14. ただいまスヌオル村
いのちだいじ
意識を取り戻すと、俺は森の手前に横たわっていた。死んだ場所に、そのまま生き返ったわけでは無いらしい。
狼たちの目の前で生き返っても、すぐにもう一度殺されるのが目に見えているので助かる。これはシーウォの配慮だろうか。こういうちょっとした気の利かせ方ができる人に俺はなりたい。とにかく、シーウォには感謝しておこう。次に死ぬときはエサを持って行ってやるからな。
ひどく痛む体に鞭を打って立ち上がり周りを見渡すと、村の男連中が俺の方に走ってくるのが見えた。すでに捜索隊が出ていたらしい。森に入っていくところを誰かが見ていたのかもしれない。先頭を切って走っている男は良く見知った顔だ。あれは、アルの父親だ。
俺はなんて声をかければいいのだろうか。素直にアルは死んだ、と伝えればいいのだろうか。魔物と戦っているうちにはぐれて後はどうなったか知らない、とでも誤魔化した方が良いのだろうか。誤魔化す意味はないが、親に向かって子どもの死を伝えるなんて気が重い。重いどころではない。
また無駄に悩んでしまう。こうやって悩んでアルを失ったばかりではないか。悩むなら一歩踏み出してみよう。シーウォに言われたばかりだ。一歩だけだ。それでどうなるかは分からない。見捨てて逃げたと激怒されるかもしれない。不安だ。だけど、村の皆は7歳児を責め立てる様な悪い人たちではない……はず……。ちょっとだけ信じてみよう。一歩だけ進もう。
「ガズ! 大丈夫か? ガズがアルを追いかけて森に入っていくのを見たっていう子が居たんだ。」
アルの父親が焦燥の色を伺わせながら俺を抱きしめてくれた。血まみれの俺を汚れるのも気にせず抱きしめてくれた。ごつごつして大きい手と毛むくじゃらな太い腕と厚い胸板で、俺の小さい体を包み込んでくれた。とても暖かくて安心できる。自然と俺の目から涙が溢れてきた。
「あの、おじさん、僕は大丈夫だけど……。」
「大丈夫なもんか、血まみれじゃないか。早く村に戻って手当をしよう。おーい、お前ら! ガズが見つかったぞ! 怪我の手当てをしてやってくれ!」
なんで俺の事をそんなに心配してくれるんだ。そんなに俺に優しくするな。俺はアルを見殺しにした男だぞ。
「お、おじさん、ごめんなさい。アルを守れなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。魔物に襲われて戦ってるうちに、アルは別の魔物に。ごめんなさい。僕がちゃんとアルを引き留めなかったから! 森に入る前に引き留めなかったから! 僕の僕のせいです。ごめんなさい――。」
俺は泣きながらアルの父親に許しを請うていた。死んだとは言えなった。今朝もいつも通り元気いっぱいにヒマワリみたいな笑顔で父親と楽しそうにしていたアルが、あんな血まみれの人形になったなんて言えない。そんなこと言えるわけがない。あのエクボが可愛い笑顔はもう二度と見れないのだ。これも全部俺のせいだ。
「そうか……。ガズ、そんなに泣くな。お前はアルを守ろうとしてくれたんだな。お前はきっと英雄になれるよ。今日は村に戻って傷の手当てをしてもらいな。おっちゃんはアルを探してくるよ。」
アルの父親は真っ青な顔で俺を慰めてくれた。握ったこぶしが震え、目も充血している。感情が爆発しそうなのを抑えて俺に優しくしてくれているのだろう。この人はどうしようもなく大人だ。子どもの前では感情を抑えることができる大人なのだ。本当は大声を上げたいのかもしれない。もしかしたら俺を殴り飛ばしたいのかもしれない。本心は俺にはわからないけれど、あふれ出す感情を必死に抑えている。それだけはわかる。そして、その大人としての姿が俺の心を酷く揺さぶる。俺のしでかしてしまっことの大きさを改めて思い起こさせる。俺はなにをやっていたんだ。俺は……どうしようもないクズだ……。
その後、アルの父親は男衆を連れて森に入っていった。その目はまだ諦めていなかった。俺は、村に連れ帰られると、そのまま眠るように意識を失ってしまった。
目が覚めると、いつもの天井だった。太い梁には干し肉が吊るされ、天井は煤で真っ黒だ。我が家の天井だ。俺は生きて家に帰ってきてしまった。
「い、痛っ――。」
身体中が痛い。ただ腕の調子は悪くないし、傷も塞がっている。俺の魔法も捨てたもんじゃないな。
俺の声が聞こえたのか、婆さんが駆け寄ってきた。
「ガズ! 目覚めたんだね! あんた丸一日、気を失ってたんだよ。神官さんが魔法で傷を治してくれたけど、目を覚まさないから不安で不安で仕方なかったよ。もうお婆ちゃんに黙って森に入っちゃいけないよ。」
なるほど、ただの自惚れか。俺の魔法は捨てたもんだ。やっぱり俺はポンコツだ。
「お、お婆ちゃん……。アルは、アルはどうなったの……。」
もしかしたら万が一という淡い期待を抱いて聞いてしまった。そんなことが、あるはずも無いのは俺が一番分かっているのに。
「アルちゃんは、駄目だったよ……。あんたが寝てる間に見つかってね。首に噛み傷があったけど、それ以外は綺麗なもんだったさ。それだけが救いだよ。そろそろお墓にいれる頃じゃないかねぇ……。」
俺がお家でおねんねしている間に見つかったのか。なにが目立った傷が無いのが救いなものか。何も救われていない。死んだという事実は覆らない。
「お婆ちゃん、アルのお葬式に行ってくるよ。」
「それはアルちゃんも喜ぶよ。歩けないならお婆ちゃんが付いて行ってあげるよ。」
「大丈夫。一人で行かせて――。」
俺はベッドから飛び起きると、靴も履かずに家を飛び出した。
埋葬に立ち会ったところで、死んだ人間が喜ぶだろうか。わからない。でも、最後にアルの顔が見たいんだ。顔を合わせて謝りたい。自分の罪悪感を紛らわすための姑息な自己満足な行動だと分かっている。卑怯者だと言われても仕方がない。本当に俺はどこまでも自分のために生きている。俺は情けない人間だ。そんな俺にもやらなければならないことがあるんだ。だから、俺は俺を赦すためにも謝りたい。
まだ思うように動かない身体が悲鳴をあげるのも無視して走った。雨でぬかるんだ地面を蹴る。ズボンが泥だらけになるが気にしない。体に冷たい雨がまとわりつく。雨と涙で前が良く見えない。それでも俺は必死で走った。
墓地にはすでに人だかりができていた。みんな喪服なんて大層なものは着ていない。だけど、まるで湖の底のような暗く沈んだ雰囲気だった。すぐにアルがあそこにいるのだとわかった。
「アルに! アルに会わせてください!」
「ガズ、よく来てくれたね。アルも最後にガズにあえて喜んでくれるよ。」
アルの父親が震える声で、俺を通してくれた。
アルの首の噛み傷はとても痛々しいものだった。だけど、ふっくらした頬、くしゃくしゃの黒髪、低い鼻、綺麗なダークグレーの肌、いつものアルだった。首の傷さえなければまるで寝ている様だ。
「あぁ、アル。ご、ごめんなさい。僕が、僕がちゃんと守ってあげられなかったから。ちゃんと森に入るのを止めなかったから。ごめんなさい。な、情けない僕を赦して。お願いだから赦して。赦してください。お願いします――。」
俺はアルに縋り付いて泣いた。アルは俺を赦してくれるだろうか。アルはきっと人間として生まれ変わるだろう。もし生まれ変わったアルに会えたら、また謝ろう。俺は何度でもアルに謝り続ける。俺はずっと忘れない。アルのことも、今回の失態も忘れない。俺は二度と同じ間違いを繰り返さない。誰も俺のせいで死なせたりなんかしない。俺は……俺は英雄になるんだ――。
アルが生き返らないなんて聞いてない。
これからどうするんだ。




