきょうのまほう




